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花束

くさい恋愛小説のような言葉で綴るのは、あの人を傷つけた自分をどうにかして違う人に仕立て上げるためで、ドラマチックな言葉で売り出してフィクションみたいに楽しもうとしている。承認欲求と紙一重の最低な防衛本能を満たし切るために、最後のあの人との話を。

別れを告げてから2度目の春が来る。
まだ、この寒い日を花冷えと呼んでいい程 暖かい日は重ねられていないから、(花冷え)とでもしておく。

人に弱さを見せることができるのは、決まって傍に居るのを諦めた時。私はカッコつけたがり(花冷えにつけた括弧にかけているわけではない)だから、友人の前でも恋人の前でも家族の前でもカッコよくいたいのだ。上手くできているかは分からないけれど、とにかく弱さを見せて離れてしまわれるのが怖いから、バスケ部の男子中学生みたいに必要以上にカッコつけていたいのだ。

初めて助けを求めて連絡した夜、私はもう、あの人の傍にいることを辞めたかったのだと思う。1月末の23時、寒さで手を氷のような温度にしながら会いに来てくれたあの人に対して、決して抱いていい思いではなかった。寒さと神経衰弱で格好のつかなくなった私は、今まで話したことのないことばかりを話した。それは、心の奥底に厳重に留めておいたもので、決して吐き出してはいけなかったもので、それでも他の何より私の言葉だった。あなたとの将来を考えることが恐ろしいのだと、その原因は私自身にあってあなたは何も悪くないのだと、だからどうせいつか離れ離れになるのだと、私が私である限り誰かと幸せになることは叶わないのだと喚いた。あの人は、手を握りながらじっと話を聞いてくれた。その手がただただ冷たかったことを覚えている。そのまま氷になって、両者の手がくっついてしまうのでないかと思ったくらいに冷えきっていたことを覚えている。あの人は、私よりも目を腫らして泣いていた。それでもいいから傍に居たいと言ってくれた。「ありがとう」としか返せなかった。彼はどんな顔でその言葉を受け止めたのだろうか、私はもう、それを思い出せなくなってしまった。

慎重に重さを量って、状態を注視して、温度を上げないように、お菓子を作るみたいに、言葉を選んで別れを告げた。悪い人になって恨まれる方がずっと楽だったのに。あの人が選んでくれた私を悪者にする行為は、あの人を否定するのと同等の意味を持つように思えたから、しなかった。

その翌日、友人と映画を見た。数年前に流行った陳腐な恋愛映画。映画の中の男女は、終電を逃してカラオケボックスに入った。彼らは偶然にも、あの人がいちばん好きだと言ったロックバンドの歌を歌った。もうカッコつけることはできなかった。男子中学生(バスケ部)マインドを崩壊させた私は、みっともなく泣いた。一緒にいるうちにそのバンドを好きになれたらよかったと思った。映画の男女が歌った歌があの人の好きな歌だったのかどうか、確かめる術はもうないのだ。それが堪らなく寂しかった。

私の心がもう少し強ければ、音楽を再開しなければ、カッコつけのプロになれていたら、思うことは沢山ある。それでも、始めてしまったものに終わりは付きものなのだ。着火した蝋燭が溶けだすのを止められないのと同じように、尽きていく想いの前では、誰しもが無力なのだ。

あの人が好きだったロックバンドを泣かずに聴けるようになった頃には、もう誰かとの将来を躊躇わずに思い描けるようになった。今の私はきっとお金にだらしのないあの人を許せないし、煙草の匂いが嫌いだと言えてしまう。だから、傍には居られない。同じ街に住んでいながら、あの人の消息を知らないままでいる。傷つけた立場で幸せを願うことは傲慢なのだと思う。ただ私のことを忘れて大人になってくれてさえいれば、それでいいと思う。
あの人の隣にいた私はずっと、春のような温かさに浸っていられたこと。あの人がくれた香水の春の匂いが、私の匂いになったこと。ゆったりと生温く続く幸福はたしかに存在していたこと。すべてに区切りをつけるために、言葉にする。記憶を作品として残して、私と切り離してしまうために。あの人が大きな存在として蔓延っている生活を、終わらせなければならない。

4月、いつもより少し大きなライブハウスで、あの人のいちばん好きなバンドを演奏した。

その日が特別晴れて暖かければいい。寒い日は、氷のように冷え切った手のひらの温度を思い起こさせるから。薄手のコートすら邪魔になるほどに暖かければいい。

そんな願いが通じたのか、その日はこの春で一二を争う程の暖かさだった。ステージの下でも汗をかくほどの暖かさだった。2曲目で少しだけ思い出したような気もするけれど、気のせいだったかもしれない。
この風邪が治る頃にはもう、こんな文章を書き綴ったことさえ忘れてしまう。これから先は、あの人のために音楽をすることなどなくて、きっとそれを寂しいと思うこともない。私は、私と仲間のためだけの音楽をする。あの人に伝えたいことなど、とっくのとうに無いのだから。

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