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うさぽんのりこえ術①

うさぽんぽん!

人生色々あります。
誰にでも。 私にも、あなたにも。

躓くこともあるし、嫌な出来事もある。悩むこと、何も手につかず、思考も止まり、希死念慮と戦ったり。


もし出口が見えずに彷徨い途方に暮れている方がいたら届くといいなと思って、うさぽんなりの「のりこえ術」を書いてみようと思った。

なにか、問題を乗り越えたいと思う時は、大概気が滅入っていることが多い。

楽しい時間や遊びを乗り越えたとは言わない。

初めに断っておこう。

よく巷に溢れている、つらいね、がんばってるね、わかるわかるそうだよね、あなたは悪くない、こんなことを私は書くつもりは無い。

なぜなら、私は表面上だけを取り繕い、
表面のアクだけをすくい取るような
方法が嫌いだからだ。

所謂、完璧主義やいい人ぶった偽善者が嫌い。

思いやりを持つことと、
いい人ぶるのは違う。

しったかぶりのヘンテコなアドバイスも嫌いだ。

医療でいうなら根本治療が好き。
対処で済むものならそれもいい。

がんばらなくていい!
こんな言葉が流行った。

がんばっている人にがんばれと言うなという言葉も流行った。

なぜなのか?

私はこう思った。

いやいや、ちょっまてよ!
自分が苦しい時や自分の思い通りににならない時は、頑張った方がいい。

そこでがんばらなければ、いつ頑張るのか?

元気な時や調子が良い時に、
人はもう頑張れない…などと考えない。

元気な時は、面倒な事があっても、
ヨシ!がんばるぞー!となるのが
自然だ。

メンタルが不調な時ほど、思考が停止したり、考えることが面倒になり、グルグルと考えなくてもよいことばかりを考えてしまう。

そこで、エイッ!と頑張るのだ。
思考停止している時だからこそ、
がんばるのだ。

「がんばらなくていい」と、言い出した人は、金儲けの為だ。

よく考えて欲しい。

苦しい時はがんばらない方が楽だから、人間はその本を読みたくなり、買うでしょ?

がんばらなくていいと言ってくれる
支援団体に頼り、依存するでしょ?

がんばらなくていいと言ってくれて、何でも自分の変わりにホイホイやってくれる人に依存したくなるでしょ?

そして、自分で考え行動することを忘れちゃうでしょ?

更に、網様体賦活系が活性化し、SNSでも、がんばらなくていい!と知らない誰かが言った無責任な言葉だけを集め出すでしょ?

自分の都合の良い、耳障りの良い言葉だけ、聞き入れるようになってしまい、回復を手に入れる為のチャンスを逃すでしょ?

これが、網様体賦活系の役割だ。

そして、その言葉達があなたの常識になるでしょ?

他人は耳障りの良い言葉ばかり吐きますよ。そりゃそうだ!他人の人生に、責任なんてないもの。

耳障りの良い言葉達は他人事ですよ。

そんな言葉を集めるよりも、動物の癒し動画や大爆笑出来るマンガや動画、集中出来るゲームや映画をみたほうがよっぽどいい。

ここでひとつの提案だ。

・がんばらなければいけない場面
・がんばらなくてもよい場面

この2つだけを考えでみてくれ。

この区別がつかなくなる時、思考が混乱している証拠だ。

例えば、マイナス要素ばかり集めることをがんばってしまう。

自分を批判するような人を憎らしく思い、モヤモヤが爆発する。

ここはがんばらなくていい。


気が済まない!と怒る自分の落とし所を考えてみる。

訴訟をしたいのか、ただ反論したいのか、仕返しがしたいのか、どのようなことが自分が満足することなのか一度冷静に考えてみる。

そうすると、解決策が見えてくる。
度を超えた誹謗中傷ならば、訴える。
そこまでしたくないと思うなら、気が済むまで罵り合うよりは、ブロックした方が楽だ。

あくまで自己を中心に置き考える。
あなたは、どうしたい?
自分に問いかけるのもいい。

冷静では無い時ほど、考えることをがんばるべきだ。
そうすると、習慣になる。

ここは、是非ともがんばるべきだ。


自分は、何か解決の手段が間違っているのではないか?と、立ち止まり考えてみるのも良いだろう。

間違っているのなら、修正しやり直せばいい。

ここは、がんばるところ。
だって自分の為になるもの!


もう何も考えられない!
どうすればいいんだ!

焦る必要はなにひとつない。
焦らずゆっくり考えればいいのだ。


「考える」とは?
人間が人生を生き抜くための最高のツールです。

「悩む」とは?
人間に必要のないものなので、考えることにシフトしよう。

なぜ、考えることが大事なのか?
問題の解決に繋がるからです。
悩んでも解決策は出ない。
悩むと思考停止しがちだ。

考えた方が抱える問題の解決につながる。これは、10代の時に自殺未遂を何度も繰り返した私の結論だ。

こころの手当は自分でできた方がいい。
そして、誰かに手助けしてもらう部分はお願いするといい。

ただし、他人に依存するな!
依存されるな!
後で互いに痛い目に合う。

例えば、ちいさな子供が転んだ時に、ママに頭なでなで「痛かったねヨチヨチ」

これが許されるのは子供だけだ。
私達大人がこれをしてしまうと大変なことになる。当たり前だが、大の大人が道で転んで大泣きしても誰も痛いね!ヨチヨチとはやってくれない。

やってくれ!!と叫んでも、多くの人はヤベェやつだと逃げていくだろう。

大人は、自分の足で立ち、痛いところは自分でなでなでして、血が出たら洗うなり自分で応急処置をするものだ。

深刻な傷なら、医師に傷口を縫って貰えばいい。

結局は、自分の傷口は自分で広げていることに気がつき、その手当やご機嫌は自分でとる。

その方法を習得するのが1番なのだ。

自分を救ってくれるのは他人ではない。
当たり前だが自分だ。

他人は、間接的に協力したり
手助けはできる。

だから、人の手を借り助けてもらうことを、手助けと呼ぶのだろう。

でも、手助けができても
頭の中までは覗けない。

あなたが何を考え、何を悩み、
どのような形になれば満足するのか?

話を聞いても結局は分からない。
頭の中のことを全て吐き出すなんて無理だ。

そして、それを他人が理解しようなんてのも不可能だ。

分からないことは分からない。
分からないのだから共感のしょうもない。

だから、私は察してマシーンの配慮しろガー!が嫌いだ。

分からないものに、共感して、
痛みを分かち合う。

そんなことが出来るわけが無い。
だって、人の頭の中は覗けない。

いや、覗く行為も失礼だ。
頭の中身を見せろ!と言われたら私は断る。怖いもの。


痛みを分かち合うフリをしたい!と言うならわかる。

分からないものは分からないでいい。

あなた他人の痛みがわかる超能力でもつかえるんすか?
うさんくせぇ。

何となく想像は出来る。程度がいい。

私の痛みに共感しろ!
私はつらい体験をしてきた被害者だ!
お前ら私の痛みを分かち合え!
私に配慮しろ!

こんなことを私が言い出したら
傲慢すぎる自分にドン引きだよ。

だから、他人の痛みも引き受けない。
一定の理解は示すが、わからないものはわからないから、身近な人が悩んでいたら本人に聞くしかない。

どこの何がどのように痛いのか。
その原因はなにか?
その痛みをどう取り除けば楽なのか?
落とし所はどこなのか。

そこで、初めて他人の痛みとやらに、共感出来るものでしょ?

分からないのに分かったふりをする方が恥ずかしいじゃないか。

死にたい人に、どうして死にたくなったの?と静かな場所で聞けばいいじゃない。

腫れ物触るように「配慮」し共感だけで死にたい気持ちはなくなるか?

死にたくなる原因を、取り除くほうに、力を注いだほうがいいじゃないか。

この「配慮」が日本の自殺者を増やしていると私は思う。

がんばれと言ってはダメ!
そんなの常識だ!話を聞け!
共感しろ!配慮しろ!

そんなこと言われたら、周囲の人は混乱して何も聞けなくなるじゃないか。
話したくても話せなくなるじゃないか。

死にたくなったことなんて
誰にでも一度はあるでしょ?

なにも特別なことじゃない。誰もが経験することじゃないか。普通にあることじゃないか。

それが、とてつもなく重いことだと捉えているのは、人間の勝手な解釈だ。

どうして死にたくなるのか?
その原因解決のお手伝いをしたいのに、親身に聴けないなんておかしいじゃないか。励ましちゃダメ!なんておかしいじゃないか。

配慮ではなく、率直さが足らないからコミユニケーションが、ギクシャクするのではないのか?

分からないことは理解しようがない。
本人から聴くのが1番いい。
何かの教科書なんて役に立たない。
だって、個々のマニュアルなんて存在しないのだから。

統計はあくまで統計。
個人に対応したものではない。

率直に聞いてみる。
率直に語ってみる。
率直に話してみる。

それでいいじゃないか。

最後に、自分語りをする。

思い通りにならないことほど
後になって振り返ってみると、
人生のネタとしておもしろい!
と、私は思う。

なぜ、そう楽観的に捉えられるのか?
と、聞かれることはよくある。

私も、うつやパニック障害、様々なメンタルの不調で苦しんた過去がある。

お年寄りのばぁちゃんのように、
18種類の薬を毎日飲み続けたこともある。

ひとつひとつプチプチ開けることも出来なくなり、薄い紙の袋にまとめていれられているので、自分で開けるのは2種類だけで良かった。

ODも楽に出来た。
致死量ワンシートの薬だと言われていたものを3シートのんでも死ななかった。

胃洗浄で迷惑をかけ、苦しい思いをしただけだった。

ODで死ねるなんて嘘じゃん。

当時は知識もなかったので単純にそう思った。ODで私が死ななかったのは「運」が良かっただけだ。

ロシアンルーレットのような運だ。

続けていればいつか必ず死ぬ。
ロシアンルーレットは今すぐやめるべきだ。

人間いつか死ぬ。
ほっといても必ず寿命はくる。
そういうものだ。

私が、薬物依存をやめた理由の中のひとつのエピソードだけ書いて終わりにする。

酷い薬物依存から、私を抜け出させてくれた医師がいた。

女性の精神科医だが、私の性格にピッタリ当てはまる相性の良い医師だった。

ニコニコしながら、グサッとくる一言を投げかけるのが得意の医師だ。

薬多いでしょ?
こんなに必要?

前の医者がのめって言うからのんでるだけなんだけど?

いや、うさぽんは自分で多いな?と思わない?

分からない。どうでもいい。


薬の副作用って知ってる?
(怖くなるほど説明をされた 笑)


はい、勿論今すぐ減らしたいです!!!
人間って単純なものです。


減薬する「きっかけ」は、すぐに得れた。向精神薬の副作用を、医師が丁寧に説明してくれた。これだけだ。


そこから、減薬する為に約2ヶ入院した。

途中、地獄の苦しみがあったが
のりこえた。(後日、詳細はまとめようとおもう)


ある日、毎日死にたいと思うと
医師に伝えた。


こう言われた。

「暇なんだよ」


カッチーーーーン!!
頭から湯気が出てるんじゃないかと思うくらい腹が立った。

あぁああああ???????

なんつったいま???????

この後、暴言を吐いた。

てめぇに何がわかる?
クソだな!お前は無能な医者か!
お前が死ね!!!!!!!
何かを蹴ったし、腹が立って仕方がなかった。

なんなら、医師を殴ろうかとも思った。殺意すら覚えた。

確か、こんな感じだったと思う。

今、思い返すと…
穴があったら入りたい。
真っ先に入りたい。
穴から出て来れない。

クッソ恥ずかしい。

これが、他人に求める「配慮」だ。


医師が笑ってこう言った。

「死にたいと考えられるほど暇なんだよ!ハハハハハハハハハ!」

笑いやがった!!!!

でも、不思議!!!!!!

一通り怒って喚き散らした後に、
同じことをいわれたのに、私も手まで叩いて大爆笑していた。

そうか、毎日死にたいと考えるほど
私は「暇」だったんだ。


思い返すと、入院生活の中で、その暇を楽しむことをしていなかった。

実生活では、暇な時はずっと絵を描いたり、映画をみたりゲームをしたり、マンガを読んだり、様々な製作物を作っていた。作品作りに夢中になって、忙しかった。

悩むことに取り憑かれ、作品作りから離れた。

そして、暇が出来た。

そうだった。

医師に聞いた。

死にたいと言う人にヒマなんだよ!って言う人初めてみたんだけど。
普通そんなこという?


医師はこう言った。

ヒマだからだよ?って本当のこと伝えるのが普通じゃない?

当たり前だけど、先生は困ってる人に嘘つくの嫌なんだよ。

また2人で爆笑した。

本当のこと、当たり前のことを知るっておもしろいね!
私は、心からそう思った。



のりこえ術もまとめてみます。
まったねー!

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