見出し画像

水本ゆかりとギリシア神話 #2

前回の考察では、水本ゆかりとギリシア神話の関わりを考察するにあたって[ヴォヤージュヒーラー]に注目し、ゆかりとアルテミスが【零落した女神の物語】を共有し、そこから再び光をみつけることをお伝えいたしました。

ゆかりの場合は、この零落が「与えられるだけのお嬢様ではいられない!」という冒険でもあるところがポイントです。その意志の強さは、初回ロワイヤルにおけるエリアボスとしての台詞によく表れています。

さて、この初回ロワイヤルの上位報酬として登場したのが、[素顔のお嬢様]水本ゆかりです。その特訓後の姿について、私はこのように申し上げました。

実をいうと[素顔のお嬢様]は、ギリシア神話のエピソードにかなり忠実に描かれたもので「古代ギリシアのどの神殿で、どの女神に仕えた、誰をモチーフとしているか」まで読み取ることができます。

#1の内容を語り終えて 、この謎に挑む機は熟したといってよいでしょう。そこで以下に、3項目の簡略なチェックリストをご用意しました。さて、これらの条件に当てはまる神話上の人物とは、一体誰なのでしょうか?

―――――――――――――――――――――――――――――――

1)三日月のアクセサリと月桂の枝差し

このふたつからして必然的に、[素顔のお嬢様]+は女神アルテミスその人か、あるいはその巫女でなくてはなりません。

《その宮はキュントスの 丘の傍え/柔髪の 棕櫚の樹の陰、/月桂の 枝差しもよく…(呉茂一・訳)》

以上はレトがアポロンを産み、アルテミスが産婆役をつとめたデーロス島の神殿の様子を、エウリピデスが描写したものです。棕櫚が描かれていないのは、[素顔のお嬢様]で意図しているのがデーロス島の神殿ではないからです。

2)上下にセパレートした衣装と、貴金属製のガーターリング

古代ギリシアの女性はキトンと呼ばれる一枚布の服をまきつけていました。 つまり、[素顔のお嬢様]のような上下にセパレートした衣装は、通常ありえません。これは小アジアやトラキア、黒海沿岸の巫女をイメージしています。たとえば、貴金属製のガーターリングは小アジアの巫女から流行したそうです。

3)アクアブルーの八面体

ピタゴラス教団やプラトンによると、5種類しかない正多面体は世界を構成する5つの元素を表わすものであり、正八面体は風を司るとされていました。したがって、アクアブルーの八面体は「船出の風」を意味します。

これは必ずしも私の直感ではなく、同様の装飾品を付けた[ノーブルヴィーナス]新田美波+が一羽の鳩と共に描かれ、アルゴー船の冒険を支援したアプロディテ=ヴィーナスをイメージしているという裏付けもあります。


―――――――――――――――――――――――――――――――


どうでしょう、お考えいただけましたでしょうか。私自身ミステリ愛好家のはしくれであるがゆえに、みなさまと答え合わせができるこの瞬間を、ずっと心待ちにしておりました。

以上、3つの条件を満たす神話上の人物は、タウリケのイピゲネイアです。

イピゲネイアは、アガメムノン王とその妃クリュタイムネストラの娘です。
両親とも娘に甘かったようですが、母親に至っては溺愛の域でした。
イピゲネイアは人を疑うことを知らない清らかな乙女として育ちますが、その一方で実人生の事情に通じていたとはいえません。
そんな彼女も、人生これで最期という場面で、苛酷な運命に立ち向かう高貴さを発揮することになります。

イピゲネイアの運命が動き出したきっかけは、トロイエ王子パリスが、スパルタ王妃ヘレネを連れ去ったこと――つまりトロイア戦争でした。
アガメムノンからみるとヘレネは実弟の妻で、そのうえ自分の妻の双子の姉妹にあたります。そこで彼はヘレネを奪回すべくギリシア全土の兵を集めるのですが、さて敵は海の向こうだし軍船を出そうか、というところで問題が起きました。船出の風が吹かないのです。

邪魔していたのは女神アルテミスでした。その理由は、もともとアルテミスがトロイエに味方する女神だったことに加えて、アガメムノン王の傲慢(船出の地で狩りに遊び、弓矢の腕前をアルテミス以上だと高笑いした)を咎めるためだったと言われています。兵を鼓舞しようとしてはりきりすぎたんですね…。
その罪を償うため、アガメムノン王は愛する娘イピゲネイアを生贄に捧げなければならなくなりました。

イピゲネイアはそのような事情もつゆ知らず、父からの一報を受けて、船出の地たるアウリスに向かいます。
父の元に向かう理由は「英雄アキレウスとの縁談がまとまったから」でしたが、もちろんこれは嘘でした。あるいは「真実を話せば妻が娘をよこすまい」とアガメムノンがぼやいたところ、オデュッセウスからの献策を受けてそれに従ったとも言われています。
描写の数々によると、娘の良縁が決まったと聞いた母クリュタイムネストラは大喜びでした。イピゲネイアも幸せな気持ちで婚礼衣装に身を包み、母娘は揃って父の元に赴いたのだそうです。[※1]

ここでもう一度、[素顔のお嬢様]+の髪飾りを御覧になっていただきたいと思います。説明するのも心苦しいほどですが、この髪飾りはイピゲネイアの婚礼衣装の名残なのです。

遠目に見ると一輪の花のようですが、よくみるとアシンメトリなデザインになっています。朝露のように輝く球体は命に限りのある人間を意味し、はっきりいうとイピゲネイアの家族(大きな球体が両親、小さな球体は弟オレステスとふたりの妹エレクトラ、クリュソテミス)を表わしています。黄色い花弁は王女としてのイピゲネイアを、不滅の銀片は女神テティスの子アキレウスを表わすものです。これらがリボンで結びつけられているのは、結婚を意味します。

唐突なようですが、[素顔のお嬢様]の特訓前にはPの頭をなでなでしてもいいか訊ねてくる台詞がありますね。実はエウリピデス作品におけるアガメムノンとイピゲネイアの父娘間にも、これと似た場面が描かれているのです。
そこには、まだ若い父の膝の上でその髭をなでながら「老後は任せてね!」とはしゃぐ、幼い王女の姿がありました。

――――――――――――――――――――――――――――――

しかし偽りの婚礼で呼び寄せられた王女は、これから女神アルテミスの贄とならなければなりません。

事実を明かされたイピゲネイアの嘆きは悲痛でした。しかし兵たちはみんな彼女に冷たく、共感を寄せません。神話の中で現実的なことを言うのも妙な気持ちがしますが、出兵の段取りがどうのといったことは将の責任なうえ、生贄を求められる事態を招いたのは王の落ち度といえます。また、出帆を待つ間にも食糧の備蓄は減るのです。

味方は母とアキレウスだけという苦しい状況下で、イピゲネイアは自分なりに周囲の空気を感じ取り、そして理解していきます。
結局「家族(である私)を見殺しにしないで!」と父に言いながら、同じ口で母に「姉妹であるヘレネを見捨ててください」と頼むことは、イピゲネイアにとって正しくも美しくもなく、恥であるように思われました。
また、これから戦になれば命を落とす兵たちに対して、自分のできることはいったいなんなのか、とも。ノブレス・オブリージュという言葉はまだなくても、彼女はその概念の存在に、独力で辿りついたのです。[※2]

 生贄の儀式を中止させようと奮闘するアキレウスですが、直属の部下たちにまで背かれてうまくいきません。イピゲネイアは、もはやこれまでとアキレウスを労い、儀式の庭に歩を進めます。
この時に交わされた最期の会話で、アキレウスはイピゲネイアの決意に胸を打たれるのですが、それは自身もイピゲネイアと同じく、壮烈な戦死という運命を受け入れることに等しかったでしょう。

その光景に私は、ヴォヤージュヒーラーで描かれた物語の元型を見出します。生贄を求めるアルテミスが魔的存在、ギリシアのために命を捧げるイピゲネイアが聖なる存在だと解釈するなら、そうならざるをえません。しかし、両者は元来、同じひとつのものから分かたれた分身でもありました。[※3]

アルテミス自身、先史時代には供儀と聖婚によって王を世に送り出していた豊穣の女神だったものが、多数の神々で権能を奪い合う状況に置かれた結果、聖婚という儀式を主宰できなくなった経緯があります。

そして今、女神と同じく婚礼を奪われたイピゲネイアが、毅然とした態度で女神の目の前に立っているのです。これでなにも起きないはずがありません。

己と同じ境遇に立ち向かう乙女を見て胸を打たれたのか、アルテミスの心にもイピゲネイアへの憐れみと慈しみが芽生えます。つまりアルテミスとイピゲネイアはともに婚礼を失っても気高い者としてあり続けるという強い意志を持つがゆえに共鳴し、一体化を果たすのです。

犠牲の祭壇には身代わりの鹿だけが残り、イピゲネイアはアルテミスの風に巻かれて、遠く辺境の地タウリケへと連れ去られていきます。
イピゲネイアはその地で、アルテミスの聖なる巫女となりました。[※4]

――――――――――――――――――――――――――――――

こうしてイピゲネイアの神隠しで始まったトロイア戦争は、アキレウスの死を経てギリシア側の勝利に終わりました。しかしその帰途、英雄たちをさまざまな災禍が襲います。かのアガメムノン王にも、とりわけ血で血を洗う惨事が待ち受けていました。

まずクリュタイムネストラは、我が娘イピゲネイアを奪われた怒り(鹿とすりかわったので助かった、という話を信じていません)も冷めやらず、姦夫アイギストスの助力を得て、凱旋したアガメムノンを浴室で殺害します。

そして今度はイピゲネイアの妹・エレクトラが父の仇を討たんと欲し、弟のオレステスとともに、母とアイギストスを殺害する計画を練るのでした。
結果、「おまえを育てたこの乳房を刺せるのか」と問われた上で母を殺したオレステスは、復讐の女神たち(エリニュエス)に憑りつかれ、正気を失って世界を彷徨います。

苦しむオレステスを救ったのが、タウリケで弟と再会を果たしたイピゲネイアでした。 アルテミスの巫女となったイピゲネイアは、対立関係に陥った人と神の間に、和解をとりなすことができる存在となったのです。そのような存在を、我々は癒し手(ヒーラー)とみなすことができます。

また、イピゲネイアはアルテミスとともにギリシアと小アジア・黒海沿岸を風で繋ぐことで人々を導き、豊かさ(黄金や、ギリシアに不足している小麦)をもたらすことのできる存在になったともいえるでしょう。

―――――――――――――――――――――――――――――

アルテミスにせよ、イピゲネイアにせよ、ある文化圏の中心地とは多少の距離感がある神的存在です。しかしそれは彼女たちの一面にすぎません。
イピゲネイアは異郷の巫女であると同時にミュケナイの王女であり、アルテミスもまた東方の女神にしてオリュンポス十二神なのです。
満ちては欠け、欠けては満ちる月を司る彼女たちには、中央/周縁という世界システムを循環させる力が働いているかのようです。

そして水本ゆかりもまた彼女らと同様に、中央/周縁を自由に往復しうる存在として描かれているように思われます。
メロウ・イエローの一員として見せる「Kawaiiを求めて文化の中心地(原宿)に現れた地方出身の少女」としての姿はもちろん、ノーブルセレブリティの一員としてアニメ最終回に出演したこともまた、「サブカルチャーにインパクトを与えうるクラシック」という狙いがあってのことではなかったでしょうか。


――以上で、水本ゆかりとイピゲネイアの関わりについてはおおむね語り終えたといってもよいのではないかと思います。[※5] そこで改めて論点を整理した上で、#3につなげておきましょう。

もともとイエローリリー/純粋奏者/メロウ・イエローに代表される、現代的でポップなかわいさを求めていた水本ゆかりの新境地が、[清純令嬢]の属性である【令嬢】であり、また[ヴォヤージュヒーラー]の属性である【零落した女神(魔女/聖女)】でした。

[素顔のお嬢様]にはその両者の性質が混淆しており、さながら可能性の卵といったような様相を呈しています。この卵が孵化することで生まれるのがエアリアルメロディアです。

[素顔のお嬢様][ヴォヤージュヒーラー]を経た水本ゆかりは「風」「孤独な戦い」「癒し(人と神の和解)」といったテーマの数々に挑戦し、これを自分のものにしようと努めました。

しかし、これらの要素はいずれも、そのままでは権能の一部を制限されたアルテミスの域を出るものではありません。
まだ[エアリアルメロディア]には届かないのです。

オリュンポス十二神としてのアルテミスは全能ではありませんし、祭祀の笛や聖婚を主宰する権能などを制限されたままです。
ゆえにエフェソスのアルテミス大神殿を模したステージにエアリアルメロディアが登場するためには、水本ゆかり自身も「舞台でのフルート演奏」「婚礼のおしごと」というふたつの通過儀礼をクリアする必要がありました。なぜなら、それらは彼女にとって女神の祝福を知る鍵だからです。

フルートについては、[清純令嬢]で音楽と演劇の融合をめざしたことや、[クラシカルハーモニー]のリサイタルドレス姿が印象に残ります。
また、ぷちでれらの台詞の中にも、アイドルとしての舞台でフルートの演奏に挑戦する内容のものがありますね。

そこで次の#3では、ゆかりとアルテミス・イピゲネイアがもうひとつクリアしなければならなかったハードル【婚礼】について述べたいと思います。

ウェディングモデルアイチャレとLoveYell、二度のウェディングの仕事で二度もゆかりがフルートを奏でたことの理由は、どこにあるのでしょうか? その答えを突き詰めるためには、アルテミスとは異なる出自を持つ、もう一柱の女神についても、言及しなくてはならないでしょう。

その名はハルモニア、ハーモニーの語源となったテーバイ建国の女神です。


――――――――――――――――――――――――――――――――


[※1] アキレウスには「トロイア戦争への出陣を避けるために(母の頼みで断れず)女装させられた」という有名なエピソードがあり、彼がその正体を見破られた理由は、行商人が持ちこんだ品のうち、衣装や宝石よりも剣に夢中になっていたからだと説明されています。
しかしよく考えてみると、「女性が武器に興味をもつこと」はそこまでありえないことだったのでしょうか?
興味深いことに、エウリピデスの『タウリケのイピゲネイア』には「故郷ミュケナイのイピゲネイアの部屋には、父祖ペロプスがオイノマオス王を殺したその手槍が隠してあった」とオレステスが明言することで、お互いを姉弟と知るシーンがあります。
そこでここはひとつ、「一見おとなしいイピゲネイアだが、実は武具や戦士としての生き方に関心をもっていて、ひそかに発見したこの手槍を振り回して、得意がるようなこともあった」と考えてみるのも一興ではないでしょうか。
イピゲネイアも一応アルテミスの縁者ですから、狩猟の道具でもある手槍を気に入っても不思議はありませんし、彼女がアキレウスとの縁談を喜んだのも、天下無双の武人への憧れからでした。
こうしてみると、イピゲネイアの決意は押し付けられたものではなく、むしろ彼女自身の性格による不可避の選択だったと捉えることもできます。
同じくエウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』におけるアキレウスとイピゲネイアの最後のシーンで胸を打たれた人は多かったらしく、「アキレウスは死後、エリュシオンでイピゲネイアを妻として平和に暮らしている」というような説も、マイナーながら現代に伝わっています。
この注釈の内容と関連がありそうな水本ゆかりの台詞を挙げるとするなら、
私は「有香ちゃんの強さも、私は魅力だと思いますよ」というアイドルトークに注目したいですね。


[※2]イピゲネイアの姿をオペラで見て、非常に大きな影響を受けたのが、フルート奏者としても有名なプロイセン王フリードリヒ2世です。彼にとってイピゲネイアは、弟想いの姉ヴィルヘルミナと、自分のために処刑された親友、そして国家のためにあらねばならない自分の三者を同時に象徴するものだったでしょう。イピゲネイアは啓蒙専制君主の思想の源泉となり、王が七年戦争の孤立を戦い抜くための力を与えたといえるかもしれません。


[※3]ヴォヤージュヒーラーと素顔のお嬢様の最大の違いは、聖と魔の分離が何によって為されるかで、それはファンタジーと神話の違いでもあります。ヴォヤージュヒーラーの物語は「同じものが魔でも聖でもあるとしたら、それは最初に魔だったものが後に聖となったのだろう」という現代的/論理的な感覚に基づいています。その時間と空間の不可侵性は、犯人当てミステリにおいてアリバイ(現場不在証明)が重視される理由と同根のもので、これを無視すると逆に我々にはわかりづらく不条理に見えるほどです。 

一方、[素顔のお嬢様]が題材にする神話の世界ではどうでしょうか。こちらは洞窟で寝起きする原始人が、焚火の燃えさしを用いて、楽しい時の自分と苦しい時の自分を並べて壁に描くような感覚で、聖と魔を分離させます。それはコマ割りのないマンガにも似ていて、つまり一柱の女神の聖と魔は、分身を登場させることによって同時に表現されるのです。このような表現はイピゲネイアの物語に限らず、カリュドーンの猪狩りにおけるアルテミスとアタランテや、ペルセウス伝説におけるアテナとメデューサの関係にも見受けられます。

念のために申し上げておきますと、この違いは表現の優劣と関係なく、単に表現者が生きた時代の問題ですただ、水本ゆかり個人が全く異なるふたつの表現手法に挑戦して、いずれも成功を収めたと考えるなら、その経験の価値も自ずから明らかといえるでしょう。


[※4] タウリケは、現代の世界地図でいうと黒海北岸、ウクライナのクリミア半島あたりを指します。
[冬のハーモニー]水本ゆかり+もまたウクライナを根拠地とするコサックの衣装を着ていたことを考えると、紀元前13世紀と15世紀、およそ2800年の時を越えてゆかりは二度、ウクライナの装いにチャレンジしたことになります(私の説が正しければ)。


[※5]私が「おおむね」と言葉を濁したのは、意図的に表現されたものはおそらくここまでのはずなのに、まだその先があるように思われるからです。喩えるなら、あまりに貴重なものを蔵する金庫室が隠し棚を備えるように、ゆかりとイピゲネイアもまた共鳴しあい、二重の謎を抱え込んでいます。

ここから先は、神話の物語というより、真偽を検証しようがない謎を扱った歴史ミステリの範疇と受け取っていただければと思います。それでも構わないと仰る方のために、ここに注釈として書き添えておくことにいたします。

実を言うとホメロスが『イーリアス』と『オデュッセイア』を完成させた紀元前8世紀頃、それらの作品の中にイピゲネイアという名は現れず、該当するアガメムノンの長女の名前はイーピアナッサでした。
しかもこの頃の彼女には「トロイア出征に際して、アウリスで生贄にされた(がアルテミスに救われた)」というエピソードがありません。

そもそもイーピアナッサはホメロス以前から存在したオレステス伝説の脇役にすぎず、イピゲネイアは黒海沿岸の女神あるいはその女司祭の称号(アルテミス・イピゲネイア=強く畏く生まれたるアルテミス)だったのです。

初期のアガメムノンの娘たちは「父アガメムノンの仇として母クリュタイムネストラを討つ」という伝説の主人公オレステスを取り巻いて「よくやった!」とか「なんと恐ろしい!」とか「マジか!」とか、そういう合いの手を入れるために登場した三姉妹だったのでしょう。

その後、三姉妹の次女ラオディケは、オレステスとともに復讐を果たす助力者(=よくやった!係)として定着し、あるいはその役柄を演じた名女優にちなんでのことでしょうか、エレクトラ(琥珀の目)と呼ばれるようになります。
一方、三女クリュソテミス(黄金の秩序という意味)は、やや小心な常識人となって、復讐劇から降ります(=なんと恐ろしい!係)。
クリュソテミスの性格は、他の悲劇の脇役(たとえばアンティゴネに対するその妹イスメーネー)とほとんど変わらないものといえます。
では、長女のイーピアナッサはどうなったかというと、こちらは紀元前7世紀以降の叙事詩『キュプリア』の役どころが定着したようです。
『キュプリア』の作者は、アルテミス・イピゲネイアが生贄をどう扱うのかを伝え聞き、イーピアナッサと組み合わせたものと思われます。

このような変化が定着した原因のひとつは、古代ギリシア人が黒海沿岸に植民市を置き始めたのが、ホメロス以後の紀元前7世紀だったことです。
まずは穀物や奴隷を気安く取引できる植民市ができたことによって、黒海沿岸の風土に関心を持つ人々が爆発的に増えます。
さらに、実際の往来に伴って現地の風習が噂話として流れ始めると、それが叙事詩の新たな題材(アルテミス・イピゲネイア!)となったわけです。
こうした需要と供給の結果、古い物語に新しい情報を盛り込んで「マジか!」を提供するために、イーピアナッサはイピゲネイアとなりました。
さらに後年、『キュプリア』にヒントを得たエウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』と『タウリケのイピゲネイア』が公演されます。
エウリピデスは現代でいうと「ベストセラー作品の主人公の姉を、スピンオフで主役に大抜擢」みたいなことをやったわけですが、これら二作品が受け入れられた背景にも、やはり当時のギリシアの世情が色濃く反映されているものと思われます。
当時、ペロポンネソス戦争で窮地に立たされていたアテナイは、「ペルシア戦争の勝利をもう一度」というムードでした。
ペルシア戦争における勝利の原動力となったのはアテナイの三段櫂船で、これらの軍船を購入する資金源となったのが、ラウリオン銀山です。
ラウリオン銀山の鉱脈を掘っていたのはマケドニアやトラキアから奴隷として連れてこられた鉱山技術者たちでしたが、このような奴隷たちをアテナイに連れ帰ったのは、かつて政争に敗れて陶片追放された貴族や将軍でした。
かくして「一度は姿を消した者たちが、我々を助けに戻ってくる」という物語は、アテナイ市民の間で裏付けあるリアリティを持つに至ります。
「アルテミスの神隠しにあったイピゲネイアが、家族の禍を払うために戻ってくる」というお話が現代まで伝わっているのも、これら二つの要因が重なってのことと思われます。

イピゲネイアは紀元前7世紀の「ひたすら新天地を望んで外に向かう心」と、紀元前5世紀の「自らのルーツを力に変えようとする心」をともに受け止めた伝説のアイドルと呼んでも過言ではなく、イーピアナッサはその素顔であると捉えることもできるでしょうか。
そして水本ゆかりもまた、新しいものにチャレンジする心と、自分らしさを求める心をあわせ持つアイドルで、Pの前では「ひとりの少女」なのです。