ゴールドメダリストさま15
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29、ロマの富豪層の御馳走は、色々なハムや、牛の尻肉や、豚の耳、ハリネズミの肉。陶器の水差しにはプラム・ブランデー。ウォッカにワイン。ジャガイモをスプーンで抉って獣脂を充したロウソクを焚いて虫が寄りつかないようにしていた。普通のロマはお酒飲めない。
30、ロマ同士の結婚でも持参金や疑惑や罪をめぐる怒鳴り合いのケンカもよくある話だった。
31、しばらく経つと更に厳しい規則が出来てロマは旅を禁じられた。市長はファシストのやりたい放題を黙認して、外の人間はロマやユダヤ人に10倍の仕返しをしてもいいことになった。一本の街頭柱で8人の人間を絞首刑にして見殺しにした。
32、そんなわけでパルチザンに入るロマが増えた。
33、ロマは定住型と放浪型と別れておりお互いに歪みあっていたが、ファシストに酷い扱いを受けて歪み合いどころじゃなくなり、一緒に暮らしていた。
34、ロマの放浪が禁止されたあとは、川岸の泥土手の内側に掘立て小屋を作っていた。立木に繋ぐようなはアシを編んだ網代壁をめぐらせて戦闘機に見つからないようにしていた。家馬車は何度も攻撃を喰らっていた。
35、じゃがいもと獣脂のロウソクを手作りして灯りを付けていたが、飢えたらその不味いじゃがいもロウソクを食べていた。服の切れ端や糸屑を根気よく擦り合わせてじゃがいもと獣脂でロウソクが出来上がった。
36、飢えで苦しんでも放浪型ロマは馬だけは食べることはなかったが、定住型ロマは馬も食べていた。放浪型ロマもこんな状況だから、定住型ロマが馬を食べるのは仕方ないと目を瞑っていた。ただ自分たちは馬を食べることはなかった。
37、赤(共産主義)の歌ばかりを歌うようになった。因みにゾリの愛馬の名前も赤だった。
38、ファシストとナチスを倒してくれるものならばアメリカだろうとイギリスだろうとどこでもロマは大歓迎だった。
39、家族が亡くなると3日間歌は自粛した。家族が亡くなると両目にコインを置いてから埋葬した。沢山のロウソクに火を付けて小川に流して6週間後故人は永遠に向こうの世界の住人になるらしい。
40、ロマにとってはロシア軍が最終的には戦争から助けてくれた。
41、高齢者や女性陣はパルチザンに参加出来る強い身体も体力なかったから、兵隊さんで負傷して母国に帰れなくて困っている方々を水面下で匿って助けていた。
Kristin HannahのThe Nightingaleと似たような水面下で人助けしていた方々の話が書いてある。
コラム・マッキャンのゾリの方が先に出版されている。Kristin Hannahはもしかしたら、このゾリを読んでいるのかもしれない。
42、ロシア兵はロマには優しかった。戦争が終わると勝利のパレードが行われてパルチザンには沢山の花が撒かれた。町へ出て音楽を演奏してお金を稼げるようになった。
43、 戦争が終わるとロシアの鎌をでかでかと手描きしたシーツが挙げられた。
44、フリンカ親衛隊の制服は燃やされて制帽は踏じられた。今度はフリンカ親衛隊が街街灯柱に吊るされた。
45、戦争が終わって街角のあちこちにはラッパ型のメガフォンが取り付けられて最新のニュースが流されていた。人集りになってみんな聞いていた。
46、教会は炊き出し所になってロマが列の最初に並ぶことさえ許されるようになった。身分証明書や缶詰の肉や小麦粉やコンデンスミルクまで支給されて、兵士はロマを市民と呼ぶようになりタバコの引換票を渡してくれて、大聖堂をスクリーン代わりにして映画が上映されて、何もかもが前代未聞だった。
47、パラシュート部隊を載せた輸送機が町の上空へ飛んできて、『新しい明日がついにやってきた』『ジプシー出身の市民たちよ、われらと集え』とチラシに書いてあり、農夫もロマを毛嫌いしなくなり、蔑んだ呼び名で呼ぶのをやめた。ロマが演奏したハープやヴァイオリンによる音楽が放送されるようになって、何百人の人もはるばる遠くからやってきた。
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