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毎日を丁寧に。


こんばんは。


あっ!と言う間にGWが終わり次は梅雨入りを待つだけとなった今日この頃。
今年は特にGWなんてあってないようなものでした。
何をしたかといえば、ほんと今までと変わらないテンションで近くの友達と会って飯食べてって感じでしたね。笑

でも、今の僕にはそのくらいがちょうどいいかも。
なんだか今は色んな自分の「好き」に対してのパワーをグッと溜めるタイミングなのかな。って1人になるとよくよく考えます。

ほんと、良くも悪くも今は自分だけに向き合う時間がほとんどです。
僕にとっては今はそれがちょうどいい気はしています。20後半にもなってくるとだんだん自分本位だけではいかないことが増えると思っていて。

数年後に1人でやっていかなければならなくなった時、周りの色んな人と楽しく仕事ができるように今は下へ下へと根を張っていきマス。なかなか目に見える形で自分を表現できない時間が長くなりそうですが、今はじっくり。
そして

丁寧に。

丁寧に。

毎日を丁寧に。
あ、これはすごい大切にしている言葉です。

僕はあまり哲学的な心理を自身の中に植え付けることはしていない方の人間だとは思っていますが、この言葉は何となく心掛けています。

とにかく口酸っぱく母親によく言われてきたからだと思います。
何事も丁寧に。

でも、「丁寧」ってよくよく思い返すと普段はニュアンスでしかこの言葉を使ってないと思うんですよね。
そんなに深掘りしてしっかり頭の中で考えて、せーので発するワードではないです。

一重に丁寧といっても、精神的なのか物理的になのか、はたまた身体的に?

たいそう忙しい日というのは、誰にでもあります。

たとえば資料をつくる締め切りだ、あるいは今日のうちに大量の洗濯をし、衣替えを済ませてしまいたいという具合です。

そんなとき、あなたはおそらく目の前の「いちばん忙しいこと」に集中するでしょう。何よりそれを優先し、ほかのことは、それなりにすませます。

無我夢中でパソコンにデータを入力していたら、同僚が困った顔で話しかけてきても、適当に返事をし、それなりにすませる。

集中して衣服の整理をしていたら、子どもが何か尋ねてきても上の空で、それなりに答える。

はたしてそれでいいのでしょうか?

「無視していないだけ、ましだ」と思うかもしれません。

それなりに済ませても、大きな影響は出ないように見えます。

しかし、あなたにとって、資料づくりと一緒に働く人はどちらが大切でしょう?

あなたにとって、衣替えは子どもよりも優先すべきことなのでしょうか?


僕がよく読む松浦弥太郎さんのある本の中の一節です。

ここから汲み取れる丁寧は一つ。
目の前の物事一つ一つに心を込めること。

「それなり」を捨てることだと思います。

まだ僕もほんの少ししか生きていませんが、今までの人生で、「それなり」にやれば済ませれたことは数え切れないほどありました。
むしろ、「それなり」に済ませてきて目に見える形だけを優先してきたことがほとんどです。

そこの順序を逆さまに変えれたその瞬間が、「丁寧」になると思っています。

それで1日1つなにかを学べれば十分。
あまり欲張ると、キャパオーバーで本末転倒です。
頑張りすぎない丁寧。
僕はこれが自身のスタイルだと思っています。笑


おそらく独り立ちしたら数字により追われる生活になりがちになるかもしれないけど、数字だけを優先した先に多分本来の自分は一切居なくなっているであろう。
そんな悠長なこと言ってる場合ではないかもしれないけど、それを忘れているか心掛けているかがとっても大切になる。

質のある数字。とでも言っておきますか。

まぁ、兎にも角にも
「毎日を丁寧に」は人それぞれ色んな捉え方があると思うしそもそも意識してない人の方が圧倒的ではあるのですが、これを綺麗事と纏めてしまうのはこれまたお門違い。

周りの人が何を丁寧にしているのか。
気になるので今度聞いてみます。




金があっても、健康じゃなきゃ意味ねーよ!

久々に前に言われて思い出したこの言葉も大切にしていきます。笑


では。

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