九条林檎の血の色は
九条林檎のデビューからもうすぐ1年経つらしい。
私はあのオーディションで彼女を見つけ……いや、彼女に見つけられて以来のディナー(※九条林檎のファンの意)であるが、この一年間ずっと彼女を熱心に追えていたわけではない。
彼女の配信時間と私の日々の生活が噛み合っていないため、配信を視聴することは稀。ツイートを追い、たまにyoutubeを覗くのが精一杯。
それだけでも、この1年で彼女が随分と認知されるようになったことは分かる。
今後も本人が楽しんで、そして安定して人間界で生活ができるくらいの稼ぎを得られるよう応援したい。
いや、本当に、機材くらい経費でなんとかしてあげて欲しい。
さて、そんな中、彼女にしては珍しい深夜のゲリラ配信を運良く覗けたときのこと。
九条林檎の心音(らしきもの)を聞いた。
それは小さく、普通の鼓動で、ただ生きていることを示すもの。
だがこの鼓動はこの1年、多くのディナーを救った鼓動だ。
九条林檎の鼓動が今日も続いているという、その一事をもって救われるディナーは多いだろう。
そして同時に、この鼓動の糧はディナーだ。
もちろん”私”がいなくとも九条林檎は生きていく。
この記事を読んでいる”誰か”がいなくとも九条林檎は生きていく。
だが、ディナーという領民がいなくなれば、”領主たる九条林檎”は生きていけない。
ディナーはその名のとおり、この1年、九条林檎の生きる糧となった。
あの尊い鼓動の糧となったのだ。
そんな風に考えるのは自惚れだろうか。
自惚れだろう。
では自惚れてみせよう。
我こそは吸血鬼と人間のハイブリッド・ティーンエイジャー、九条林檎のディナーである。
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