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「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし、そして40代の私

先日、Twitterでこの本の存在を知った。


「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし
https://books.rakuten.co.jp/rb/16754262/

現在BTSにどっぷりハマっている私は、フォローしているアカウントも自然とARMY(BTSのファンダム名)が増えていて、この本もARMYの方が紹介していたもの。

大学のゼミで朝鮮現代史を学ぶなかで、日常生活で日韓問題に触れて感じたモヤモヤを学生たちが共有し議論することで生まれた通称「モヤモヤ本」。

私は日韓問題と言えばニュースなどのトピックスとしては知っているものの、恥ずかしながら詳細はほとんど知らないままだった。

真偽のよく分からない情報をネットで断片的に見かけることはあったけど、ちゃんと知ろうとしたことはなかった。

よく知らない、でも知らないままでいいとも思えない。

でもどんなふうに調べたらいいのか分からない。

BTSやK-POPアーティストは日本での活動をほんとうはどう思ってるんだろう。

私のモヤモヤは主にこんな感じのものだったと思う。

漠然としたものではあったけど、この本を読めば知らなかったことを知れるかもしれない、そう思って購入してみた。

モヤモヤ本は、モヤモヤを解消する本ではない


この本に書かれている歴史については、歴史学で研究されてきたことに基づいて記述しているとあった。

断片的な知識しかない私にもとても分かりやすく書かれていたけど、読んでまず、自分があまりにも何も知らないことに衝撃を受けた。

日本が朝鮮を植民地化していたことは知っていても、その間に具体的に何がなされていたのか、またそれが現在どんな問題をもたらしているのかを、私はほとんど知らなかった。

現在は植民地ではないのだから、過去のこと。

そういう時代だったんだよ。

その程度の認識しかなかった私にとって、衝撃はとても大きくて。

また、執筆メンバーの真摯な姿勢や鋭い視点に感銘を受けると同時に、自分に対する羞恥心も湧き上がってきた。

こんな若い子達が真剣に問題に向き合っているのに、いい大人の私は何やってるんだろう…?

日本人として、大人としてこのままではいけない、そう思った。

でも、それなら私はこれから一体どうしたらいいんだろう?


昔の人がしてきたことを私たちが謝罪し続ければいいんだろうか。


そもそもどうすれば償えるの?


加害の歴史を学ぶことは反日だということになるのだろうか?

ダメな大人の自分を恥じながらも、やっぱりどうすればいいのか分からない。

いろんなことが次々に浮かんできて、読み進めながら考え込んでしまった。

モヤモヤ本は、読めばモヤモヤを解消できる本ではなく、また新たなモヤモヤを生む本でもあったのだ!


私のモヤモヤってなんだ?


知識を得ればモヤモヤが解消されると思って読んだら、解消されるどころかまた違うモヤモヤを感じることになった私。

ただ、読む前と後でモヤモヤの中身には大きな変化があった。

どういうことかよく分からないというところから始まったモヤモヤが、自分はどうしたらいいのか分からないというモヤモヤへと変化したのだ。

その新たなモヤモヤは、これまでのモヤモヤと比較にならないほど大きなものになった。

その一番の理由として、この問題が人権問題に他ならないのだと遅まきながら気づかされたことがある。

私はこの日本社会ではおそらくマジョリティとして生きてきて、人権が侵害されていると感じるようなできごとを経験したことがない。

最近になってジェンダーや国籍などの人権問題をよく耳にするようになったけれども、マジョリティの鈍感さで、人権を侵害されている人がいることが見えていない部分が多分にあったことは否定できないと思う。

それどころか、たとえ無自覚だったとしても人権侵害の加害者になっていたこともあったかもしれない。

それは、植民地支配のなかで著しい人権侵害を受けてきた韓国を始めとするアジア諸国の人々に対しても同じだと思う。

私はこの本を読んで、日本と韓国は対等な立場で「揉めている」のではなく、日本はれっきとした加害者側なのだと初めて気づかされた。

私はBTSを始め、韓国ドラマも韓国料理も好きで、最近は韓国語を勉強したいとも思っている。

でも加害の歴史を置き去りにしたまま、「もう過去のことでしょう?そんなことは関係なく韓国が好き!」とは、もう到底言えないと感じている。

でも具体的に今後自分はどうしていけばいいのかは全く分からない、というのが正直なところだった。

ただそれは、このままにしてはいけない、変えなければいけないという認識になったからでもあるんだと思う。

このモヤモヤは知れば解決できるといった簡単なものではなく、これからも折に触れ向き合っていかなければならないものなのだと思う。

自分が生きていく上でさしたる関わりはないと思っていた日韓問題が、自分の内面を問い直す大きなきっかけになった。


当事者性と想像力


この本を読んで数日後、オンラインでの刊行記念イベントに参加した。

執筆に携わったメンバーが執筆に際して考えていたことなどをZoomで聞くことが出来るイベントだったが、そこでゲストで登壇した平井美津子さんが語られていた「当事者性と想像力」というキーワードが、まさに今私に必要なものだと思った。

現役教師である平井さんが日頃から生徒達にかけている言葉だという。

ただ事象として歴史を学ぶのでなくて、生の体験談を聞き、自分に置き換えて考えること。

モヤモヤ本を読んだことは、私にとってまさにその学びの体験だったと思う。

そして歴史の勉強がただの暗記科目になってしまっているとの言葉が、高校生と中学生の子どもを持つ私には頭を抱えてしまうくらい重いものに感じた。

「社会とか歴史は暗記だから」と、まさにそのままの言葉を高校生の息子の口から聞いているからだ。

そこに当事者性も想像力もある訳もなく、試験が終われば頭のなかから消えていく程度の知識にしかならない。

過去のこと、終わったこととしか歴史を認識できなくなる。私がまさにそうだったわけで。

本の中でも触れられている「連累」という概念があるけど、こういった概念に行きつくのにも必要なのは当事者性と想像力なのだろうと思う。


「連累」、後世の人間としての責任の取り方


「連累」とは、

現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど、その過ちが生んだ社会に生き、歴史の風化のプロセスには直接関わっている。そのため過去と無関係ではいられない。過去の不正義を生んだ「差別と排除の構造」が残っている限り、現代人には歴史を風化させずに、その「差別と排除の構造」を壊していく責任がある。(本文から引用)


という概念のことで、こういった概念があること自体、本を読んで初めて知った。

謝罪や賠償と聞くと、言ってしまえば直接手を下した訳ではない現代の人間がどうすれば償うことになるのか、そもそも責任を負う必要があるのかと疑問に思うけれど、過去のこと、終わったこととしてしまっているから分からないのだと思う。

加害の歴史にきちんと向き合わず、なかったことにするのは、間接的であっても加担することになってしまうのではないかと思った。

つまり現代を生きる人間としてできることは、加害の歴史とそれによって生み出された人権侵害をきちんと認識して、過ちを未来で繰り返さないようにしていくことしかないのかなと思う。

平井さんはイベントの中で、

「自分のなかに今でも差別性を感じることがある。」

「それを払拭するには学び続けるしかない。」

と発言されている。

「これだけ勉強してきても、難しいと感じることはまだまだ多い。」

とも。

本の中でも、

「学べば学ぶほどモヤモヤは生まれる」

とあったり、イベントのなかでも、執筆中も出版後もモヤモヤしたり悩むことがあると言っていたメンバーもいた。

私はまさにその入口に立ったところだと思う。

モヤモヤ本はモヤモヤを解消できる本ではないと前に書いたけど、モヤモヤし続けながら自分の認識を見つめ直して自分のできることは何かを考え続けていくための指針になる本だというのが、私なりの正確な表現だ。


モヤモヤを共有することの、希望


我ながら支離滅裂で読みにくい文章だと思うけど、ここまで長々と書いてきたのには理由がある。

自分が感じたことを文章にすることで整理したかったからなのはもちろんだけれど、この本のことについては自分なりに思ったことをシェアしていくことが必要だと思ったからだ。

この本自体、学生たちがそれぞれのモヤモヤを持ち寄って共有したことが始まりで、歴史問題に留まらず現代社会や自分の内面についても考え直すことになり、それが多くの人の反響を呼んでいる。

歴史問題や政治に関することを話しにくい空気がある日本の中で、これちょっと気になるな、引っかかるなといったモヤモヤを感じても、それを周りの人と共有できる機会ってなかなかないと思う。

私個人の感想に影響力はないけれど、こういったことについて語る声のひとつになって、誰かのモヤモヤを共有できる場所がもっと広がっていけばいいなと思ったのだ。

イベントの中でも、この先どうしていけばいいのかとか、ヘイトスピーチに対してどう立ち向かっていけばいいのかといった質問が出ていたけど、ひとりで闘ったり何か変えようとするのではなく、こうしてみんなで共有していくことが社会を変える力になるのではないかという回答が出ていて、私にはそれがとても大きな希望に思えた。

これから先も何かにつけモヤモヤは生まれるし続いていくのだろうけど、共有し学びつづけることが、今私にできる最大のことのような気がしている。

ひとりでも多くの人がこの本を読んで、自分なりのモヤモヤを見つめ直すきっかけになるといいなと思う。

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