見出し画像

セカンドチャンス

先日、日テレの『ザ!世界仰天ニュース』という番組で、約20年前に起こった痛ましい事故、「JR福知山線脱線事故」についての特集がありました。死者107人という大惨事で、当時の衝撃はかなり大きかったですが、改めて事故の悲惨さ、事故が起こった原因が単なる人為ミスではなかったことの特異さを再認識しました。

事故の原因は、直接的には運転士の操作ミスでしたが、実際は、運転士を精神的に追い詰め、無意識に安全よりミスへの懲罰を避けることを優先させてしまった、会社の体制側の問題が引き起こしたようなものでした。

JR西日本では、当時「ヒューマンエラーはゼロでなければならない」という、非現実的な目標設定に沿って、厳しい教育(というかパワハラ)が行われていました。事故後は強く反省し、「ヒューマンエラーは起こるもの」という前提のもと、エラーが起こった時にタイムリーに報告する体制を整え、原因の究明と再発防止に注力できるようになったようです。

「私失敗しないから!」は、ドラマでしかあり得ません。
人間、どう頑張っても、絶対、何かしら失敗はします!

「失敗しない」というあり得ないことを目標にすることによって何が起こるかというと、隠蔽です。そして、失敗の隠蔽、失敗を失敗と認識しないことによって、失敗の原因究明・情報共有の機会を逃し、再発が防げなくなります。

ちなみに、「私失敗しないから!」はドラマの医者のセリフですが、医療ミスは、どのぐらいあるのでしょうか。

GoogleのAI(試験運用中)の情報によると、日本は、「2015年10月から2022年末まで(約7年間)に報告された医療事故件数は、合計2,548件」と、かなり少ないです。

同じGoogleのAI情報で、アメリカでは、「毎年10万人が医療ミスで死亡、毎年最大2万件の医療過誤訴訟が起こされていると推定されている」とのことです。1年間です。7年間だと単純計算で14万件、日本と比較にならない件数の多さです。

日本では「医者は絶対に失敗しない」ことが前提のため、医療ミスが認められることが非常に稀です。対してアメリカでは、「医者も(人間だから)失敗する」ので、訴訟に備えて医者は全員めっちゃ高額な保険に加入します。前提が違うので、実際にどちらの国の医者のミスが多いかは比較できません。ですが、どちらの方が医療ミスの隠蔽が多いかは推測できるかな、と。

日本では、ミスをすること、失敗をすること、過ちを犯すことに厳しすぎたりしないでしょうか。
過ちを犯したら、その後は一生罪を償い続けなければならない、または表舞台に出てきてはいけない、つまりセカンドチャンスを許さない。というか、セカンドチャンスの概念があまり馴染んでいないのかもしれません。

キリスト教では、「悔い改める人は赦される」ことを説いているので、キリスト教徒の多い西洋の国では、どんな人でも過ちはあり、真摯に反省しやり直そうとする人達を、暖かく見守る文化があると思います。失敗してやり直そうとしている人や、反省して謝罪している人に、「誰にでもセカンドチャンスはある」とよく言います。

反対にセカンドチャンスを認めないとしたら、世の中ガッチガチに正しい人と、間違いを隠蔽するいやらしい人だらけになりませんかね。しかも、きちんと過ちを認めて反省し、再起しようとする人は叩かれ、「正直者は馬鹿をみる」から、とりあえずみんな沈黙、という世界。

分かりませんが、間違いながら成長していく人間の方が、非の打ち所がなく全て正しい人間や隠蔽人間より、ずっと賢くて、優しくて、人間味やバランス感覚があって、常に学び続ける謙虚さをもつ、beautiful personではないでしょうか。

セカンドチャンスの概念、日本でもっと普通になればいいな、と思っています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?