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#7 大学4年間を振り返る

昨日1/12(日)、大学の恩師である池内さんの“還暦を祝う会”に参加してまいりました。

池内さんはもちろん、大学時代お世話になったOBの方々、先輩、後輩たちとも会うことができ非常に有意義な時間となりました。


こんなことでもないと大学時代を振り返ることもなくなったので、少し思い出に浸りたいと思います。


◾️高校3年時

関東の大学でバスケを続けたいと志していた私ですが、進学に関し他人頼りで自分自身の力で何とかしようとする気持ちが欠如していた私は、11月頃になっても行くあてもなく路頭に迷っていました。

そんな私を救ってくれたのが池内さんでした。

わざわざ母校(愛知県)まで飛んできてくださり、拓殖大学に誘って頂きました。

小学校の頃から日本リーグ(当時)マニアだった私は、当然池内さんの偉大さを知っていたので、あの時目の前に現れた衝撃は今でも忘れられません。

池内さんに恩返しをしたいという想いで拓殖大学への進学を決めます。


◾️大学1年時

同期には恐縮ながら、先輩後輩と比較しても、歴代の中でも私の代が不作の年だったことは間違いありません。

(入学当時、拓殖大学は関東二部に属していましたが先輩たちはそうそうたるメンバーが揃っていたため)

詳細は割愛しますが、これが大学バスケか… これが拓大の伝統か…  という不安で始まった大学生活でした。


◾️大学2年時

十何年ぶり?何十年ぶり?だったか、インカレ出場を逃します。

いろんなところから聞こえる不平不満、チームとして危機的状況だったことを覚えています。


◾️大学3年時

インカレ出場を逃すだけでなく、三部との入替戦までいきました。(二部のレベルがかなり高かったのもあるが…)

チームをなんとか立て直したいと、マネージャーになることを本気で考えたことも。

結局、“コートに立たなければ変えられるものも変えられない”と考え、チームを立て直すという信念は曲げず、コートに立つためプレーでもレベルアップすることを決意したのです。


◾️大学4年時

キャプテンを任されます。

シーズン開始時の円陣で“自分を犠牲にしてでもこのチームを強くしたい”と宣言したのを覚えています。

ゼロからスタート。

いや、マイナスからのスタートでした。

授業に出ること、時間を守ること、道具を大切にすること、監督の話を聞くこと、決められたメニューを決められた回数やること、練習の切替を早くすること、声を出すこと、バスケットを楽しむこと etc.

個人としての器、チームとしての器を大きくすることから始まり、幸いにも優秀な後輩たちにも恵まれ、そして何より同じ志をもった同期からの厚い支え・協力がありました。

運良く、入替戦無しの自動昇格の年だったこともあり、一部昇格を成し遂げることができました。




私は拓大バスケ部史上非常に珍しい、二部しか経験したことない人間です。

しかし社会人となった今でも拓大で良かったと誇りに思うし、卒業して何年経ってもこういった素晴らしい会に呼んで頂けることはこの上ない幸せです。

(代表挨拶だけは断固拒否させて頂きましたが!)



壇上で池内さんも仰っていましたが、

拓大に入って良かった

と思ってくれる選手が一人でも増えていってくれることを願っています。


そして我が日立金属ブルドッグスに、拓大から素晴らしい人材を引き続き送り込んで頂けるのを期待しています!







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