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「君の世界から見える景色が見たい」と言われた話

別に今更隠す気も無いのだけど、私は躁鬱病だ。朝起きて見える景色はグレーだし、人の言葉に酷く傷つきやすいし、「君の病気は治らない」なんて昔の男に振られ文句も言われた。私だって普通に生きていたい、普通に結婚して子供を産んで、帰ってくる旦那さんのために晩御飯を振る舞いたい。だけど無気力症候群のせいで料理は殆どしたことが無いし、ラインはもう何日も前からずっと開けていないし、人との関係もうまく築けない。彼氏とも続かない。絶望的に見える世界は私には酷く残酷に見えるし、空の青さはとてつもなく大きくて、落ちてきそうなほど重く頭の上にのしかかる。小さい頃はよく、紺色の雲と真っ暗闇な空を見上げながらあまりの壮大さに恐れをなして、走って家に帰ったりしていた。リビングの蛍光灯は電球色で、ホッとしたのも束の間、寝室の電気はすぐに消灯される。天井には星形の蓄光シールが貼られていて、眠る前は母親と星の数を数えているうちに眠りにつく。その頃わたしの朝はグレー色ではなかったし、母親はいつも早起きで、目が覚めればリビングの電気は煌々と輝いていたし、世界中に蛍光灯があれば良いのに、なんて祈ってた。酷く心配性で怖がりな私は、未だに怖い映画を見ることができないし、戦争や暴力表現のあるものは一切受け要られず、少しでも衝撃的な映像を見るとフラッシュバックして暫く眠ることすらできない。夢に何度も繰り返し見るようになる。夢はいつだって私の人生を左右する物事の一つで、昨日は津波で流される夢を見た。意味は「人生の破綻と大きな別れ、新しい人生の幕開け」。そう、私はまた大きな決断をして、それは意図せず夢占いの結果に寄ってしまうようなところがあるけれど、村上春樹「騎士団長殺し」の主人公の昔の奥さんのように、夢を見たから決断をするわけではない。私の世界観とか、見えてる景色をそっくりそのまま、君にも分けてあげられたらどれほど良かっただろうと思う。メガネのレンズみたいにフィルターがかかった自分だけが見える世界は、酷く悲観的で、誰にもわかってもらえないんだと信じているように見える。私の愛しい女の子は、あなたのことが心から好きだから、あなたの感性から見える景色が見たいんだと話してくれた。確かに、好きな人の見えている景色を一度で良いから見てみたい。それがどれだけ暖かくて、どれだけ残酷で、どれだけ美しいかを体験してみたい、だなんて想像していると、今日も私はずっと、同じ人のことばかり考えてしまっていた。何か幸福なことを想うときに、特定の誰かをいつも思い出してしまうことは幸せなことだ。それが例え、相手は私のことなんかちっとも思い出してくれなかったとしても。私はいつもずっと同じ人のことばかりだ。

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