平成ライダーへの思いを綴った話

タイトルには語弊がある。あれは綴ったというよりむりやりぶつけたにすぎない。押し売り、当て逃げに近いなにかだったと思う。

先日「GOTCHA!!に感情を壊された話」をさせてもらったが、やはりそこからどうにも情緒がおかしい気がしている。人の愛情など、過剰な感情に敏感になっている気がする。
それがいいことなのかどうかは分からない。ただ、その感情を目にした時に自分の中にごくシンプルな一言が発言するようになってしまった。

感謝である。ネテロ会長が武を極めた先にあったものがそうだったように、愛とか喜びとか、死とか友情とかに対する激しい感情を振り回している人間に対して感謝が生まれるようになってしまった。
だが自分は特に何も極めておらず、もちろん感謝の正拳突き1万回などとてもやってはいられない。日が暮れるとかの話ではない。
しかし、理論はよくわからないが感謝は自分の中になんかしらのエネルギーが生まれるらしい。消費したり、貯蓄ができないタイプの放出型エネルギー。なにかの形で放出するしかないが、はたして正拳突き以外のどういう形で放出出来るのか、考えた結果が文章であった。

noteはブログともSNSとも認識していないので気楽に登録できた(人に見られるチラシ裏ぐらいにしか思ってない)。「GOTCHA!!」を見た感情をある程度放出できたのはnoteの影響が大きい。放出できてなかったらまたどこか拗らせてしまっていたと思う。これもまた感謝である。

脱線に脱線を重ねてしまった。
今回話したかった内容は壊れた感情の話でもないし、感謝の正拳突きでもない。懺悔である。

Twitterで昨年から面白い人をフォローさせていただいた。
いわゆる実況用、感想用のアカウントで、視聴している作品についてをリアルタイムで自身の喜怒哀楽を伝えてくれる。
ときに動揺し、ときに発狂し、ときに妄想し、ときに困惑し、ときに嗚咽し、ときに拡大解釈していた。
視聴していた作品は平成仮面ライダー。
全20作品を放送順を逆にリレーしていた。
ジオウからクウガまで、一年半ほどかけて走り切っていた。
端から見れば狂気の沙汰だが、どこから見ても正気ではないのは分かって欲しい。自分が発見したときにはもはや終盤戦、剣を見終わり555に突入しようかというところだった。精神をズタボロにしながらも剣崎一真の最後を見届けたその人は、終盤の展開に心を痛め、有給で傷を癒やしていた。
こんな面白い人間がいるなんてTwitterは面白いなぁ、などと軽い気持ちでフォローしていたが、流石に龍騎のパートに入ると情緒が穏やかでなはなくなっていき、クウガの頃にはもはや本当に完走できるのか見てても不安になっていた。

ところでTwitterにはマシュマロなる外部ツールがある。簡単に言えば匿名でメッセージを送ることの出来るツールで、そのアカウントに対して質問や一言、創作への感想などを送ることができるようになっている。文字数制限が千文字であることを先日知った。

察しの良い人はもう話の要領を飲み込んでいると思うが、そのとおりである。完走した暁に祝辞と感謝の念を込めてマシュマロ投稿させていただいたのた。千文字もの怪奇文書をだ。20余年の怨念の籠もった呪詛の如き文を。

…………。

お返事(というか匿名なので普通のツイート)的には悪い印象を持たれていなかったが、やらかした感が否めない。いや感謝を伝えるだけならもっと他に手段があったと思うんですけど、なぜかできるだけ容量の大きい状態でぶつけたかったんだと思いますあの時は。
ともあれ「これだからライダーオタクは」と言われかねない奇行にガッツリ走ってしまった訳なんですが、同時にまだこれほど重たい感情をコンテンツに向けられるんだと、安心もしましたね。
結局仮面ライダー以外に浸かり続けられるコンテンツがあまり見つけられていないんだけれど、それでも良かったんだなと思わせてくれた出来事でした。

やはり感謝は大事である。言葉にすることも。


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