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水本ゆかりが師事するその人について


1、はじめに


「鎖の頑丈さは、そのもっとも弱い環によって測られる」という言葉があります。この発想を推し進めるならば、水本ゆかりの魅力やコミュの面白さは、そのもっとも不可解なものによっても紹介しうるかもしれません。

無神経にネガティブな話題を持ち出すようで恐縮ですが、よく考えてみると、もっとも不可解な水本ゆかりのコミュとはどんなものでしょうか。
記憶の引き出しをあちこちひっくり返してみた末、私自身が喜びよりも先に幾分の動揺を感じたケースとして、ふたつの場面を思い浮かべることができました。

ひとつは「《情熱的に》という指示を理解できなかったデレステ初期の水本ゆかり」
もうひとつは「生粋のフルート奏者である水本ゆかりに対して『楽器は歌うように弾け』とアドバイスするP」です。

ゆかり自身のフルートの腕前やその先生についての描写は、豊富であるとは言い難いながらも、少しずつ積み重なりつつあります。それらを再点検してみることで、このふたつのコミュについても新しい発見があればいいな――という動機から、私はこの考察に着手しました。

今回採用してみた仮説は「もしも水本ゆかりがランパルの孫弟子だったら」というものです。ゆかりのフルートの先生が実はジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)の弟子で、ゆかりはこの人から次代のヴィルトゥオーソを育てるためのレッスンを受けているのだとしたら? ――我ながらなかなか大胆な仮説ですが、作中に存在するどのような描写がこれを肯定し、あるいは否定するのでしょう?

以上のような内容について、ご興味をお持ちくださった方は、どうぞお付き合いください。


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2、楽器と奏者


フルートが主役の楽曲というのは、ピアノやヴァイオリンを主役にしたそれと比べると、数が少ないのではないかと思われます。それもそのはず、フルートが現代あるような形になってからまだ200年も経っていない(いわゆるベーム式フルートの普及したきっかけが1851年のロンドン万博など)のです。

西洋の天才的作曲家――たとえばモーツァルトなども、彼の時代におけるフルートには不満があると言明しており、その仕事の内でフルートを聴かせることを主眼に置いた曲は、思ったより少ないと言わざるを得ません。

では、そのような楽器が現在ソロでも披露されるようになったのはなぜかというと、楽器が改良されるにつれて天才的な演奏家=ヴィルトゥオーソが登場しはじめたからなのだとか。

ピッチを調整しやすくするために管を三分割し、管の素材を金属におきかえ、ホールをカバーで塞ぐようになり、さらにそのカバーをキイで操作する……こつこつと積み重ねられた改良は、常に演奏家たちからの意見を取り入れることなしにはありえなかったでしょう。そして演奏家たちの方でも、それらの工夫に目を輝かせたり、手に馴染んだものの方がよいと主張したりしながら、それぞれ自分の技を磨くことに邁進して、持論に実演という裏付けを積み重ねていったわけです。

彼らの活動とその可能性に触発された作曲家たちが、自らにとっても新しい挑戦として、フルートの名曲を世に送り出すことが増えました。また、演奏家でもあり作曲者でもあるような人物が、渾身の力をこめてフルートを活かした曲の完成を目指すことだってあります。ゆかりが様々な機会に聴かせてくれるソナタの数々も、そういった経緯から生まれてきたのでしょう。

一人の特定の人物に限定されない、幾層にも渡る人々の音楽活動のひとつとして、水本ゆかりが立つ舞台はあったと言えます。
十五歳の少女がフルート独奏会を開くことの意味はおそらく私が思うより重く、そのステージはきっと切実ななにかに捧げられていたのでしょう。人によってはその「なにか」のことを、ミューズと呼んだかもしれません。

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しかし見方を変えるなら、ヴィルトゥオーソがいなければフルートソロを披露する意味や場所がなくなるかもしれないし、そうなってしまえば過去の名曲が喪われるだけではなく、未来に生みだされるはずの名曲でさえ我々は喪ってしまうのかもしれない――このような危機感が、ある日突然、一人のフルート奏者の心を打ちすえるようなことも、全くなかったとはいえないでしょう。

もしかしたらゆかりの先生が、そういう人だったかもしれない――というのが、今回のifの先にある『こころ』のかたちのひとつです。


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3、真面目と情熱


ゆかりのフルートの先生は、自分のみならず弟子に対してもソリストとして在ることを強く要求しているようです。たとえばゆかりの台詞の中に「一曲、吹きましょうか? 田園幻想曲でも…」というものがあります。

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これはおそらくドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』を指しており、またゆかりが先生から骨の髄まで沁みこむレベルで叩きこまれた曲であろうことは、ほとんど疑う余地がありません。

この曲がマルセル・モイーズの教本でも推奨されたフルートソロの名曲であることは事実ですが、同時にゆかりの先生は、《情熱的に》という楽譜の指示などは「知ったことか」とばかり、教えずにすませてしまう人でもあります。

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ゆかりは昨日今日フルートを習い始めたわけではなくて、「幼少の頃より」フルートに親しんできました。ですから《情熱的に》という指示に遭遇したことがない事態は想定しづらく、すると先生は意図的にこの指示をスルーしてきた可能性がでてくるように思われます。
「型破りな指導スタイルをとってきた」とも推測されうるこの人物が、それでもこの曲を重んじている理由は、どこにあるのでしょうか。


ところでランパルは、フルートソロのレパートリーを増やしたいとの想いから、古楽や各地の民謡などにも大きな関心を持っていたそうです。その試みの例のひとつが、お馴染み日本コロムビアさんからリリースされたCDの中にもあります(※リンク先は『コロムビア・ヴィンテージコレクション5』を紹介した日本コロムビア公式ページです)。

この音源が制作された時とはいわないまでも、先生はこれと同じ趣旨からランパルとの知遇を得たと想定することができるかもしれません。つまり、日本の民謡をフルート向けに編曲するにあたって協力し、その代わりに『ある曲』についての指導を受けた――というのは、厳密に事実ではないにせよ、現実的にありえないとまではいえないものと思われます。

そしてその『ある曲』が、今は亡きランパルが来日の際に演奏した『ハンガリー田園幻想曲』だったとしたら、どういうことになるだろうか。
それは先生にとって大事な贈り物で、ぜひ自分の弟子にも継いでもらわなくてはならないものになるに違いない――そんなことを私は(いわば幾何学の設問を解くため補助線を引くのと同じ手法のつもりで)想像してみたわけなのです。


仮にこのような価値観を持つ一人の人物がシンデレラガールズの世界に存在するとして、そのポリシーと実際の行動がどの程度合致するものか、チェックしてみましょう。

ゆかりのフルートの先生が何事にもまして重視している要素は「情熱的かどうか」ではなく「真面目かどうか」だと思われます。デレステのコミュにおける「ロックは音楽のなかでも不真面目なもの」という衝撃的な台詞がその顕著な例ですね。

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 ロック愛好家の方はこの発言を見ていい気がしないと思われますが、このような発言が全くの偏見に基づくものか考察してみた結果、どうやら「木村夏樹でさえ、この真面目さというハードルを越えるにはSSR[FEEL SO FREE]親愛度MAXを待たねばならなかった」という解釈が成立するようです(これについては後半でもう一度言及します)。
 なつきちレベルのロッカーがごろごろいるなら、先生の言葉には妥当性が全くなく、弁護に値しないということになるでしょう。しかし「先生はなつきちレベルのロッカーに会ったことがない」あるいは「その域に到達しないロッカーが身内にいて憤慨していた(建設的か非建設的かはさておき、ゆかりの兄弟子あたりを相手に気心の知れたdisりあいをしていた)」ということであれば、先生の態度は褒められないまでも納得できる範疇の行動になるものと思われます。

 加えて、デレぽにおけるゆかさえのこのやりとりも、先生の気質をひそかに物語っているものと捉えることができるでしょう。

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 髪を振り乱して「ロックは不真面目!」と熱弁するような先生に対して、「ドーナツや空手をメロディで表現したい」と告白するのは、なかなか度胸が要ることなのではないかと、私は思います。
 叱られるかもしれませんし「そんなふざけたアイデアは捨てなさい。それより……」と流されても、それはそれでつらいものがあるというか。

しかし水本ゆかりは、この一線をどうやら越えたようです。もともとゆかりが(髪を振り乱すものまねを悪意なく披露する程度に)フルートの先生を信頼しているとみられるのもそうですが、この行動を呼び込む原動力としては『Kawaii make MY day!』のイベントコミュを想定することができるかもしれません。マストレさん相手に率直な想いをぶつけた法子ちゃんの姿が、きっとゆかりの心の中に残っているでしょうから。

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 その結果としてゆかりは先生から、叱られるわけでも流されるわけでもなく、真剣なアドバイスを貰った(激励された)としたらどうでしょうか。他でもないフルートのレッスンを受けた後、ゆかりが紗枝はんと夕食を取る時でさえ真剣に考え込んでいたことの、説明がつこうというものです。

 ここから先は推測の上に推測を重ねることになるのですが――おそらく先生は、まずゆかりの話しぶりなどから「真面目かどうか」を見たに違いありません。
 それが真面目であり実現可能性があるものならば、相談の内容が突飛であるかどうかは、先生にとってさほど問題ではなさそうです。そして先生は、「ドーナツや空手をメロディで表現したい」という言葉の真意と、それに関する過去の事例を、一瞬で了解したのではないでしょうか。

 私が思うにその事例というのは、ラヴェルの『ハイドンの名によるメヌエット』であるとか、エルガーの『エニグマ変奏曲』です。
 とりわけ後者の、身近で大切な人々の肖像を、さまざまなテクニックとアイデアを用いて譜面上に再現するエピソードは、クラシックに全く興味がなかった頃の私(※ミステリのオタクとして暗号に興味はありましたが)にも届いたほどです。
 先生はゆかりに対して「真面目にやりさえすればそれは可能です。たとえばエルガーは――」という感じの返答をしたものと思われます。

 ゆかりはこの返答を受けて、自身お気に入りのアイドルソングの歌詞を思い出し、「やってみよう!」と前向きになったのかもしれません。

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秘密の五線紙の暗号 「大好き。chu!」 気付いてね
                    ――『ましゅまろ☆キッス』

 以上のような流れの中に、シンデレラ劇場わいど・星花さん回の楽しい交流をおくこともできるでしょう。

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 ゆかりのアイドルとしての仕事は、フルートの先生からみても真面目なものだったと推測しうる――この考えは私にとってとても喜ばしいものでした。そしてフルートの先生が愛するハンガリー田園幻想曲もまた、ゆかりにとってはPに披露してみたい大切な一曲なのです。


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4、鍛錬と個性


 さて、ゆかりのフルートの先生にとっての「真面目」のお手本がランパルであるという仮定からは「この人はヴィルトゥオーソを育てることを真面目に悲願としている」ということも導き出せるのではないかと思います。

 そして、もしもゆかりの先生が「フルートのソロは超絶技巧によってかろうじて成立した奇跡なのだ」と考えていたならば、「超絶技巧を実現するような真面目さだけが情熱を担保するのであり、たとえ作曲者その人の意向であろうと、そこに指図は要らない(指図が必要な人間ではそれを実現できず、それを実現しうる人間には要らぬ指図である)」というような発想も成立しなくはないだろう――というのが私の想像です。

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 あるいは、こう考えることもできるでしょう。つまり、先生は《情熱的に》という楽譜の指示を、いつかゆかりが越えなければならないハードルとして機能させたのかもしれません。

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 このログ画像自体はグラブルに登場するフルーティスト・パメラ(CVはなつきちも演じていらっしゃる安野希世乃さん)のフェイトエピソードから引用したものですが、ノビヨ(植松伸夫氏をモデルにして御本人が声をあてたキャラクター)とゆかりの先生の問題意識は似ていて、自分の「情熱=音楽家を志した原初の感情」をそのままゆかりにコピーするような指導は避けたのだと採ることもできなくはなさそうです。

 いずれにせよ「コンクールに出るなら必須である以上、苦手でもなんとかなるように、手早く対策を叩きこんでおこう」というやり方は、全くこの人の眼中になかったように思われます。

 フルーティストにとって名曲とは一生付き合っていくものなのだとしましょう。ならばそもそも二、三年のスパンで小手先の技術を弄したり、昨日今日思いついた解釈を採用したところでどうにかなるものではありません。にもかかわらず重ねた努力の結果が超絶技巧であり、その努力を実現するのが真面目さである――というような解釈を、私は採りました。これは空手の正拳突きについてよく言われる話に似ている気もしますが(ストレートフルートっぽさ+1)。
 付随的には「学問に王道なし」さながら、教え子を誰一人として特別扱いしないところが、水本家のご両親の信頼を得たとみることも可能です。

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 私自身「そういう指導はバランスを欠いているだろうし、なにより万人に耐えられるものではなさそうだ」と思うところはあります。ですがその一方で、このような指導を行ったと思しき「この人」に対しては、否定しきれないものも感じているのです。

 私はこのフルートの先生について、「技巧あるのみ」を突き詰めた人だと仮定しましたが、その仮定の中にさえ、最後の一線でゆかりの個性を守ろうとしてきた形跡が同時に見受けられる傾向があります。たとえば前段の『Kawaii make MY day!』についての話以外にも、「これはもしかしたら」というものが見つかるのです。

 中でも私が気になっているもののひとつとして、デレぽのゆかゆかのりこポニテ祭があります。ゆかりがポニテ有香ちゃんを紹介する際にとったポーズは、フルートの先生がゆかりを紹介する時のそれと同じなのではないかと私は推測しているわけです。

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 最近、ゆかりはフルート以外のお稽古事もたくさんしていたことが判明したので、必ずしもゆかりがフルートの先生の仕草を真似たとは限らないのですが――今回の場合は、そうであったということにしてみましょう。

 するとこの場で「専ら演奏技術のみを伝えることに重きをおいている」と仮定してきたはずの先生の指導が、実は図らずその弟子を想うこころをも伝えているのではないか、という幸福な矛盾が生じることになるようです。

 このような人物のポリシーというか、その精神的到達点を想像するうちに、私は星輝子が述べた以下のような台詞にたどりつくのでした。

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「ユニットの活動で、わかったことがある。みんなで成功するために、自分を変えてもいいんだって……」

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「本当に大事なところ以外なら……かまわない。私がかっこよく歌っても、メタルが歌えなくなるわけじゃ、ない」

 もしかしたら、ゆかりのフルートの先生も、このような心境にあるのかもしれません。みんなで成功する=次代のヴィルトゥオーソを誕生させるために楽器を改造し、自分自身を改造し、果てには教え子さえも改造していくけれども、そのような鍛錬を経てなお擦り減らない「水本ゆかりの本当に大事なところ」がきっとあるのだと、信じているのではないでしょうか。

 ここで、先ほど言及した[FEEL SO FREE]木村夏樹+の親愛MAX台詞をごらんいただきたいと思います。なぜなら彼女はこのとき「木村夏樹の本当に大事なところ」を表現できたのだと考えられるからです。

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「自分の音楽が変わっていくのが怖いと思うこともあったんだ」

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「でも、奏で方ひとつ変えたくらいで、音楽は変わらないよな」

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「誰かに壊されるようなひ弱な音楽なら、こんなに叫びたいと思わない」

 面識などおそらくないにもかかわらず、フルートの先生の真面目と、星輝子の真面目と、木村夏樹の真面目は、ここで一致するようなのです。

 なつきちは「技術があっても魂がなきゃ意味ない」と考えている一方で、ゆかりのフルートの先生はおそらく「せっかく自分だけの魂の輝きを秘めておきながら、それを発揮するための技術を軽んじるのは、不真面目ではないか!」とお説教をはじめてしまうタイプの人であると考えられます。

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 こうしてみると、異なるジャンルの表現者であるふたりが目指すものの間に、互いの理解を拒んで埋められないほどの溝が、本当にあるのでしょうか?

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 自分に情熱があるかどうか、才能があるかなんて今はどうでもよろしい。それを考えるには百年早いし、なにより君は自分を信じて今日も私の前に立っているのだから。では、いつものレッスンをはじめようか。ーーゆかりが信頼するフルートの先生はそのような人なのではないか。そしてイベント『空想探査計画』におけるなつきちの言葉には、水本ゆかりが胸に抱いている「いつかきっと」という気持ちに通じるものがあるのではないかと、私は考えました。

 メタルもロックもクラシックも、それを演奏する人が真面目でありさえするなら、ジャンルの壁を越えて夢の共演を果たすことができるのかもしれません。さらにもうひとつつけくわえるなら、アイドルソングもですね。

 そしてPもまた、ゆかりのフルートの演奏を耳にして、アイドル活動の中でこそ表現しうる彼女の「本当に大事なところ」を予感しました。

 その瞬間のPの興奮たるや、傍目にみてヤバい感じのアレとさえ言えなくもない勢いでして、要は面識もアポもないまま少女一人の楽屋に凸するというデレステスカウトコミュ屈指のギリギリ行為さえ引き起こしてしまうのです(ああいうコンサートホールには楽器搬入口など出入り口がたいてい複数あるので、出待ちは難しかったという言い訳もあるのでしょうけれども)。

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5、『自由』を奏でるということ


 幼少の頃から先生のレッスンを受け続けてきた水本ゆかりは、その生来の負けず嫌いから水準以上の技巧を吸収して、ドップラーやニールセンの名曲を披露できるまでになりました。

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 そしてゆかりがニールセンを演奏したその日が、Pとの出会いの日であったことになります。これがゆかりとPにとって思い出の一曲であることは、最近登場1周年を迎えたSSR[音色を抱きしめて]においても、繰り返し述べられています。

 Pもフルートが好きではあったと思うのですが、しかしジェネレーションギャップがあったものか、彼の思い描いた代表的なフルート奏者はランパルではなかったようです。
 具体的に言うと、ランパルの弟子であるアンドレア・グリミネッリが、Pの想定するフルート奏者のイメージだったのではないかと、私は推測しています。

 たとえば彼は三大テノールのひとりであるパヴァロッティとともに『トゥーランドット』を演奏しました。そしてその『誰も寝てはならぬ』は、フィギュアスケートの演技などにおいても頻繁に選曲される人気の曲目です。多分、ゆかりも子どもの頃、両親に連れられてこの曲を聴きに行ったことがあったのではないでしょうか。最後まで起きていたかという問題については、その……ちょっとアレなのですが……(=『誰も寝てはならぬ』というタイトルの曲で寝てしまったので、なおさら悪いことをしたと思った説。おそらく会場までの移動で疲れてしまったのでしょう)。

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 フルート奏者である水本ゆかりに対して、おそらく門外漢であろうPが「歌うように弾け」といったのは、このグリミネッリからの引用だったと見ることができます。

 ハンス・ペーター・シュミッツの『フルートの歌わせ方』という著作も検索にひっかかったのですが、その専門性からしてPが読んだ可能性は低いでしょう。
 しかしグリミネッリの言葉はここ10年ほどの新聞社の記事やネット上のインタビューなどでみかけることができるのです(=ちょうどゆかりが幼少の頃にも、愛知万博をきっかけに来日公演していたことになります。もしかしたらこの時、Pとゆかりは同じホールにいたのかもしれませんね)。

 このように考えてみると、「楽器は歌うように弾け」という台詞自体はおそらくゆかりにとって(十中八九)聞き覚えのあるものだったでしょう。むしろ、ランパルの影響を受けてフルート独奏のレパートリーを増やすために古楽や民謡も渉猟したであろう先生から「フルートには語る(=朗詠する)ように吹く場合と、歌うように吹く場合がある」という教えさえ受けていたかもしれません。
 深読みするならば、水本ゆかりがかつて「トークのお仕事もやってみたい」とPに告げたことの背景には、「語るとはどういうことか。語ることと話すこと・歌うこととはどう違うのか」という疑問や関心があったととれなくもないのです(ちなみに[ネオンナイトギグ]木村夏樹から台詞を引用すると、なつきちにとって語ることは「旅の途中で見つけた輝きを束ねること」に繋がっており、それはゆかりと共演した幻想公演における「旅の仲間」を連想させるものでもあります)。

 では、著名な奏者たちが幾度となく繰り返してきたアドバイスと寸分たがわぬ既知の言葉が、どうしてこの時ゆかりを勇気づけたのでしょうか。

 ゆかりは「ランパルはランパルとして優れた人だが、パヴァロッティとの共演もまた今日のグリミネッリを作ったものだ」という経緯を前提として、「フルートの先生の指導だけでなく、アイドルとして体験した歌の世界もまた、ゆかりのフルートを豊かにしたはず(だから大丈夫)」というような意味を、Pのアドバイスから受け取ったものと思われます。要は言葉そのものというよりは、自分という存在を包みこんでいる世界に対する信頼が、彼女をリラックスさせたのでしょう。

 もしもPがゆかりをこのように支えうる人物でなかったならば、そもそもフルートの先生とやりあってアイドルレッスンの時間を確保することさえできなかったのかもしれません。

 いい年した大の大人たちが、ひとりの少女の進路やそのスケジュール確保をめぐって「ああでもないこうでもない」と頭を悩ませ、時には喧々諤々の議論を繰り返している――ちょっぴり想像してみるだけでも、痛快極まりない光景ではありませんか。しかも少女は、大人の思惑や心配もなんのそので高い垣根を飛び越え、その先にある景色をみて笑うのです。

 ところで、よく考えてみるとこれは、ゆかりPに限らず『シンデレラガールズ』の中で、多くのPが過ごしている日常のはずです。

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 そのような日々をさまざまな人々が過ごして、重ねあわせ続けたことが、この「自由で軽やかな音」にも繋がっていたのだろうと、私は思います。

 第9回シンデレラガール総選挙およびボイスアイドルオーディション、お疲れさまでした。目標を達成できた方、惜しくも涙をのんだ方、それぞれいらっしゃることと思います。しかしこの先、いずれの道にもほころぶ花のような笑顔をしたアイドルたちの姿がありますように。これからもお互い、自分らしいペースでアイドルたちを応援していきましょう。

 そんなわけで、シンデレラガールズ内でP活動をするうえで遭遇する他者性について、私なりに考えてみた内容のつもりでしたが、蓋然性が低い割にやけにつっこんだ解釈など、お見苦しい部分は多々あったことと思います。それでもなお最後までお読みくださった方に、改めて感謝申し上げます。ご読了ありがとうございました!(了)