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ハイデガー 存在と時間1

SEIN UND ZEIT

中山元 訳
光文社 古典新訳文庫

理系の人間がある対象を眺めるときに自然にやっていることをひと通り文字に起こします

【先に個人的考察まとめ】
「ある(存在)」に対して「いる(生き物の存在)」や「する(随意性を伴う存在)」と比較しながら改めて「平均的な意味ではない『ある』」を考察
→(仮説)時間軸方向の不変性が「ある(存在)」の術後としてのイメージ/イデアを固めていると考えられる

問い「存在(ある)とは何か」
→「ある」ってなんだろう

【弁証法のメソッド】
「ある」の反対、「ない」から「ある」を眺めてみる?
→「ない」ってなに?
→「ある」かつ「ない」は存在する?
→「ある」または「ない」は存在する?
→ not「ある」と「ない」の違いは?
→not「ない」と「ある」の違いは?
面白い問いではあるが、このアプローチは厳しいか……

【帰納的なアプローチ】
平均的な理解が「ある」にはあるのでその中央値や輪郭部分を探る
「ある」という単語をどのように使用している?
「コップがある」
「クルマがある」
「本がある」
「時間がある」
「スペースがある」
「味がある」
「感想がある」
「予定がある」
「眠気がある」
「懸念がある」
→共通するものは何?ここから再定義できる?
物質・時間・空間・エネルギー・感覚あらゆるものに対してあるなしが言える

【演繹的なアプローチ】
「ある」に対する一般的な性質から考察
どんな可算名詞や不可算名詞に対しても語法として接続できる(気がする)
→例えば名詞ならなんでもあるなしが言えるということ?
例「町村さんがある」
意味は通じなくないけど、「町村さんがいる」というのが普通
「猫がいる」と言ったり「木が生えている」
生き物に対してはいる(動詞的なニュアンスのことが多い?)

【仮説】
動きのあるものに対してある/いる、ない/いないでも微妙にニュアンスが違う?
→より「ある」の方が不変性を持っていて、「いる」の方が流動性が増す?

【検証1】
流動性(時間軸に対して性質が変わる性質)があるものに対して「ある」はどのくらい言える?
・くしゃみ
くしゃみがある
→これはほとんど言わない
 →動的過ぎる?

・イベント
イベントがある
→これはよく言う
 →くしゃみとの違いってなんだっけ?くしゃみをイベントということはできないか?

・点検
点検がある
→これもよく言う
 →同じ流動性を持っていても「イベント」「点検」は定期的に行われ、「くしゃみ」はいつ起こるかわからない
  →じゃあもっとランダム性の高いものは

・コロナパンデミック
コロナパンデミックがある
→言わなくはない
 →コロナパンデミックが「起こる」の方がより言うか?
  →(追加の仮説)その人の認識として
  ・未来に「起こると想像できる」または
  ・その瞬間に「起こる」または
  ・過去振り返っても「記憶として残る」
  ものなら「ある」と言えるのではないか?

【検証2】
流動性(予測不可能性)のあるものを「ある」と言えるか

・「ナンパ」のよる術後は「する/される/された/ある/あった」
→「ある」も言うが頻度としては「する/される」といった人の随意性を反映する術後の方がよく使う

・「爆破テロ」のよくある術後は「する/した/ある/あった」
→これは個々の事象はどんなものかわからないけど、例えば「9.11爆破テロが"ある"ということはほぼ無くて"あった"」と過去の記憶に対する不変性で存在を語ることはある。

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