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人を買う。


やーまん
お久しぶり。

前回の投稿よりだいぶ間が空き、気づけば年も跨いでました。笑


理由はそんなにないんですけど、やっぱりコロナ第1波が終え、次第に外に出ることが増えてきて自分もいろんなことを前に進めなきゃいけなくて…

自分の考えてること、思っていることを直接人に対して話すことで精一杯で、noteに向かって余裕を持って文字を並べている時間がありませんでした…笑


年も明け、もう春一番も終わり、桜の蕾が今か今かとパンパンになって待ち侘びてる最近は、急に暖かくなってきてシャツ1枚で出掛けられるようになりまして。

もうすぐ4月。周りのみんなも新しい一歩、いや、ほんとに今回の一歩は今までとは全く違う一歩になる予感。それを踏み出していき、人生第2章へ入っていくと思います。

僕はというと、まぁ個人的に大きな決断はした年始早々でした。yap。進むしかねぇ!って感じです。笑

 
てなわけで、またぼちぼちとnoteの方もぽつらぽつら綴っていきたいと思います。

とにかく人生気楽に。楽はしたくないけどネ。
これ大事にしてます。


今回は

「人を買う」


人を買うって言っても、人は買いませんよ?人身売b......じゃなくてです。

ここ最近のこと、僕はいろんな写真作家の写真を見に行ったりすることが好きなんですけど、特にこの人!って人は特別にはいません。
もちろん、好きな方はたくさんおられるのですが、どちらかと言うと「こういう写真の雰囲気」の方が好んで選ぶことが多いです。

絵画でいうと、印象派の面々が描いていた絵のような写真。
僕自身は「印象・日の出」。あの絵を写真で撮って表現したいと思ったのがきっかけで、ライフワーク的立ち位置として海での写真に重きを置いています。

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そんな写真展での一コマだったのですが、

たまたま他の写真作家の方が居合わせていた(名前はすいません。わかりませんでした)ので少しお話をさせていただきました。

僕は聞きました。

「写真の値段の相場はある程度わかるんですけど、この値段の塩梅はどのように決められるのですか?」と

すると

「んー、人だね。」

とだけ答えてくれました。


これが答えになっていたか、話のキャッチボールができていたかは置いといて
ただ、なんだかすごい核な部分をついてる返しだった気がしました。

そもそも写真を売る買うというのは自分が値段をつけるより、オークションのように競売形式で買い手が値段をつける方が性に合ってるものだと思います。

いくらいい写真だったとしても、やはり買う買わないは買い手の自由。
ならば、いくら出して買いたいと決めるのも買い手の自由であってもいいべきだとは思うが、写真を売る買うっていうものの本質はそういうところではないのです。

もちろん、そのような形で売買されることもあるし、それはそれで正解であると思います。

極論、何万円も出すくらいなら同じような写真を自分で撮りに行って飾ればいいだけの話です。
そんな簡単なことを思いつく間もなく気づいたら手に取ってた。それが「人で買った」一番の証拠だと僕は思います。

ある意味、必然的に買う運命だった。
そう言えるのではないでしょうか。

これは、クライアントワークでもアートワークにも共通する話だと思います。
僕自身、写真が上手いとかあんまり気にしません。そもそも上手いとかないと思うタチなので。笑
僕の中のいいなって思うものと、ん〜って思うものはもちろんありますが、誰かがいいって思えばその写真はいいんです。
要するに僕はそんなとこに拘りすぎるより、対「人」に向けて自分のエネルギーを注ぎたいです。

その結果がいつか、僕を「人」として買ってくれることに繋がると思うからです。 

最近はSNSから仕事を得ようとするカメラマンも多いです。
現代らしいし、誰にでもできそうだけどそういうわけでもないからすごいと思ってはいますが、僕はそこをフィールドには絶対したくないです。
副業狙ってるわけでもありませんし、顔もわからない人が顔もわからない人からしか仕事を貰えない、得ようとしない。僕は嫌です。

ズバリ
写真だけじゃない。
人で買ってもらえるような人になりたいです。


まだまだ人生長い。
あっという間だよ、とか言う人にはなりたくないです。

地道にゆっくり、気楽にじっくり。


またいろんな思いつきを綴っていきます。


デハマタ。

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