あの日
3.11、東日本大震災により亡くなられた大勢の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された方々皆様の安全と被災地の1日もはやい復興を心よりお祈り申し上げます。
今日は3月11日、あの日である。私は遠く離れた九州の地で、どこか他人事のようにニュース速報を眺めていた。
程なくして当然出動したが、そこでの状況は周知のとおり筆舌に尽くしがたいものであったので、ここでは割愛する。
もう九年も経ったのかと思った刹那、当時の記憶が蘇る。いわゆるフラッシュバックの一種なのか。
さて私が記したいなあと思ったのは、「被災者は可哀相な人々なのだろうか?」という事である。
ボランティアや義援金、物資など、遠く離れた方々が被災地へなんらかの支援を行うことは非常に尊い行動であると思う。
公的機関が身を粉にして救助救援に当たるのは「当たり前」であるのに比して、自発的・献身的行動が出来るのは凄い事である。
それを踏まえて
被災地・被災者を食い物にする連中が居ることも確かである。
自覚・無自覚問わず糾弾されてしかるべきかと思う。ここでは「ほぼ」無自覚に食い物にする連中について言及したい。
・古着を山のように送り付ける奴
・それどころかガラクタを送り付けてくる奴
・自分の主義主張を押し付けに来る奴
・自己顕示欲を満たすために勝手な行動をして目立とうとする奴
まあ枚挙に暇が無いが、特に上二つ!
かなーり迷惑である。古着、それも使い古された肌着を誰が着るのか。ゴミは自分の所で捨てて頂きたい。古着というと程度の良いものを想像するだろう。君は甘い。世の中トンでもねえ奴がいるんですよ。ほんと雑多に段ボールの中に詰め込んで送ってくるからね。
で、ガラクタ 要らないから。ゴミになるだけ。家具とか食器とか。
あとやたら辛そうな海外製のインスタント食品(海外からの救援物資の可能性もあるが)
要らん。テメーが食わねえ物は被災者も食わん。
じゃあどうすればいいんですかという方もいるかもしれない。
煮ても焼いても食えねえ偽善を今すぐ捨てて、真にニーズある支援をすべきなのだ。
まず、どうしても物を送りたかったら新品にすべし。家のゴミを送ってはいけません(戒め)
なお、現地で不足している物資は行政からアナウンスされるケースもある。
97年のナホトカ号重油流出事故の際は、重油をすくう「しゃもじ」が不足しているとして、学校やその他機関でしゃもじを一斉に集めていた記憶がある(私の記憶力凄い)
脊髄反射的にモノを送り付けるだけが支援ではないと思う。情報をよく収集すべきなのだ。
ここで先の問いかけである。
「被災者は可哀相な人々なのだろうか?」
可哀相なのは間違いない。
だからといって過剰に同情したり、支援で送ったものは無条件で有難がって使ってくれるだろうなどという考えは果たして正しいのだろうか。
同じ日本人で、つい昨日までは同じ生活水準だった人々であり、近い将来復興して同じ生活水準に戻るのである。
自分が被災したらどうか。古着を着ざるを得ない状況もあるかもしれないが、惨めな思いはしないだろうか。(もっともそういう場所には古着より先に届けるべきものがあるが)
人には尊厳というモノがある。それらを鑑みることも、支援するにあたり必要な着意ではなかろうか。
Twitterでこんな書き込みを見たことがある
「〇〇に被災地支援で来ました!(給与発生)被災地の方にありがとうと言われました!ありがとうが身に沁みました!あれを聞いたら感無量です!」
こんな内容だった気がする。笑止千万である。
自己実現を被災地に求めるな。単なる企業活動を被災地を利用して売名するな。
先ず情報を。正しい支援を。
以上
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