実家がファミレスよりもショックだった話 昔話5
こんにちはうさぽんぽん!
うさぽん昔話1 で実家がファミレスになってたよ!と、書きました。
衝撃だったのは事実。
しかし、
私がもっとも心を痛めたのは実は…
となりのとなりのおじさんちも
ファミレスになってたこと!!
あーぁ…
思い出が消えて行くのは本当に悲しい。
そのおじさんちというのは、日用雑貨や食品、駄菓子等を売っていた小さな商店のおじさんち。
特に血の繋がりはない。
そのおじさんは、私達きょうだいをとにかく可愛がってくれた。
弟が、お店の外に置いてある空き瓶の残りのジュースを必ず飲もうとするので、私が弟の頭を叩いて怒った。
「てめぇ!今度やったらブッ56すぞ!」
私は、いつも親に言われていることを
そのまま弟に言っていた。
完コピです。
確実に、親の使う言葉は子供達は外で言ってます!子供は全て聴いているんです。お父さん、お母さんは言葉は大切にしましょうね 笑
おじさんが出てきて私と弟にこういった。
「そのジュースは、お腹が痛くなるから飲んじゃダメだよ」
「おじさんのお手伝いをしてくれたら、新しいジュースがお駄賃だ!手伝うか?」
てつだうーーー!!!
私達は喜んだ。
冷蔵庫にジュースを入れたり、
卵を並べたりした。
今考えると、とても簡単ですぐに終わるような仕事だけれど、子供ながらに働くのは大変だ!と思いつつも本当に楽しくお手伝いをした。
終わると、おばさんが作った蒸しパンとジュースをくれた。
その蒸しパンが季節ごとにおいもが入っていたり、ココア味だったり、ノーマルだったり、色々な味があってとても美味しくて初めて食べる味ばかりだった。
はじめて食べた蒸しパンのおいしさの衝撃は今でも覚えている。スーパーで蒸しパンを見つける度に、私はおばさんとおじさんを思い出すよ。
そんな優しいおじさん達だったが、私は一度裏切ったことがある。
たまご型のチョコレートがどうしても食べたくて、盗んだことがあった。
すぐにバレた。
おじさんは怒らずにこう言った。
「チョコレートが欲しいのか?」
私は無言で頷いた。
「お金をもっていなくて、買えない時、それでも欲しくなってしまった時、おじさんに言いなさい」
「なんて言えばいいか分かるか?」
私は正直に答えた。
このチョコレートがどうしても食べてみたい。この紙(包み紙)が可愛いいから欲しくなったの…ごめんなさい。
おじさんに怒鳴られると思った。
ガッカリさせてしまった。
悪い子だと思われた。
もうおじさんは、
私とお話してくれないかもしれない。
どうしょう…
急に不安になって泣きたくなった。
私はなんてことをしてしまったんだと
後悔していた。
おじさんの顔を見られなかった。
父親に告げ口されたらどうしょう…
殴られる…
頭の中でグルグル怒られるイメージをしていた。なんて言い訳しようか、そればかり考えていた。
恐る恐る顔をあげると…
おじさんは笑っていた。
とにかく笑っていた。
「うさぽんがごめんなさいしたからおじさんは許す!」
え…
「その代わり、チョコレートが欲しくなったらおじさんに言いなさい。お手伝いをして自分で働いて得るんだ!」
分かった!!
その日もお手伝いをして、チョコレートをもらった。
そのチョコレートは、中々食べられなかった。あんなに欲しかったのに。
開けて食べてしまったらなくなるのが嫌だった。その日から私の宝物のひとつになった。
おじさんは、私達きょうだいに色々なことを教えてくれた。
おじさんは、私の両親を悪く言ったことはなかった。
近所の人は、親の悪口を言ってきたり、私達を貶した。あの家の子と遊んじゃいけないと子供に言っていた。
恥ずかしかった。
悲しかった。
そんなこともおじさんは見聞きしていたのかもしれない。
私が、弟と妹、その下の弟の面倒を見ていることも知っていて、お店に手伝いに行くとみんなと食べなさいとおやつをくれた。
時に、妹や弟を連れておいでと言ってごはんを食べさせてくれたこともあった。
コロッケという食べ物はおじさんの家ではじめてたべた。
味噌汁をはじめてのんだのもおじさんち。
目玉焼きの作り方を教えてくれたのはおばさん。
うちの両親?
いつもいないんですよ。
居ても子供達は基本放置です!
彼女彼氏が来たら、基本外に出されます。雨でも、冬でも、夜でも。
酔っ払っている時は出なくてもいい時もあるんですが、必ずやらかすので私は弟達を連れて出ていました。
目の前に大きな公園があるので、
そこにいつも行って遊んでた。
おじさんの他にも私達きょうだいを気にかけくれた魚屋のおじさん、肉屋のおじさん、パン屋のおばさん、商店街のおじさん、おばさんには本当に助けられました。
今は、商店街もコンビニやマイバス、イオン、オシャレなカフェに変わってしまって殆どなくなっていた。
私達きょうだいが生きてこれたのは
時代のやさしさもあったのだと思います。
おじさんの商店も、私の実家も
周辺も土地開発で新しい街になっていた。
マンションが立ち並び、ファミレスと駐車場になっていた。
公園だけは昔のまま。
帰れる場所はファミレス。
街が変わっていくのは寂しいけど、
東京とはそんな街だ。
おじさん達に教えてもらったことは
忘れていない。
自分の言葉で自分のニーズを伝え、
交渉することを教えてくれたのは
おじさん。
風の便りで亡くなったことを聞いた。
でも、私達の心の支えになってくれた
おじさんとおばさんのやさしさは、
私の記憶に刻まれているよ。
またねー!
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