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今日の机20220705『信じてないけど願っている。』

久しぶりの日記。

20220705.

十日ほど前に弟が亡くなりました。

持病が悪化し手術や入院の連続。ここ一年は戦争でした。


私も覚悟はしてましたが、まさかこの日だとは思ってませんでした。弟本人もだと思います。


病院から連絡があった時にはすでに心肺停止。最後に会って握手した時、退院したらうまい肉を食べようと約束していました。


不道徳かもしれませんが私は神様を救い主として信じていません。(もともと、御守りも必要ない、大切なのは今ここの生き方であるという考えの宗派檀家育ちなので、弟の魂は儀式を必要とせずすでに穏やかだと思っています。)通夜や葬儀で述べられた御仏のご加護にも俯いたままでした。それくらいいろんな事に怒り哀しんでおりました。

最近の葬儀は、棺桶にメッセージを書くそうです。スタッフさんにすすめられ家族でいろんなことを書きました。私は天使の絵と、また会おうねとメッセージをかきました。


火葬納骨のあと住職から『白骨の御文』の話がありました。

老若男女、いつ死ぬかわからない、かなしいという言葉だけで語りきれるものではない、という内容でした。住職が棺桶のメッセージや絵のことを話されました。私は顔を上げそれに耳を傾けました。


書いているといろいろ思うのですが、ラジオ番組で聴いた「戦争の時でも日常を絶対に離さないこと」という言葉を胸に過ごしました。

感情はそれとして大切にして、憾んだり哀しみながらも、ごはんを食べて、たくさん寝て、散歩や読書をして、気分転換にボーリングしたり、青空の写真を撮りました。

先日、ファミレスに行き、弟と約束していたお肉を食べました。

メニューを見て、弟が選びそうなものを考えました。それを私が食べました。

コーヒーはBOSSブラック、烏龍茶はサントリーが好きで、差し入れに頼まれてたなぁと思い出します。

ドリンクを眺めるだけで、いつまでも弟のことを思い出す気がします。

食事はおいしかったです。


忌引きあけで仕事をした時、患者様からも優しいお言葉をいただきました。みんなそれぞれにご苦労がありながら、私を気遣ってくださるので恐縮し、素直に御礼を述べました。

前職の方々もお声をかけてくださり、本当に感謝ばかりです。


これからも弟と暮らすつもりでしてので、体や思考の半分がごっそりこ削げてしまってる感覚です。こんなになるとは思ってませんでした。想像以上にエネルギーを生きてる弟へ使ったようです。だいぶ落ち着いてきました。


長年生きたせいか、これからも私は生きて暮らしていこうと当たり前のように思います。ただ、どうやって暮らしていこうか、考え中です。


今は職場もあるし、生活も穏やかです。ごはんを美味しいと思えるし、映画を観て面白いと思えます。喜怒哀楽はあるので、大丈夫です。


人間っていつ死ぬか本当にわからないですねぇ。ただ、いざというときに貯金して備えようと思います。準備と計画、行動。何事も思いどおりにならない。

教訓です。


弟はいまごろ天国で温泉に浸かって美味しいものを食べていることでしょう。私は天国を信じていませんが、こういう風には願っています。


少しずつ元気になったら旅をして友達に会いに行こうと思います。絵本や物語も描いて、お手伝いもできるようになります。


とりとめない日記でした。
一言で述べるなら無念、でしょうか。

おやすみなさい。

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