BLUE GIANT を観てきた
漫画版の方を読んで、途中で止まってたんだけど、まさかのちょうど止まったあたりからの映画だった。
ネタバレあり感想です。
面白かったです。約束された面白さという感じ。
目標に一直線な直情型の主人公、実は自分を守ってしまっている天才、そういう二人にアてられた凡人。わかりやすくキャラクターの間に線が引いてある感じ。
友情、努力、勝利。栄光と挫折。破壊と再生。とか、よく言う感じの言葉で言えそうなものが詰め込まれていて。事故のシーンとかはほんと、嫌な予感通りに嫌な展開が来て、嫌だったんだけど。でも、期待を裏切らないし、わかりやすかった。
で、映画化されて気づいたんだけど、僕は漫画の方が好きだったかもしれない。最初はその理由がよくわかんなかったんだけど、多分、自分の想像で補いたい部分が結構決めつけられちゃう感じがしたからかも。
漫画読んでるときは存在しない、音、色、動きが、もう既知の情報として与えられてしまっていて、その分、その範囲というか、その情報起点でしか想像を膨らまさせてもらえない感じがあって。もちろん、映画の映像も、演奏も、音楽の素人や映像の素人が見聴きして感動するくらいすごかったんだけど。
でも、ここはこんな風に聴いてくださいね、というか。何なら、ここが感動するとこですよ、みたいな案内が強すぎる感じがして。おそらくは、ジャズという聴き手を選ぶような印象を持っているジャンルについて扱おう、しかも多くの人に観てもらえる作品を作ろう、とする場合は、なおさらそういう演出が必要になるのだろうな、とも思った。
そして、逆に絵だけで映画に相当する情報量を伝えてたんだな、っていう、漫画の方への感動にもよく気づかされるような内容だったと思う。
個人的にリアルでいいな、と思ったのは、凡人のキャラクターが選ぶ楽器がドラムだったってところ。
正直、ピアノや管楽器と違って、鍵盤を持たない類の打楽器は、初心者が一定の訓練を積むことによってできるようになる伸び幅がでかいと思う。もちろん、「ぽいことができる」レベルと、「できる」レベルの間にはどの楽器であっても大きな壁があるけど。でも、「ぽいこと」レベルへの到達しやすさはドラムが一番大きいと思う。
で、ドラムがグダグダなのに他の楽器だけで帳尻が合っていく最初のライブのシーンは、もうあれどうやって録ったんだろうっていうくらいリアルで、胸がうっとなった。ドラムやるとみんな味わうあれ。他の楽器でもそうなんだろうか。
楽器に限らないのかも。自分が台無しにしているようで、でも、居なくても回っていくような。きついよね。でも、そこを辞めずにやり遂げるというところで、単なる視点役凡人ポジへの共感を超えて、みんなあのキャラを好きになるだろうな、と思う。
そんな感じでした。作品自体の持つパワーを改めて感じたし、音や映像が付くということの意味みたいなものを感じるような作品だった。
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