ちきゅう=みんな
全ての仕事は突き詰めたら同じになるんじゃないかな。
結局は、自分とつながり、他者とつながり、世の中とつながり、社会とつながり、ちきゅうとつながる。全てが一つになることへの道筋なんだと思う。
そこへの道筋を、ただいろんな角度から進めているだけ。
色んなご縁があって、この地球に生まれて、ばあちゃんじいちゃん、ばあばじいじの間から生まれた、母、父、から生まれてきた。
生かされているという気持ちで、感謝は忘れてはいけない。
一人一人に生きる意味があって、生まれてきた使命があるんだと思う。この世界にこのタイミングで生まれてきたことは奇跡であって、まず、それだけできっと人生大成功。
幼い時はきっと無邪気にただひたすらこのちきゅうの中の自分として、全体の一部としてこの世界を見ていたんだと思う。と、同時に見られてもいたんだと思う。
でもだんだんと、色んなものから色んなエネルギーを受けて、影響をうけて、自分が全体の一部だということも、色んな生命体からエネルギーをもらっているということも感じ取れなくなってしまっているんだろうな。
人間以外のみんなは、見てくれているのに。犬も、電柱も、木も、手袋も。でも人間だけは周りを見ない。感じない。悲しいな。
仕事はきっと、全てが一つになることへの道筋。でもその仕事というのは、一人一人の命が輝く仕事をしている時だけなのかもしれない。いや、言い切るのはよくないな。そこはきっとグラデーションみたいな感じ。
ライフワークとかよく言うけど、きっとライフワークって一人一人の命が輝いていることで、その光がちきゅうの全てを一つにすることに繋がっていくんだと思う。
だから最近、好きなことをやろうっていう風潮があるんだよな。時代はきっと少しずつ追いついてきているんだよ。このままじゃやばいって。本来の姿に戻ろうって。
好きな事って、自分の心に従っていることが多いから、命の輝きに近いんだと思う。だから好きなことをただやりまくればいいんだよね。
俺は性善説を信じている。だから、迷いながらも、好きなことをしながら自分と周りにただ素直に今を生きていれば、きっと命は輝き出すんだと思う。それが、平和に繋がるんじゃないか。
みんながみんな、本当は元々つながっていたんだってことが分かれば、争いなんて起きないし、あるがままで共生できるんだと思う。だって、相手を傷つけることは自分を、ちきゅうを傷つけることで、相手に優しく温かく接することは自分を、ちきゅうを大切にすることなんだから。
分かり合えないからとか、分からないから、ちゃんと聴こうとか対話しようとかあるけど、
そもそも「分かり合えていない」っていうのも実際は違くて。
ほんとうは「つながっている」という感覚。
もともとみんなつながっている。それなのに忘れてしまっている。つながりを感じなくなってしまっている。いや、つながりを感じなくなっていることすらにも気づいていない。だから対立する。孤独になる。いじめをする。排他的になる。
人々はわかりあえないから対話をするべきだ。ではないのかもしれない。あっているんだけど違う。もっと奥にレイヤーがあるんだ。
ほんとうは、
人々は元々つながっているから対話をするべきだ。だと思う。
そして思い出すんだ。つながっていることを。
俺が、演劇とかインプロに興味が強いのもきっと、そこにつながりを見出す何かがある気がしているからだ。
対話も、山も、演劇・インプロも、みんなでご飯を食べることも、全て同じなんだな。
最近はなんだかつながりを本気で信じている人によく会う。エネルギーがなんだかすごくて、とても魅力的な人たち。命を輝かせている人達。きっと偶然なんかじゃなくて、必然なんだと思う。会うべき人達なんだと思う。その出会いにも感謝して、大切にしたい。
全ては一体で、境が無くて、違いが無くて、つながっているんだな。
たまにそんなことも忘れてしまう。分からなくなってしまう。でもそんな自分も抱きしめながら、捉えながら、望む方向に進んでいきたい。
未知な方向にチャレンジし続けて、つながりを再確認し続けたい。
忘れたくないし、一生そこを追い求めていきたい。
そこに向けて、命を輝かせたい。
おわり
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