東急本店閉店とその思い出
昨日の1/31で東急本店が閉店した。
小学生時代渋谷区に住んでいた私は(社宅です)、東急本店の思い出は深い。
東急本店は「本店」だけあって少し格式高かったので、我が家には殆ど用事が無かったが、東急本店の駐車場はよく利用していた。
本店では毛皮のコートを着たマダムをよく見かけたけど、それもバブルと「本店」の格式だったのかしら。
エレベーターガールも居たしね。
恐らく週1回程度訪れていた渋谷は、いつも東急本店の駐車場からスタートしていた。
本店の駐車場に駐車→本店からバスに乗って東横へ→各自解散(電力館へ行ったり、サンリオ行ったり(本店に入っていた)、児童館行ったり)→母と再集合からの(マクでランチ)→東急プラザ(今とは違う)でB1ニュー・クイック(精肉店)で買い物というのがルーティンだった。
今書いた場所、全てなくなっている。。。
40年ってこういうことなのね、寂しい。
それは私が小学生(80年代後半〜)の思い出なのだが、大学生時代にはお隣りの文化村内の映画館、ル・シネマでバイトをしていた。(横浜に引っ越していたのでバイトに 1時間以上かけて通っていた。)
もう21世紀に入っていたというのに時給は810円。
大学の友だちの中でいちばん時給が安かった。(みんな900円以上のバイトをしていたと思う。)
それでも、ル・シネマの映画だけでなく、近くの映画館の招待券も無料でゲットできたので、留学するまでの2年ほど働いて、とても楽しかった。
そのバイト仲間のひとりが、オードリーの若林くん。
当時売れないお笑い芸人でフリーターだった若林くんが、なぜ時給810円のバイトをしていたのかは不思議だが、居心地が良かったのか売れるまで10年近く籍を置いていたらしい。
よくオーディションなどでドタキャンで休んでいたが、その本番を迎えたことは一切なく(私たちが観れる機会がなく)、まさかこんなに売れっ子になるとは思わなかった。
そんな彼がラジオでル・シネマ時代の話をしている事に嬉しさを感じた。