国のカタチ論稿プロローグ2:「日本のカタチを考える」視点と現状認識

■はじめに

 すでに人口のピーク(2008年 1.2億人)を迎えて急激な減少時代に入り、超高齢社会に突入しているため、この状況の中では単に現状の問題解決を図るのではなく我が国の目標となる将来像を考えることが重要であると思います。
 かつての高度成長期等のようにすべてが拡大し、その拡大需要への対応が喫緊の課題である時代はその緊急的措置が優先されます。その過程では地域の発展のバランスをとること自体を大きな課題(そして、ある意味の目標)として、全国総合開発計画や関連の施策が講じられてきました。今後は社会の変化を先読みして、新たな目標を立てて、その実現に向けて計画・施策を立案することが必要であると思われます。
 さらにいえば、超高齢社会のモデルはまだ世界に無いこと、そして、真の人種を超えた共生社会のモデルもありません。欧米諸国では複数の人種が混在しているため多様性社会などと言われていますがこれは望んでそうなったものでもなく、真に差別が無いものではありません。植民地政策等を背景に受け入れざるを得ない状況であることにすぎません、
 したがって、今後の国の将来像は我が国自身の行方としての目標とともに世界のモデルとしても位置付けられるということです。
 その際には、予測的な意味が強い「長期展望」よりは「社会像や未来像」という目標となる言葉の方が良いと思われます。もちろん、従来よりは数段、難しくなります。
 これまでにない状況を鑑みて目標を立てることは要するに、「想像を超えたものを想像すること」という矛盾した難しいお題となります。
言い換えると「想像」から「創造」へと考え方を変える必要があります。
その意味では各分野の縦割りの専門家よりはクリエイティブな職種の若い世代の方々の方が適任かもしれません。しかし、一方で関連する分野での専門的な知識が想像・創造に影響しますので、難しいところです。
 従って、多くの専門家の役割はその知見により、分野ごとの長期的かつ正確な予測等を整理・提示することが大きな役割となるとともに総合的に将来像として創造する能力が問われます。この場合は個別専門家ではなく、個々の予測値などを十分に理解・咀嚼できる能力を保有している有識者等が活躍するのかもしれません。


■3つのカタチ(「社会」「国土」「制度」のカタチ)

 国の将来像は非常に多面的で複雑な議論を要しますが、本稿では「3つのカタチ」として構成して考えてみます。そして、外部環境として国際的な政治経済・地球環境面を考慮する必要があります。
「社会のカタチ」は目指す将来の社会の目標と言えます。「国土のカタチ」は社会の目標を国土空間や都市空間という具体の将来の姿です。そして、「制度のカタチ」はこれらを実現するための法制度面の方策です。
これら相互の関係も含みつつ、主要な事項例と検討の視点等を挙げてみました。


① 社会のカタチ 
 国の将来の社会像を表し、これが将来目標ともなります。ある意味、理念を表すものでもあります。理念がないハードや制度は持続しません。

国の統治形態:日本は幸いなことに2000年以上の一貫した統治のもとにありました。世界の多くの国々が数千年の長期にわたって、戦争や王朝奪還の繰り返しをしてきたことに比べて、内戦はあったものの大変安定した社会構造を維持してきました。これは大変重要で貴重なことですので、今後も継続して、まさに持続的社会を実現させたいものです。
 昨今、「SDGs」がはやり言葉になってきましたがこれまでの世界は持続的はなかったのであり、まさに日本の国の基本形を学ぶべきだと思います。
・社会の安定:上記に加えて、人種差別意識が無く、他を思いやる国民によるコミュニティは世界に見られないコミュニティでありこれも継続したいものです。
国の社会像はまずは個々の個人の生活の将来像に基づく:個々が「人生100年時代」をどのように人生設計するかです。単に「65歳で退職し、その後をどうするか、年金だけでは足りないし」ではなく、若い世代から健康管理を重視し、本当の意味で健康寿命を延ばしつつ、100歳までの人生の将来像を描くことが重要であり、それらにより社会像が浮かび上がるのだと思います。
人口減少対策としての外国人受け入れへの対応:すでに増加しつつ外国人との関係をどうするかです。これまでに無い真の多様化社会を創れる素地があります。また、かつての日本からの移民を振り返ってみることも重要です。
大都市、地方でのコミュニティ再構築:希薄な人間関係を望んだ大都市では今や終の住まいとしての濃密な人間関係ができつつあり、新たな外国人を含むコミュニティが重要となり、非個人型の地方の都市・農村等では、ストックを活かした都市型のコミュニティへの転換が求められます。
安全・安心:治安の高さはこれまで以上に維持することが不可欠であるとともに、災害危機への対応をこれまでの経験を踏まえつつ、強靭な社会とする意識がさらなるポイントです。
私権と公共の福祉との関係:憲法議論に遡るかもしれませんが、所有権や人権等の私権が公共の福祉に比べて強いと言われています。これにより様々な問題が生じてきていますので、これは欧米諸国での対応を参考にしつつ、再考すべきだと思われます。
少子化の抑制:少子化の最大の要因は未婚です。従って、人口増加を狙うのであれば、保育園の拡充よりは結婚の推進の方が効果があります。絵にかいたような熱愛の結果としての結婚はあまりないでしょうから、例えば、外部からの「余計なお世話(おせっかいな仲人等)」があれば促進されます。また、海外のように子供の認知や結婚自体のあり方を変えることも促進策ですが、どうでしょうか。未婚の母の増大により子供が増えたとして、それが目標とする社会像なのかをよくよく考える必要があります。

② 国土のカタチ

 社会のカタチを反映したインフラや土地利用などのハード面からのアプローチです。日本では国土計画が策定され、その都度、国土のカタチのイメージ・目標が策定されてきました。

インフラ整備と人口配置:全国ベースの人口予測値は諸前提の下にかなり正確にされています(ケース別)が、自治体別予測、すなわち、全国での人口配置はインフラ整備の影響・効果を踏まえて算定する必要があります。これに基づいて新たなインフラや諸施策を講じることが必要です。上述しましたが全国ベースの人口は封鎖人口(+外国人)レベルでほぼ正確に予測可能ですが、地方での人口配置はインフラ整備と土地利用等の関係を反映した均衡型のモデルでないと推計できません。その結果はおそらく、社人研の推計と思わぬ違いが出てくると思われます。複数のインフラ整備を前提にした人口推計をし、その結果を見ながら地方のあり方を考えるべきです。
一極集中構造:江戸時代そしてその後しばらくは大阪と東京との2つの異なる性格の2極構造でした。昭和の東海道新幹線の整備はすなわち、東京への集中を是認し、目指したものであり、現状の一極集中状態は必然です。経済圏毎に中心がありますので、新幹線整備によって日本全体が一つの経済圏となったので当然、中心は東京ひとつになります。農村から都市、都市から中心都市、中心都市から中枢都市への集中は必然であり、これは不可逆的として考える必要があります。その上での地方創生を考えることになります。従って、地方に多くの人口を戻す、多くの企業を呼びこむことにより日本全体の構造を変えることはは考えられませし、その意味もありませんのでその他の方法を探ることが重要です。
 リニアによるスーパー・リージョンも想定されていますが、大阪まで延伸した場合効果のあるのは主に岡山・広島エリアだと想定されますので、これで国土再編のカギと考えるのか、東海道新幹線の補完と考えるのかですが主に後者だと思われます。

 ・都市と農業・林業・漁業等を一元的に捉える:国土利用計画ではこれらが縦割りになっています。言い換えると行政の相互不可侵の約束事です。農業や林業そして漁業の在り方は大きく変化しているため、一度、すべての土地利用を包括的に見直すことが不可欠です。全総をつくり、列島改造計画の実質的な執筆者でもある下河辺氏は農業を重視しており、農業への積極的な取り組みを行う中で都市と農業との新たなあり方を構ずることが必要であると主張していましたが、まさに農業を見直しつつすべてを包括した国土計画とすることが必要です。下河辺氏が亡くなる直前まで、農業の再編を強く主唱していたことが思い出され、印象に残っています。
国際的地政学の中でのポジション:今後の日本の国土のカタチは国内の産業や社会構造の論理だけでは決まりません。国際的な地政学の中での政治経済面での関係が反映します。東西冷戦から中米冷戦、さらには各地域での宗教を背景にした紛争の多発など、国際秩序は変化しています。日本の新たな役割は大きいと思いますし、思い切った発想ン転換も必要だと思います。地図を逆さまに見るなど文字通り視点を変えると国土の在り方も違って見えます。例えば、以前、早大チームがこの逆さに見る提案で示したように日本海側エリアそして南洋諸島方向のエリアの重要性に改めて気が付きます。

③ 制度のカタチ

 近代的法制度を導入し以降、社会経済の変化の中で法制度は変遷してきましたが、新たな社会のカタチ、国土のカタチを実現するための新たな考え方や改正が必要となります。法制度や補助制度は非常に多くありますし、目標次第ですので、ここでは気になったいつくかの事項のみに触れます。
法律の抜本的改正:民法が120年を経て、ようやく大きな改正をされましたが、これまで当初の社会状況の変化に対しては特別法などで対応してきていますので、分かりにくくなり、使いにくくなるなど限界がきていました。民法も特別法で補完してきましたがさすがに限界にきており、昨今の大改正となりました。他の基本的な法律等も将来の社会像を目標にして大きく見直す必要があります。法律はあくまで国民生活・企業活動を円滑に進める、紛争の合理的解決を図るものですので、法の裁きは誰もが納得する常識的なものでなくてはなりません。憲法も同様であり、今後、早急に必要な改正をすることが望まれます。
社会のカタチや国土のカタチを目標にして制度のカタチが決まる:例えば、地方の自治体の破綻が今後増える可能性があります。英国では国に資金が無いため自治体はとにかく民間と連携して資金を確保する、隣接自治体と連携して他の地域との競争に勝つ等の厳しい取り組みを強いられています。中央官庁でさえ、オフィスは賃貸、自宅勤務等のコスト低減措置が取られています。その点、日本の自治体は交付金制度や豊富な補助金等の支援に恵まれています。しかし、今後は続かないと思われますので、自治体間の厳しい競争を図ると同時に、国の直轄エリアがあってもいいのではと思います。破綻した自治体は国の管理下に置かれますが、その前に思い切って国の直轄として国から職員を出向させマネジメントされるのもいいかもしれません。
土地利用計画・規制・誘導の一元化:国土のカタチで触れましたが土地利用等についての法律や関連制度が縦割りになっています。今後の適正な国土利用を誘導する際には農地や宅地の現状を踏まえて新たな土地利用計画などが必要とされますので、一元的に検討する必要があります。
都市開発諸制度等の一元化:市街地再生は大都市も地方も同様の大きな課題です。これまでは宅地開発と都市開発、新規開発と再開発は別々の法制度で規制誘導してきました。しかし、市街地の状況の変化に応じて宅地開発と上物建設そして再開発を併せて実行する必要が出てきます。具体的には土地区画整理事業と市街地再開事業を同時に施行するようなケースです(実際には一体的施行等は実施されてきていますが不十分です)。今後は市街地のカタチに関わらず戸建て、マンションの混在地区において区画整序と建替え等を応じに行えるような市街地再生包括制度のようなものが必要とされます。

 ■2つの外部環境

 以上のカタチを考えるためには下記の国際的な外部環境を把握することが必要です。しかし、これらの国際的・地球レベルの事項についてはなかなか長期的に展望することは難しい面があります。逆に、日本の行動が世界に大きく影響を与えることを真剣に考える必要があります。

①  社会経済・国際
国際環境予測の難しさ:将来像の議論で難しいのは数十年後の国際的な景気予測や国際情勢の判断ができないことに大きな要因があります。国際情勢は東西冷戦の終了後はさらに不透明感が強まっていますし、経済学者やアナリストは数年後も予測できません。
 我が国は国際的な環境下において多様な影響を受けざるを得ないため、これらを背景にして考えることになります。分からないでは済まないのですが、誰に聞いてもおそらく予測はできないと思います。また、そろそろ、我が国が国際情勢に影響を与える時代が到来すると考えるべきかと思います。
 従って、大雑把に言って、上記の国際的環境が①かなり改善されている状況、②さらに悪化している状況の2つのケースを国際情勢として与件とするしかないと思われます。

②  地球環境問題 
真の地球環境問題とは:地球温暖化問題はCO2 の増加が要因であるといわれており、深刻さが増すと予測されています。これに対する異論もありますが、環境に負荷をかけないこと自体は良いことですのでその方向で対応することは良いことだと思われます。一方で、従前は石油の枯渇が危惧されました(1970年代にはあと30年で石油が枯渇する等といわれた)が、未だに石油は産出され続けて、国際的な政治取引の道具となっています。

 環境問題は数十年前から政治的な意味合いが強いため、この温暖化問題も従前のテーマの代わりにこの10年の環境問題のキーとなりつつあります。米国はトランプ時代にパリ協定からの離脱しましたがバイデン政権では加盟しましたように各国とも自国の国内外状況を念頭に置いた政治的判断がなされます。、その中で我が国の行動も慎重に再考する必要があります。発展途上国と先進国との軋轢、男女の差別等の差別問題、プラスチック等廃棄物問題等などは2015年の国連のSDG’sに収れんしていますが、我が国として、企業として、国民として温暖化問題等にどのように対処するかを独自の視点で整理し、発信することが重要です。

■将来像を検討する際の現状の再認識の重要性と主要テーマの例示

 個々の分野別には各専門家の知見が重要だと思いますが、併せて、国民の間での基本的認識を共有することが重要です。日本人はこれまで自虐性が強い面(一部のメディア、学識者なのか?)もあり、自国への過小評価と他国への過大評価があるため、事実認識が事実とかけ離れがちです。このため、将来の日本の社会像などを議論するには客観的な事項評価が重要です。
3つのカタチ議論は相互に関連している面がありますので、これを考慮して主要なテーマとその考え方を例示してみます。
 今後、これらを継続的に付加・守勢などをしていきたいと思います。

我が国の現状の再認識とその共有が大前提:まずはどこからスタートするかが重要です。日本人は控え目、相手を大事にする、奥ゆかしい、表に出ない等の姿勢が強いのですが、これは大変大事な資質ですが、同時に自虐的な面もあり、なかなか、世界に理解されにくいものです(きちんとした説明を発信すれば理解されるものです)。また、日本の中でも自らを過小評価しがちです。常に自らは足りないと思い、日夜、向上に励むと言えばそれはそれで素晴らしいことですが、どうも、そうではなく後ろ向きになることが多いのが実態です。良いものは良いと自他ともに評価して、その次を目指す姿勢が重要です。差別意識が無い資質、治安の良さ、規律性が高いことはもとより、医療保険等の現行制度、年金制度の良さを十分評価していない向きもあります。日本の位置を計るために多くの世界の国、都市ランキングを参考にしがちですが、これらに振り回されがちです。これらは発表主体の都合や計測可能指標を使っているだけであり、順位の変動の余地は多々あります。これらの中にはブランドランキングのように日本が断トツ1位のものもありますが、これを紹介するメディア等は少ないものです。
明治以来、戦後以来、勝ち組の論理が跋扈していますが、そろそろ、日本人、日本の良い面や歴史をきちんと再評価した上で、その先を目指すべきです。年配者や地位の高い人々は間違いを自ら訂正することは出来ませんので、若い世代に期待したいところです。

年金問題の前に、個々の生活設計と個人の住宅を資産として確立することが重要。
「人生100年時代」議論では短絡的に年金問題が争点になりがちですが、その前に前述したように個々の人生設計と予防を念頭に置いた健康管理が重要です。そして、「資産形成において、住宅を資産とすること」が不可欠です。我が国は残念ながら、他の国と異なり、「住宅は資産」ではありません。これが最大の問題です。我が国が今後とも「住宅が負の資産」のままで良いのか、あるいは、「住宅を資産」とする方向に転換するのかが問われています。誰が考えても後者のはずですが、必ずしも、そうではないことが大きな問題です。
 現在35歳の世帯主が住宅を購入し、30年後の65歳でリタイアした際に、その住宅を売却・賃貸できるか否かで、その後の人生が変わります(もちろん、途中で買換えをしてキャッシュアウトできることが望ましいことです)。住宅が資産であることを前提にした場合とこれまでのように資産では無いことを前提にするのでは数千万円の違いが出る可能性があります。2050年時点で持ち家の半数ぐらいが「住宅が資産である」ことになっている状況sが重要です。また、我が国の都市政策は利便性、安全性、効率性、快適性等の向上を目的にしており、成果を出していますが、その上に、さらに「資産化」を政策の目標として位置付けるべきと思われます。

長期的人口減少は確定的であり、過疎地域はさらに増加する:一方で人口が少なく、自然豊かなエリアの活用は十分あり得るため、それらの地域の維持管理は当該自治体ではなく、「国が直轄的に管理する等」の抜本的な考えも検討の余地があります。これまで、広域連携や広域連合等が制度化され、実現してきましたが、これらも限界があります。前述したように破綻自治体は議会も機能しないため、可能な範囲での自治体内収益と国の資金で新たな「地域社会創生のためのマネジメント」を行うことです。国から派遣する市長はシティマネージャーとしての役割になります。職員も国から派遣することになります。国家公務員にとって現場のマネジメント経験は有用(副市長等で出向ではなく、若い世代が担当職員として出向)であり、地域にとっても有能な人材が参画することで施策が広がります。
道州制?:地方創生の目的ではなく、手段であるため、過去にはずいぶん議論されましたが、現時点で議論することはあまり意味が無い?ように思われますが、目標の社会像によってはあり得るかもしれません。
地域金融の再編と地方創生:世界経済・金融の影響は大きいものがありますが、それ以前に国内の地域金融が破綻・再編することになります。すでに、合併・再編の動きが盛んですし、国もその方向で考えているようです。地域への効果的な投融資をすべきですが、金融機関自体の存続に精一杯の状況であり、必要な不動産投資、都市開発などへの積極的な姿勢が見られません。地域への投資促進のための地域金融を軸とした官民プラットフォームが設立されていますが、ほとんど実働していないのが現状です。地方では不動産投資に必要なノウハウを有する人材が欠如しているためだと思われます。不動産証券化、再開発、リノベーション、テナント誘致等の各分野の人材が必要とされます。すべての知見を有する人材は稀ですので、地元や大都市での実績を有する人材を集めることが重要です。

人口の適正配置:上述したようにインフラ整備による土地利用への効果・影響を推計できる都市経済モデルにより算定して、地方での人口配置を再考すべきです。その上で目標やその実現のための施策を講じるべきです。

地域資源の資産化:地域創生はかつての地域活性化、均衡ある発展等として取り組まれてきましたが、新たなフェーズに入っています。人口のピークを超えているためです。人口分散等は目標にならないため、各地にある資源を改めて見直して、それらを集客力のある資産とすることです。個々のものでは海外から人を呼べるものは限られていますので、円滑で低廉なアクセス、資源相互の連携、街としての設えなどに配慮すべきです。

環境問題:日本はCO2排出量は世界の3.2%に過ぎなませんし、これまでも広義の環境問題に対しては他に先んじて取り組み、成果を上げてきましたが、国際的には非難の対象となっています。鯨の捕獲問題も同様ですので科学的な予測・課題と政治的な側面とを明確にして取り組み、その結果を世界に発信し、認知させることが肝要です。少しでも削減する努力は重要でが、仮に50%削減しても1.6%が削減されるだけです。英中インドは3か国で半数を排出していますのでこれらが10%削減すれば全体の5%削減となり、2050年問題は解決します。これらの国々に本気でさらなる努力を求めるべきです。CO2の削減は地球的に重要ですが、我が国はこれ以上の削減よりも重要な課題が多々あると思います。


多様性への認識:外国人に関する議論の際に、日本は寛容性が低く、外国人に対しても差差別的であるなどと言われがちです。外国からも日本人は外人などの表現も含め差別的・寛容性が無いなどと非難されることもあります。しかし、差別的なのは欧米諸国の根強い基本的精神です。本当に差別精神は日本人には全くないものでありますが、それが彼らには信じられないわけです。長く植民地支配をし、人道的にあり得ない奴隷制等で世界をしはいした欧米諸国はそれが当たり前であるからです。植民地支配が崩壊した現在、そのエリアからの労働者移入等により、結果的に欧米諸国は多様な人種構成となっていますが、決して差別意識が無いわけではありません。

 しかし、いつまでもその姿勢では難しくなったため、多様性、寛容性、ダイバーシティ等と表現することにより、根底にある差別意識を隠しながら、表向きの多様で寛容的な社会風を装っているに過ぎません。多人種国とならざる得なかった彼らにしてみれば日本の社会をうらやんでいますし、一方で日本人に差別意識が無いことを信じられないため自分たちがしてきた行動や言語を扱うことに神経質となり、非難の対象となっています。

 それに同調する日本人がいることも大きな問題です。これまで世界になかった差別感の無い国民として世界に誇るべきです。慎重にやれば、それを発信しつつ、この意識に基づいて真の共生社会を構築することが可能です。むやみに、欧米が使っている、多様性・ダイバーシティーや寛容性などにかき回されないことが重要です。

外国人の土地所有:外国人が土地を完全所有できる数少ない国の一つが日本です。寛容すぎますね。これは安全保障上リスクが非常に高いと思われます。水源問題等、これまでも指摘されてきましたが、抜本的な対策は講じられていません。ようやく、「重要土地等調査・規制法案」が出されましたがどこまで有効なのかは定かではありません。

外国人居住と外国人との共生:上述した多様性の事項と類似しています。今後、相当数の外国人の居住・就業することは避けられません。うまく対処すれば大きな力となりますが、間違えると従来の先進国と同様に国別コミュニティが形成され、単に混在状況となり、負担の方がおおきくなります。世界で唯一、差別意識の無い国として、真の共生の実現の可能性は高いものがあります。世界から日本の文化を理解する等の優れた外国人が居住・就業する方向で考えればいいと思います。ただ、うまくやらないと声の大きい外国人に牛耳られ、後戻りできない(カナダや米国で韓国・中国人議員が大勢を占められている)等の状況に陥る可能性があります。いずれにしても急ぎすぎないことです。

国連や国際機関への日本人職員、委員の増大:国連には多大な分担金を負担していますが、国連からの人材派遣の要望にもかかわらず、職員数は少ないのが現状です。日本ではそれが実績にならないこと等から、希望者が少ないとも言われています。単に「人と金のバランス」という意味では無く、国連の各種委員会のメンバーになることが、日本の実情の理解を広め、提案等が通りますし、いわれ無き糾弾などを防ぐことができます。日本の国際的な政治力、発言力を高めようという気持ちが無いことが問題ですので、その意思を高めつつ、人材の派遣を図るべきです。

地方鉄道と空港の再活用:地方創生には国内間を安く、簡便に移動できることが重要です。そのためには、各県に存在する空港や地方鉄道の活用が有用です。空港は無駄な投資と言われ、地方鉄道は採算性のみで切り捨てられてきました。しかし、移動の自由度が交流を高め、資源の資産化にも資することになります。近年、欧米ではバスや鉄道などの公共交通が見直されています。幹線インフラも重要ですが、地方鉄道やバスを国が支援することは必要ですし、可能で、効果的なコスト負担だと思われます。
   

余る土地の活用の可能性:人口減少を背景にインフラの維持管理面からコンパクトシティ化が強調されています。かつては土地が無いために必要な施策が実現できませんでしたが、今や土地はあります。分散してはいますが、長期視点で対応すれば土地の集約化を図りながら、人口急増時期に出来なかったこと、例えばゆとりある生活空間等を実現することが可能です。相続税の現物納付や不動産の寄付等は消極的ですが、むしろ、積極的に受け入れるべきかと思います。

日本独自の目標設定が世界のゴールにもなる:昨今、話題の国連のSDG’sは従来の断片的な議論を包括的にまとめた類であり、2015年に公表されました。それ自体は良いことが記載されており、世界全体の大きな目標としては重要ですが、これ自体が日本や企業の目標ではないと思われます。日本の現状を踏まえた独自の目標設定が必要であり、これはこれまでに世界が経験していない状況を先取りしたものになるものです。そして、これを国連に提案し、SDG’s改訂(あるいは新たな目標)に反映するなどして、各国の目標設定の際に取り入れられるようにしたいものです。

■美しい「グリーンアイランド」

「美しい国」、「美しい日本」等も言い得て妙ですが、これまでに使われてきたので、やや手あかがついてしまいました。特に、前政権で安部氏が使ったこともあり、内容はともあれ、政治的に埋もれてしまいました。日本の自然は世界に冠たる美しさ(一方で地方の建物等は酷い)であり、差別意識が無く、宗教に支配されず、規律ある奥ゆかしい資質そして良好な治安状態は美しいものですので、このハード・ソフト両面の美しさを前面に出すことは当然であり、世界にもアピールします。「グリーンアイランド」は島国を強調しつつ、この美しさを表現したものです。温暖化による危機もさることながら、世界のパンデミックはより深刻な危惧ですが、安全な島国として良いポジションにあります(しかし、水際対策は酷いものですのでせっかくの優位性が喪失されています)。

 どこに行っても美しい空間・システムを実現することにより、インバウンドの質・量ともに高まるとともに、国内外の優れた居住空間として評価されるでしょう。世界のセレブも率先して居住してくるはずです。
 
■正確な情報のもとに、広く公募することにより創造力ある目標を探ることが可能


 本稿では、これから日本のカタチを考えるための基礎的なことを並べてきましたし、スローガンとして「グリーンアイランド」を提示しましたが、今後多くの情報や各分野の方々と情報・意見交換する中で「カタチ」を考えていきたいと思います。
 創造的な社会像で思い出すのは30年以上前の「アップルのプロモーションビデオ」です。アップルがMacintosh SEを世に出した頃です。当時、在籍していた研究所(現三井住友基礎研究所)では創設されたばかりでしたが、思い切って70万円もするMacintosh SEを70台導入し、Ethernetでつなぎました。おそらく、当時の最先端の社内イントラです。このプロモーションビデオはマックを使った未来の社会を10分程度で表現したものです。当時、未来社会は壁一面にモニターやスイッチが並び、ライトがピカピカ点滅したようなイメージでした。ところが、アップルのビデオでは「さあ、未来の書斎を紹介します」として出てきたのは重厚なチークウッド風の家財、革張りの椅子等のある古めかしい書斎でした。ところが一声かけると壁の一部や机がモニター変化します。i-padの大画面版です。そして、海外の仕事仲間とリアルタイムの会議をして、終わると元の静かな書斎にもどりました。意表を突かれました(インターネットも無い時代です)が、なるほどと思った次第です。今でもこれは大きなヒントになると思っています。


 さて、国が自ら「カタチ」を提示することもありますが、将来像を考えるために必要な分野別の正しい推計値、専門家による分野別の将来予測、展望を示すこと自体は大きいと思いますし、ある意味、責務だと思います。
 その上で、広く国民の叡智を集めることが必要だと思います。かつで、明治100年を記念して総理府が募集したのはある意味、卓見といえるでしょう。それらで提示された案はそのまま共有できるものではないかもしれませんが、大いに参考になると思われます。令和に入り、平成を振り返ることもありますが、「昭和100年を記念して募集する」のも良いかもしれません。
 新たな社会像自体も重要ですが、どんな切り口・視点、どんな表現なのかも興味あります。斬新でしかも共有できるものが出てきそうな予感もしますし、一度きりで終わる必要もないと思います。
 短期・中期的な計画、施策も十分に対応しつつ、並行して、長期的視点での国のカタチ、社会像を国民に広く、深く考えてもらうことが必要ですので、「新たな国民的コンペを開催する」ことを提案したいと思います。

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