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【後半】人を助けるとはどういうことか

人を助けをしたいと思った時は、ぜひ人助けをしようじゃないか!

前回からの続きです。



本格的な支援となると、様々な知識やスキルや知恵が必要になるが、人の手助けは、別に支援者じゃなくても誰にでも出来るものです。

日常生活で、意識せずに人助けをしている方々はとても多いと思う。

それぐらい人間にとって当たり前の思考であり自然な行動だ。

だから、人助けは支援団体だけの専売特許ではないのだ。

自分は、支援者になる訳じゃないから、その知識はいらないよ!と思っていたとしても、人生の中で、役に立つ日が来るかもしれない。

今後も、様々なテーマで発信していこう!と考えている。

今回は、エドガー・H・シャインの
『人を助けるとはどういうことか』

を参考にし話をすすめてみます。

人を助けるとはどういうことか

どうしたら、あの人の役に立てるだろう?

「親切のつもりで」、あるいは「相手の助けになるように」とった行動が、実は相手にとってはそうでなかったということは多い。

なぜ、こうした齟齬が起きてしまうのか。起こらないようにするには、どうすればよいのか。

起きてしまったときには、どんな措置を講ずればよいのかあたりまえすぎて見過ごされていた「協力関係」の原理原則を、組織行動論のグル、エドガー・シャインが、身近な事例から、わかりやすく提示する。

われわれが、支援者としてもっと有能になれたら誰にとっても人生はよりよいものになる。

人を助けるとはどういうことか


この本は、支援に携わる方は読んだことがある方も多いと思う。

トラウマやインナーチャイルド、アディクション等の専門書とはまた違った見解で、着目点がとても興味深くおもしろかった。

日本の支援の現場では、こころの傷を癒すことがメインで語られることが多いが、現場ではさほど活用されていない印象だが、話を聴く側のスタンスとして、日常生活にも活かせ、尚且つ身につけておきたい大事なポイントを書き出しまとめてみた。

今回は、「協力関係」の原理原則の中の六つの罠について考えて行こうと思う。

支援者が陥りやすい六つの罠

①時期尚早に知恵を与えること

②防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること

③問題を受け入れ、(相手が)依存してくることに過剰反応する

④支援と安心感を与える

⑤支援者の役割を果たしたがらないこと

⑥ステレオタイプ化、事前の期待、逆転移、投影

人を助けるとはどういうことか


①時期尚早に知恵を与えること

著者は「この反応は、提示された問題が真の問題だという支援者の思いこみも暗示している」と語る。

これは、支援者とクライアントの間に不均衡関係(上下の関係性)を前提としています。

クライアント
「一段低い地位(ワンダウン)」

支援者
「一段高い地位(ワンアップ)」

このようなパワーバランスは、親と子、教師と生徒、上司と部活、医師と患者等もこのような関係性です。

対等な関係性を、築こう保とうと思っても実際難しい場面が多々あるものです。

①時期尚早に知恵を与えること

支援を提供するというよりは、何かを受け入れさせたり、状況を不当に利用したりすることになりかねない。真の意味で助けにならないとわかっても、個人的な利益として認められる権力を行使したい誘惑に駆られるかもしれない。そのように許可された権力を、「助けになれるかどうかわかりません」とか「実は、助けることができません」と謙虚な言い方をして、諦めることは心理的に難しい。支援できる機会が得られるのは、大きな誘惑なのだ。

前掲書 P67


支援者(上 ワンアップの立場)は、相談者側(下 ワンダウンの立場)から
「許可された権力」を得ると
それを「行使したい誘惑に駆られる」

私は以前、人助けは快感である。ということをツイートで書いたことがあるが、この快感になるのは誘惑だ。

支援者の立場にいながら、出来ない、わからない、と言えない場面もあると思う。

それらを誤魔化すために、①の「時期尚早に知恵を与えること」 に飛びついてしまう場合があるのです。

しかし、よく考えたら簡単に解決出来るようなニーズであれば、相談者は誰かに頼らずに自分で解決出来ているはずだ。


相談者の訴えは、複雑に絡んだ問題の本質、あるいはそれを隠蔽しようと必死に誤魔化そうとし、嘘の情報を話しだしたりする様な相談者からの罠のケースがとても多いのです。

その場合、支援者も「わからないことはわからない」と言った方良いのです。

即答するよりも、相手の話をじっくり聴き、抱える問題を掘り下げ、解決に向け様々な検討をした方が、思いつきの不確かな解決法よりも根本の問題解決に役立つからだ。

その時に、わからなかった事は調べてから、後日正確な情報を説明すれば良いし、早急な対応が必要ならばその場で調べる時間を貰えばいい。

そもそも、その場の軽い相談だけで100%その人の希望を叶えることは出来ない。

相談を受ける側は魔法使いではないのだから。

そして自分に解決出来ないことを理解した場合は、上司や仲間に相談し、警察や医療、他のカウンセラーへの依頼等、他の機関にヘルプを出し協力を得、連携すること。

支援者であっても、自分ひとりで抱える必要はない。

最低限のスキルとして、知ったかぶりしないこと!これが1番必要かもしれませんね。


②防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること

「私の助言は間違っていない」と思い込み、自分自身の助言が間違っている可能性について検討もせずに、相談者を責め立ててしまう行為です。

相談者の無知や無理解を非難したり、高圧的な口調で説得したがる。

自分は「絶対」に間違っていないという無意識の防衛反応(思い込みや決めつけ)に基づき、相手側が間違っているんだ!という視点から、高圧的な態度と支配的な口調になるので、関係性に相当なねじれが生じ、不健全な関係性になってしまう。

自分自身を絶対肯定しているので、相談者は萎縮してしまい耳を塞ぎ、本心を率直に言えなくなってしまう。遅かれ早かれ、その関係性はどこかで破綻してしまうでしょう。

まずは言葉に出す前に、自分自身の思い込みや決めつけた意見ではないか?
自分の一方的な高圧的な要求ではないか?思考の整理をし検討した後に、相手に伝えるという手順を踏むことが大切です。


③問題を受け入れ、(相手が)依存してくることに過剰反応する

支援者の役割をすぐさま引き受けて自信をみなぎらせている人には、助けが得られるかどうかわからないうちにクライアントに依存してしまう

前掲書 P79

自信がないのに「自分なら解決出来る!」と偉そうに振る舞うことで、自信のなさを必死に隠そうとしてしまい、自分に相談してきた相手を手放すまいと、あれこれお節介をしてしまうパターンがこれ。

この支援者はまさに共依存へと繋がっていく。「依存関係への依存」と言っていい。

本来、健全な境界線を保ち接しなければならない相手に対し、通常は立ち入らないようなプライベートゾーンまで入り込み、口出ししてくる支援者に多い。

特に、自分自身の思想が常に正しい!と思っている自信過剰な支援者はこのタイプだ。

可哀想な人をほっとけない、見ていられない、全て助けてあげたくなってしまった…等々。感情移入し過ぎてしまい、支援をする立場なのにもかかわらず、相談者へ依存してしまう。

弱っている状態である相談者は、勘違いをしてしまい、共依存関係へと引き込まれ自立が遠のいてしまう。

百害あって一利なし!

グループや組織と働くときにコンサルタントや進行役は支配権を握るという罠に陥る。彼らは提案するだけでなく、次のステップを実際に指示してしまうのだ。しかも、どんなことが感情的、または文化的に可能なのかを充分知らないうちに命じてしまうのである。

前掲書 P80

これは、まさに今起きている特定の支援団体と特定の人物による日本の福祉の乗っ取りである。

有識者会議はまさにそうではないか。

組織で動く場合に、支援団体の代表は有識者として、あくまでも提案や助言をする立場なのに、厚生労働省等に指示をする。

指揮命令系統の外部者としての助言という基盤を忘れてしまい、その指揮命令系統を無視し、絶対肯定の自分の意見を元に勝手な指示をする。

その職責にもいないので、その指示に対する責任を取れるわけでもないのに、偉そうに指示をする。

そのような行為が、いかに組織体系にとって逸脱した行為であるか、感情的、文化的な混乱を引き起こすのかが、理解出来ない程の無知な支援者なのである。

取るべき責任と、取らなくてもよい責任と、取れない責任と、とってはいけない責任の区別をつける。この違いが分からない方は、支援職には向かない。



④支援と安心感を与える

④は一見すると支援者として正しく見え実践に取り入れたいと思う方も多いかも知れない。

ケースにより、その実践には罠があることを著者は三つの理由を記している。

一 支援者が、専門医のような権力のある役割になってしまう。

二 クライアントの地位の低さを助長する。

三 支援者との関係のその段階でクライアントが全てを打ち明けるとは限らないため、実は不適切かもしれない。

前掲書 P81


著者がここで、専門医を比較対象として出している。

一   医師と支援者の違いはどのようなものがあるか?

医師には、権力があるかわりその人の生死という最終責任も引き受ける。

一方、支援者はそれほどの責任も引き受けないし、引き受けられない。

例えば、自殺願望を膨らませている人が目の前で命を絶とうとした時に、止めることに限界はあるし、その一瞬は止めることに成功したとしても、1分後には止められるかもう分からない。そして、極端なことを言えば、目の前に居なければ止めることも出来ない。

医師と支援者には、最終的な決断を付ける責任があるかないかの違いがある。

支援者が医師のように、そこまでの責任を背負うことは出来ないのである。

支援者は、相談者に対し診断も治療行為も出来ないのに、あなたは○○の障害があるかもしれない、それはうつだよ!等と診察も検査もせずに、適当に診断名をつけてしまう困った支援者もいる。

支援者は医師ではないので、医師のようなふるまいをする必要もない。

何かしら病気の可能性があると感じれば、勝手なジャッジをせずに、医療機関へ繋がれば良いのです。

二 クライアントの地位の低さを助長する。

支援者は、相談者の地位の低さを助長せずに、責任や、提案の持続や計画した生活での実践を提案し、相談者に可能な範囲で背負ってもらうことは、支援者の仕事の一つなのである。

何でもかんでも支援者が決め、支援者が代弁し、支援者ばかりが相談者の代わりに動いていたら、相談者の自立は遠のいてしまう。

三 支援者との関係のその段階でクライアントが全てを打ち明けるとは限らないため、実は不適切かもしれない。

安易な支援や安心感は、相談者にとってアダになり、マイナスになるかもしれないのです。

特に、支援者が計画した目標と、実際に相談者が求めるニーズの乖離がある場は、支援者が早計で安易な支援をすることにより、余計に問題が混乱する事にもなりかねないのです。

支援者が何でも決めてしまうので、相談者が本心を言い出せず、支援者も途中で意思確認もしない為に、乖離が起こる。

あの時あなたこう言ったよね?と相談者を責めたてる支援者もいるが、あなたもそうなように、人間は考えが変わる生き物なのです。

そして、途中でその考えが変わったことを言い出せないような空気を作ってしまう支援者もいる。

意思確認をし、何かしらのアクションに移る場合は、確認をし同意をとることは、通常の仕事の現場でも共通することだろう。

同じ人間同士だからこそ、良かれと思ってやってあげたのに…なんてことを言わす、初めから質問をしたり確認を取る対話をすれば良いのです。

自分の怠りを相談者のせいにする支援者もいますが、確認、同意をとるプロセスは、ワンアップの立ち位置にいるあなたの仕事なのです。


⑤支援者の役割を果たしたがらないこと

クライアントが感じたり経験したりしていることをもっと奥深くまで探れば、支援者は自分の見解を変える羽目になる可能性を意識的にせよ無意識にせよ、わかっているからだということだ。そうなれば、権力のある地位や、ワン・アップの状態を諦めねばならなくなる。

前掲書 P83


相談者からこんなことを言われたことはないだろうか?

「それは違う」

「そんなことはない」

そのように言われた時は怒らずに、耳を傾けましょう。

そして、腹を立てるのではなく、質問や確認をしながらもう一度話を聴かせてもらう。

なぜなら、自分の助言や見立てが間違っている可能性が高いからだ。

健全な関係を求め、力になりたいと思っている支援者ならば、自分の役割を果たすために、自分の助言や見立て自体の誤りの可能性について考察を巡らせ、間違いがあればそれを認め謝罪したり、きちんと見立てをする為に、話を聴きなおし質問してくるだろう。

「権力のある地位や、ワン・アップの状態を諦めねばならなくなる」

相談者との信頼関係を深める場であるからこそ、自分の面目保持を重要視したり、論点をごまかしたり、深入りしないようにするのである。

失敗を誤魔化すことは、人間臭い振る舞いではあるし、誰もが失敗もする。
だが、誤魔化すことは支援者としては、失格である。

クライアントの話に心から耳を傾けることによって、支援者は相手に地位と重要性を与える。そして、クライアントによる状況の分析が価値あるものだというメッセージを伝えるのだ。支援というものが、影響を与える一つの形だと考えるなら、自分が影響されてもかまわない場合しか、他人に影響を与えられないという原則はきわめて適切だろう。

前掲書 P83

他人に変わってほしいと願うならば、まずは自分が変わるべきだ。という誰もが一度は聴いたことがあり、誰もが知っている当たり前の答えに辿り着く訳だ。

偉そうに、自分の思想を語り相談者をマインドコントロールしたがる支援者は多いと感じてきた。

そこに、自分自身の絶対肯定を崩さず、「私は間違えていない」
「間違えているのはあなた達だ!」
このようなことばかりを主張する支援者は、本当に無知なバカだ。

自分が批判されているのにも関わらずに、自分の間違いを認めず謝罪もしない人間は支援者にはなれない。

なぜなら、相談者に対しても同じことをするからだ。二次加害をしても気が付きもせず謝罪もしないだろう。

なんなら、嫌なら言ってくれればいいのに!なんてことを平気で言ってくる。

上下の関係性がある中で、相談者は怖くて言えない…と考えるのは極自然なことだろう。


⑥ステレオタイプ化、事前の期待、逆転移、投影

支援者は過去の経験に基づいたすべてのものに左右されやすい

前掲書 P83

目の前の相手の話よりも、自分の経験や、以前の相談の体験を思い出しながら、過去の事象に当てはめたり、他の回復した誰かを投影したり、アクションする前から結果を期待したりしてしまう支援者がいる。

自分の引き出しの中身が全てで、無理矢理そこに押し込めようとしたり、何かの枠にはめたがり、当てはまらないと途端にがっかりしたりする支援者もいる。

がっかりするのは、自分が勝手に期待していたからであり、目の前の相談者の話に心から耳を傾けていない証拠である。

私は、そういった支援者を見ると「思考の節約」をしているのだなと感じる。日本の支援者は型ににあてはめて考える人がとても多いのだ。

相談者が少しでもその枠から外れると、変わり者だと罵ったり、医師でもないのに、病気や障害にすぐに当てはめたがる。

そのような視野の狭さが、今の日本の福祉の現場で起きている。

特に、支援を必要としない人への支援の押し売りだ。

このような押し売りは、本来支援が必要な方を排除することへ繋がったり、支援が必要ではなかった人が、弱者だと言われ続けマインドコントロールされた結果、共依存となり、本当に支援が必要な人間になってしまい、支援者による犠牲者を作りだしてしまっている。

相談者との対話の道を閉ざし、独善的で閉鎖的な独善や偽善に陥るのである。

ステレオタイプ化やエコーチェンバーを避けるためにも、多くの方の意見を聞き、自己陶酔するのではなく、謙虚な姿勢を保つことが出来る支援者は、日本には少ない。

年齢や地位が上昇すればするほど、権力を使い、謙虚さを面倒だと削ぎ落とし、攻撃的になる支援者もいる。厄介な癖も改めず、相談者や周囲の人に当たり散らす支援者もいる。


権力という安易な誘惑に騙され、自分の毒で腐りはじめる。

そのような傲慢な支援者達を嫌という程見てきた私は、子供の頃に施設の職員にこう言われたことがある。

「うさぽんは、何度言ったらわかるの?本当に悪い子でバカな子だね!」

そして、ゲンコツ。


本当に分かる(理解する)ということは、自分の間違いや勘違い無知に気が付き、認め、変わるということなのです。


子供に、わからせたい!と喚き散らすよりも、子供にも分かるように大人が努力し説明すること。それが、大人による手助けであり教育なのです。


また、次回お会いしましょう!

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