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今年の盆はいろいろあったよ2

2023/盆2

山口へ

高速入り口を間違えて、次の入り口から都市高速に乗り一路広島へ。 広島に着くと深夜3時過ぎだったように思う。 そこから一寝入りして9時過ぎ頃に山口へGO 5月に父親の癌が判明し、あっと云う間に癌が進行。 抗がん剤治療も2度ほど行ったものの足がパンパンに腫れ、歩くのも難儀をし、 個人的な主観だけれども、抗がん剤を初めてから急速に病人感が増した気がする。 抗がん剤が悪いわけでは決してないけれども、僕から見るとそんな印象だった。 その日は14時過ぎに宇部の病院の緩和ケア病棟に訪問。 最早口を聞くこともままならない状況であり、目も虚ろではあったが開けてはいた。

せっかくギターを持ってきたのに…

母から「病院にギターを持って行っていいって言われたから持ってけ。」と言われ、 前に父にあげたギターを持って病院へ行った。 コロナのこともあり、病院は14時から16時までで2名のみが入室が許可されていた。 母と僕が病室に入り、東京から帰ってきていた弟とサキチヨさんはブックオフに出かけていた。 病室で父がコピーをしていた吉田拓郎の洛陽をコード譜を見ながら弾いてみた。 そしたら父は母に小さな声で「うるせぇ」と言っていた。 なんてやつだ。 息子が気を使って洛陽を弾いているのに。 ま、昔から父はそういうやつである。 ギターを弾くのは早々に止め、TVをつけて甲子園を見た。 丁度浜松開誠館と北海の試合をしていた。

最期の甲子園

試合はシーソーゲームという感じで1点を取って取られての良い試合であった。 父はどこを応援するわけでもないのに、TVのチャンネルを野球にあわせてる人だったので、 甲子園も毎年何かとチャンネルをあわせてたので興味はあったのであろう。 ベッドに転がって頭をTVのほうへ向けてボーと観ていた。 「父さん、ほら1点入って同点になったで」 「こりゃ、どっちが勝つか分からんで。ええ試合やの」 と声をかけるけれどももちろん返答はない。 ただ頭をTVのほうに向けて枕の位置がズレている。 看護師さんを呼んで枕の位置を戻してもらっても、またTVのほうを向いて枕をズラしていた。 白内障を患っており、視力が悪く眼鏡もしていなかったのでほとんど見えてはいないのだろうけれども、 甲子園の歓声のほうに頭を向けていた。 トイレに行っていた母が帰ってきてしばし父を挟み歓談。 2つあるナースコールのひとつが父の身体の下に入り込んでいたらしく何度か看護師さんが来る。

ナースコール

最初は「あれ?」って言いながら帰り、3回目くらいで「おかしいですね」と原因を探索し、 身体の下にあるナースコールを発見した。 3回目の誤ナースコールの際に看護師さんと会話。 母が「次男と長男の嫁も近くに来てるのだけれども2人しか入れないから…」という旨を伝えると、 看護師さんが「えぇそうなんですか。入ってもらって大丈夫ですよ。」と言ってくれた。 母は看護師さんから危篤状態になったら、家族は入れると聞いてたみたいなので、後から考えるともう、そういう感じだったのだろう。 そして母は弟とサキチヨさんを迎えにいった。 帰って来て4人で父に話しかけたりしていると面会終わりの16時となった。 16時になったものの母は看護師さんから「もう泊まり込みで病院に居てもよいですよ。」と許可をもらい、家に着替えなどを取りにいくことにした。

待っとってねって言ったじゃない

母が「じゃ、父さんまたすぐ来るけ、待っとってね。」と言い、その場を後にした。 着替えを取りに防府に車を走らせている最中、多分阿知須の手前くらい?で病院から母に連絡があった。 母は車を切り返し病院へ向かった。 20分ぶりくらいに病院に戻ると父の心臓は止まっていた。 母は少し泣いた。 本当はもっと泣いてもいいんだろうけど、気を遣ったのであろう。 看護師さんから家族が出ていってすぐだったと言われた。 母は「もう待っとってね。って言ったじゃん。」と言っていた。 看護師さんが先生を呼んできてくれて、脈をとる。 「8月14日17時18分です。」 と、父の人生の終わりの鐘を突いた。 母は疲れたような気が抜けたような感じでソファに座っていた。

弟と連係プレイ

そこから弟と手分けして諸々を進めた。 丁度弟が今朝、近くの葬儀屋を訪れて家族葬プランの相談をしてきており、病院に行く前に「このプランでいんじゃないか?」というプランを 確認していたので、僕は葬儀屋に電話し、送迎の手配をした。 弟がその間に死亡診断書などの家族のサインみたいなものをしてくれた。

ありがとう。看護師長。

看護師さんはその間に身体を拭いてくれて、着替えをさせてくれた。 一息ついて煙草を吸いたい。と思い、看護師長さんに「どこで煙草吸えますかね?」と聞いたら、「電子タバコですよね?本当は駄目なんですけど、 あの木の陰でここから見えなかったら吸っていいですよ。」と言ってもらった。なので、木の陰で夕陽を見ながら煙草を吸った。 この看護師長さんは父母が「すごいよく世話してくれるいい人だ」と言ってたことを思い出した。 煙草を吸って落ち着いた頃に葬儀屋の迎えが到着。 防府の葬儀場へ移動。 葬儀場までのルート取りに対して母が「この道で行くんじゃ!」と何か不満げであった。どうやら少し遠回りらしい。 元気にも見えるし、空元気にも見える。 葬儀場に着くと親戚も続々登場し、お悔やみをいただく。

2泊3日で泊まり込む

そしてこの日から葬儀場で2泊3日する。 割とアメニティが充実していた。 夕刻の死ということもあり、通夜は明日となる。 この日は別料金の消臭剤を父の身体の上に置き、12畳の畳の上で過ごす。 弟はずっと酒を呑んでいた。 ま、これは父が亡くなったとかそういうものではなく、習慣である。 次の日に葬儀プランの打ち合わせをして、防府の役所にお悔やみダイヤルというものがあり、そこに電話すると各部署で行うべき死亡時のやりとりが 一気に片付くということを葬儀屋さんに教えてもらったので、電話した。 3日後の15時半の予約が取れたので一安心。

坊さんに連絡(弟が)

弟は九州の坊さんに連絡していた。 うちは本家?が福岡の端っこ、大分との県境にあり、そこから坊さんを招聘する必要があった。 そして通夜。 情報と言うのは不思議なもんで親戚にしか伝えておらず、親戚には「家族葬にするから誰にも言うな」と釘を刺したにも関わらず、 近隣の方々がちょいちょい顔を出してくれた。 おそらく親戚の誰かが悪気なく情報を流したのであろう。 ま、田舎ってそんなもんなのかな。 坊さんは泊まるとこを用意すると言ったにもかかわらず、一旦九州に帰って行った。 のっぴきならない事情があるのであろう。と思っていたが妹は「多分呑み会だ。」と偏見を爆発させていた。 家族全員、特に凹んでいてもしょうがない。いつもどおり暮らすぞ。って空気があったのが有難かった。

いつも通りサウナへ

なので通夜の前に弟と牟礼の銭湯へ行った。 サウナに入りながら諸々これからのことを考えていた。 葬式の日は近隣の方々、父の仕事関係に方々が集まってくれた。 家族よりも泣いている方もいて、外では割といい人だったのだな。と思った。 もちろん家族にとっても経済的に困窮するような状況をもたらさないために働き、子ども3人大学に通わせるために 自営を始めるというありがたい父親であった。 ただその一方で度を越えた我儘っぷりは死ぬまで健在であった。 なので、愛憎入り混じる感じってのが正直なとこである。 それでも周囲の人に愛されていたことが知れて、子どもとしてそれを知れたことは良かった。 葬儀はつつがなく終わり、そんな愛憎入り混じる感情の長男に遺族代表の挨拶を任せたせいであろうか、 遺族代表の挨拶をするまで泣いていた妹が挨拶後、泣き止んでいた。

遺族代表挨拶

妹は「兄ちゃんの挨拶で涙が引っ込んだわ」と言われた。 そんな不味いこと言ったのだろうか?うーむ。 葬儀では昨日の夜、弟と考えた父が聞いていた好きだったであろう曲のプレイリストを作ったのを流していたのだけれども 音響設備がなく、アイフォンから流れる音楽をマイクで拾うという感じであった。 是非、スピーカーを導入していただきたい。そんなことを思った。 焼き場へ向かうみなさんへ最後のタイミングで吉田拓郎の洛陽を流してもらったのだけれども、司会の方のポケットに入ったアイフォンから 小さく洛陽が流れている感じであった。ま、でも洛陽で見送れてよかったのであろう。 そこから防府の焼き場に移動。 最後の別れの挨拶を済ませる。母も妹も泣くことはなく気丈であった。 そして焼き場へ向かい、棺を納める。 誰もボタンを押せなかったので火葬の緑のボタンを自分が押した。 「ありがとう。さようなら。」という気持ちを込めて一気に押した。 父さん、74年お疲れ様でした。

4歳児に好かれる

父が焼きあがるまで精進落としを喰う。 親戚の4歳児に異常なまでに好かれ、どこへ行くにもついてくるし、 過剰なコミュニケーションを求められる。 「やれ、抱っこしろ」だの、「リンゴジュースを買ってくれ」だの可愛いやつであった。 最後、骨を拾う時も親戚が骨を拾う時は自分が4歳児を抱えていた。 多分、次会う時には全く忘れているのであろう。

パンパンの骨壺

体格の良い父だったので骨もボリューム満点で骨壺パンパンに骨が詰まった。 その骨を抱えて帰宅。 簡易仏壇を作り、遺影を実家のリビングに飾って一息。 弟の提案で夜は焼肉を喰いにいった。

そして焼肉へ

母が「いつもならロースとハラミを注文してあっと云う間に出てたのに、今日はゆっくりいろんなものが喰えていい。」と言っていた。 そういうとこだぞ。父よ。と思いながら肉を喰う。 そしていつも焼肉の後に寄っていたという喫茶店でコーヒーを飲み帰宅。 次の日に広島に帰宅。 帰宅前に母以外の兄弟と共に銭湯へ。 サウナにて汗や他のいろんなこの3日間の何か溜まったものを流す。 こないだもそうだったけど、うちの弟は外気浴で寝る。 マジ寝をする。



ウサギライブ


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