見出し画像

アカギの最高なる歳期「無念!」と亡くなったアカギ。リアルなストーリー性が至高すぎる。そして、痴呆症になってもあの見解が出来る恐ろしい天才である。

アカギは
達成した!って死んだんじゃなく、無念って死んだんだよ。
でもその無念という概念が 「意味のあること」だと作者さんが伝えたかったことだって私は思うのね。

たとえば、農作物を朝早く起きて、夜遅くまで地道に育てていたとしても、その人が亡くなったとして、
あまり意味の無い事だったとするのよね。
それは私は思っていてさ。その現場を見て。
母親からちょうどそうゆう話を今日電話でされてさ。
いつこの山がなくなるかわからないのに、、だから自分はやり遂げたって強い思いが大事なのかなって言われてさ。
いやいや違うよって。
わたしは、じっちゃんばっちゃんの背中を見て育ったし、
その「心」が後々の人に残されていくんだよって言ったの。そしたら母親はあぁ、そうかって。
私はいつになってもあの人たちを超える人物は知らないしいないもの。
あの人たちがいたから残された家族の気持ち、これから前向きに頑張っていこうっていくきもちがつくられていくものだとおもってるの。
配信でもよく言ってたのね。
「自分が光になるべきだ」って。口じゃなくて行動でね。
人は意外とさ、何か言われたとかじゃなくて、その人を見て得るんだっておもってて。

意味の無い畑いじりかもしれない。
でも、
意味があるんだって。本人にとっても、周りにとっても。
農作物がなくてもさ、精神的に困難を抱えてる人、
役に立つ人になろう。
頭の良さとか、博識とかじゃなくて、震災の被害にあってる人の泥をスコップで運んだり。

役に立つ人になろう。感謝されたらきっと変わる。
これはね、わたしがそうだったから。孤独な自分が農作業を手伝ってそう思ったから。
頭でっかちとかどうでもいいんだよそんなこと。
体が動けばいいんだよ。