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チャヂャン麵は追憶の味?

 韓国にも中華料理はある。その韓国中華で、麵料理の双璧といえば、チャヂャン麵とチャンポンだろう。

 今回はそのひとつであるチャジャン麵から、韓国人の世代間ギャップを探ってみたい。

 さて、チャヂャン麵は、細かく刻んだ豚肉と玉ねぎなどの野菜を、チュンジャンと呼ばれる黒味噌で炒め、その炒めたものを茹でた麺玉の上にかけた料理である。よってスープはない。
 
日本の中華料理店でも、まれにあるヂャーヂャー麵を想像していただけるとよいかと思う。

 そのチャヂャン麵、値段は🐇谷が韓国の南東部にある都市で、日本語を教えて暮らしていた2010年代には、4000~4500ウォンほどだった。廉価なこともあって庶民の食事としてよく食べられているようだった。

 しかし、今でこそ普段からよく食べられているチャヂャン麵だが、昔はそうではなかったらしいのだ。🐇谷が日本語を教えていた学校の同僚で、60年代半ばの生まれの先生は、チャヂャン麵が好物だった。

 ある日、その先生の研究室を訪ねた学生が、ノックをしてドアを開けると、先生はチャヂャン麵を美味しそうに食べていたそうだ。先生は学生に、
 
 「これ、美味しいんだよ」と訴えかけるような口調でいったそうだ。

 学生は先生の態度とその口調に、驚いたような、おかしかったような複雑な印象を受けたようだ。実はその学生の反応こそ、世代間ギャップを表しているのではと、🐇谷は感じたのであった。

 なぜなら嘗てチャヂャン麵は、入学式や卒業式といった「ハレの日」に食べる料理だった。

 子どもたちにとってのご馳走であり、人気があったようだ。

 同僚の先生が、また幼い子どもだった1960年代末期から70年代の韓国は、今の豊かな食生活が楽しめる韓国に比べると、天と地ほどの差があり、ずいぶんと貧しかったようだ。

 だからチャヂャン麵は、当時の子どもたちにとっての「ハレの日」のご馳走だったのだろう。

 一方で、学生が産まれた90年代は、今ほどではないにしろ、すでに豊かで、チャジャン麵はありふれた料理に過ぎなかった。

 学生に、先生が抱いているであろう子ども時代の記憶や追憶を察するのは、むずかしいのだろう。それゆえ、先生の態度や口調に驚いたのでは、あるまいか。

 チャヂャン麵という大衆的で、普段よく食べられている料理だからこそ、世代の異なる韓国人の間で、世代間ギャップが表れているように感じられた。




 




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