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精一杯の弱音を掬って呑んで

私は私が好きです。

といっても
昔は 私が大っ嫌いでした。
人類で1番、自分という存在が許せませんでした。

なぜ許せるようになって、かつ、心の底から愛せるようになったのかはまたどこかでお話しするとして、

私は私が好き、故に、私のことを好きで居てくれる人、私のことを大切にしてくれる人も同じように好きで、
いつも大切に想っています。

私は相手に共鳴されやすい性質があって、

私のことを好きな人の気持ちの大きさは
私の気持ちも共鳴されて
同じくらいその人のことが好きになります。
(この話を友達にしたとき、それって相手からしたら強制両想いやんとこの前言われたのですが、まさしくそれだと思いました)

逆に、私のことを苦手だと言っている人は自然と自分の眼中からフェードアウトされます。


ここまで書いて、
自分ながらに
なんか都合の良い頭をしているなぁと思いました。

わたしという生き物は、人からの愛を全身全霊で受けられる体勢を取りつつ、自分が傷つきそうな棘には近づかないように心にアシスト機能がついてます。

これ、めちゃくちゃに生きやすくなる機能なんですが、
この機能が搭載されたのにはきっかけがあります。


たくさん傷ついたんです。自分で言うなって思いますが、人の痛みは人それぞれなんですが、自分には耐えられないほどたくさん傷ついて、それでもなんとか友達に支えられて生きてました。

痛みを心が学んで、
自分の知らぬ間に、
自分は自分の人生をうまく歩けるようになっていました。

昔、たくさんの現場で流された血の量だけ、現代においての安全体勢が整っているのと同じような感じです。

私は傷ついた過去を忘れたわけではありません。

転んだ傷が瘡蓋になって跡がなくなっても、怪我をした記憶はなくならないのと同じで、

とんでもなく悲しかった思い出をいつも記憶の奥底にしまっていて、悲しいことがあれば連鎖的に思い出して、
余計に悲しくなる時だってあります。

けどそれを後悔しているわけじゃないんです。自然に起こってしまったこともあるので後悔とか言っとる場合じゃないですが、
あれを経験したからこそ、私と同じ境遇の人の気持ちが分かるし、その分、人に優しくできる力があると信じています。

本当に辛いことも、本当に死にたくなったあの夜も、
楔のように現在につながっていて、
あの夜を過ごす今日を生きる人たちの心に寄り添うことができちゃうんです。しななくてよかった〜!

誰かの気持ちを理解できるというのは、それだけで大きな武器になります。

あなたにはあなたの人生があり、その人生を語るにしても、その物語を、全て理解し、わかってくれる人は

この世にあなた自身しかいません。

どんなに言葉が上手でも、その時感じたすべての細かい情報はあなた自身しか思いだすことができません。

今日を生きるあなたは今日を諦めたくなる誰かの支えになる武器を持っていることを忘れないでください。

どんなに非道な人でも、誰かにとって必要とされていて、不必要や無駄なんてこの世にひとつもありません。

殺人者がいることで、人が人であることを考える機会がふえます。大切なことです。
戦争があるからこそ、平和の大切さを刻むことができます。

これはあくまでも私の考えですが、

殺人者や戦争などの非道は、結局誰かが担うパートになっていて、たまたま自分の役じゃなかった。
というスタンスで生きてます。

運がいい。程度です。人生は野球と同じで何が起こるかわかりません。自分にいつなんの役がまわってくるかなんて誰も想定不可能です。

だからこそ、私はこの世に無駄なものなんてなくて、全てが必要不可欠だと思っています。
ただ何かの効率生を上げていくうえで生まれた無駄や不必要という言葉に惑わされないで。
あなたの取り巻くすべてを愛してください。

あなたの取り巻くすべてがあなた自身の全てです。




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