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正義という狂気

ようこそ嬉しの森へ!しぃ乃です。

私は2011年の原発事故を受け、怒りをパワーに正義という凶器を振りかざして暴れまくっていました。

2013年、「たつたろうの一生」という物語を書いたことで怒りが緩和され、貼り絵で絵をつけて、5万円かけて1000部、ハガキサイズの紙芝居を作り、無料で配布してからは、怒りは姿を消し、このエリートによって作られた偽物の人間社会にどうやったらみんな気がついてくれるのかという、大きなお世話な偽善がむくむくと湧き上がってきました。

その頃、私は怒りと不安を打ち消すために正義という狂気の中生きているおばさま方の活動に参加していました。

子どもの未来のために戦う人々を見ていて、なんか違うとは感じていたものの、この狂気のような正義でしか戦えないと思い込んでいました。

2015年、日本国憲法を自分の言葉で訳すという作業をし始めると・・・・。

「子どもそのものが未来となり、そして大人になり家族ができ、その先の未来に繋げてくれるんだ!」という考えが私の中に入り込んできました。

私はその考えに大変納得し、すると大粒の涙が溢れました。

峠越えの運転中のことでした。

今思えば山の神様だったのかも。

今でもその場所を通過すると、ジーンと胸が熱くなります。

正義という凶器は狂気だと気がつくことができ、その日から未来のために子どもに優しく接するための努力を始めました。

でも、やっぱりイライラしてしまい、ついつい怒鳴ってしまう時もあったり、そんな時は落ち着いてから謝ることを意識的にしました。

日本国憲法を、自分なりに理解する努力を続けた結果、私のイライラとなっている種がなんなのかに気がつくことができ、そして日本国憲法がそのイライラの種を解消してくれたのでした。

それは、みんな頑張って生きていたということに気がついたこと。

生きることに頑張っていない人などいない。ということに気がつけた!

このことで私は大きく変わることができました。

だって、誰のことも責められないのだから、イライラする必要はなかった。

子どもたちだって、その子なりにみんな頑張って生きている。

生きるということはそれだけ凄いことなんだ!

正義は人によって違うのに、自分の正義だけが正義だと信じて狂気に変わる。

そんなことを知ってから、正義もなければ怒ることも無くなりました。

嬉しの森住人 嬉森しぃ乃


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