心のそと

充電の減りがやけに早いノートパソコンと、硬いままの雪見だいふくと、なんだかよく分からない白い毛に塗れたスーツとともに生きた。多分、温度のないものたちにも多少の救済能力はあって、例えば雪見だいふくの蓋裏のメッセージなんかは、量産だとしても少し心を補修してくれるような、そんな気がしている。スーツやノートパソコンは、社会に適合しながら生活しているという錯覚を起こさせて、まともな生き方をしている幻覚を見せてくれる。生きているものの言葉や体温は内側から強大な力で寛解を促すけれど、生きていないものだって外側から働きかけて、少しずつ心を囲ってくれる。だから私は雪見だいふくを無感情で食べるべきではないし、無表情でスーツを身につけてパソコンに向き合うべきではない。心が死んでいようが、せめて救われたことを自覚して、生きている錯覚をしたままモノの隣で過ごさなければならない。上手く喋れない私を否定することも、控えなければならない。

いつかロックスターになれるだろうか。お笑い芸人でも、絵描きでも、物書きでもいい。外側から生きる手伝いをしてくれたモノのことを、作品にしたい。雪見だいふくの歌が書きたい。スーツを着た誰かの絵が描きたい。シルバーのノートパソコンと過ごした4年間を書き留めたい。
奨学金を返さなければならない、好きな人に見限られたくない、稼がないと音楽を続けられない。心の外側のいろいろが作用して、ようやく分かるようになった自分がまた逃げ出してしまった。言葉にして苦しさを顕示するのは甘えだと知っている。きっと私は、この言葉たちに見合うほど苦しんでいないから。お金だとか愛情だとか、二面性があるから。私はそれに簡単に振り回される。

今日は、雪見だいふくのうさぎの言葉を私に向けたものだと信じたまま、何度目か分からない眠りにつく。枕元には、心の周りを優しく彩ってくれるモノしか置かないことに決めている。ネズミのぬいぐるみ、青いマフラー、目覚まし時計。目覚めのない眠りに落ちてしまいたいけれど、逃げないように。数時間後にはアラームが耳元で鳴り出すのだ。今は怖い朝が、起きた時にどう作用するのか、考えると眠れないから追い出してしまうことにする

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