なぜ将来に希望があるなんて思ってるんだ?

 先日、プルデンシャル生命のライフプランナー(いわゆる保険の営業)に転職した同級生と会って来ました。(まぁ、この記事を書き始めて大分下書き状態で放置したので、結構前の話なんですが……)その中で将来の事について問われて答えに困窮する場面がありました。
 急に、「自分の人生で実現したいことは?」と問われても、そうそう思いつきません。そもそも、二十代後半独身男性で今まで生きていて余りいい事がなかったから、Twitterで呪詛を吐いたり、noteに恨みつらみを書き連ねているのです。過去も現在もあまりいいものではないから、未来に希望を持てない。しかも、社会情勢もそう思えるようなものではとてもない。(数学的帰納法)(男の理屈っぽいのってサイテー)(EVE burst error)(←これ読んでる人間の何割に通じるんだ???)

 つまり、現在にも過去にもいいことがなく、未来にいいことが起きる予兆なんて全くない。そんな人間なのに「将来はどういう生き方をしたい?」と問われても答えようがないわけなのです。将来はどういう状態になりたいか?と問われれば、当然、幸福になりたいと思うのが自然だとおもいますが、じゃあどうすれば幸せなのか、それを具体的な手段に落とそうとすると答えに窮すると思います。一昔前の時代では、妻子を養い、一軒家を買い、「いつかはクラウン」で、カローラ→マークII(クレスタorチェイサー)→クラウンと車をステップアップしていくという、大衆のために「パッケージ化された幸せ」を、違和感を覚えながらも享受しなんやかんやで幸せにやっていくというのが日本人の一生だったのかもしれません。

 しかし、価値観の多様化した現代社会では「結婚して家買ってクラウン乗れば幸せになれる」なんていわれても、晩婚化・非婚化が進む現代では結婚するのが難しいし、クラウンも高額化し新車乗り出し700万で買うハードルが昔より高い(電子装備の充実により車両価格は上昇傾向にある)、家を買おうものなら数千万かかるなどといわれれば、そんなものは到底無理という話になってしまいます。

幸せになりたい、しかし、そもそもどうすれば幸せなのかわからない。日々を仕事と大衆娯楽で消費し続ける、そんな独身男性たちが、幸せになれる方法をみつけられることを祈りながら、今日はnoteを書き終えようと思います。