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比較しない生き方

世の中には前向きで活動的で地球環境のために活動している人や自分の夢のために努力し続ける人が居る。

素晴らしいなあ。

自分のこの生温いだらけた毎日ったら。なんかもう、ごめんなさいっていう気分。別に自分を責めてるわけじゃないけどw



素晴らしいなあと思うばかりよ。(それが出来るか?というとわたしには出来ないからなんだけどね。)

生活のためや家族のために当たり前のことして頑張れる人もいます。
毎日起きて同じところへ行って仕事をするって素晴らしい。夢を形にするべく努力を続ける人も素晴らしい。


社会で自分の居場所を作った人、形を作れて、評価を得た人は本当に頑張ったんだろうなあ。



また一方でそれを出来ない人もいる。

努力じゃ賄えないものがあることが歳をとって身体が弱って来て、初めて分かったわ。

素晴らしいことができないからって劣っているわけでもないのだ。

だから、歳を取ることも身体が弱くなることも悪いことじゃない。根性やマインドだけで乗り越え慣れないものもあるのよ。


そこに対して「自分は出来るから、自分は努力したからお前の努力が足りないからだ」と言い切れる人は実は恵まれた人なんだと思う。

あとね、不安があると追い立てられるように動けるというのもあると思う。

恐れって動機になる。



恐れが減ってしまうと頑張れなくなるのはあるんだよね。
それこそ、空白みたいな時期がある。

怠けてる考え方だと捉える人にとってはそれは確かに怠けなんだと思う。
そういう人は頑張れるひと。


怠けたくない、頑張りたいと思っていても身体や精神が無理な時はあるし、無理な人もいる。
みんな作りが違うからね。

自分に出来ないことを頑張っている人は素晴らしいなあと単純に憧れる。比較しなくていいよね。


それが魂の望むことをしている人ならなおさら素敵だなあと思う。そこに出会えた人は幸せだと思う。
そしてわたしもそこに行きたいなあとおもう。


脳やマインドや体質がみんなちがうから、自分と同じだと思ってしまうと分かったつもりで逆に誤解をしがち。

違いを受け入れてみると枠を広げてもらえたり、刺激になったり、助け合えたりする。

感性や価値観の違う人と関わると最初は腹が立ったりイライラしたりするけれどね。


そうやって色んな人を知り、色んなやり方、生き方、捉え方を知って自分の価値観の枠を広げていく。

そうすると、比較したり、ジャッジしたり、自分や誰かを否定したりする考えから距離をとることができるようになる。


動けない人、弱い人に合わせるから新しいアイディアが生まれることもある。活動的じゃないのんびりしている人から与えられる落ち着きや和やかさや癒しもある。


お花は動かないけど、幸せにしてくれるよね。それぞれの素晴らしさがある。


その違いを比べて戦うんじゃなくて、面白いなあと違いからお互いの見落としていた新しい生き方やエネルギーを学びあえたらお互いに豊かになっていいよね。


比べて否定したり、いじけたり、僻んだり、嫉妬するよりも自分がより良く豊かになるためにその経験値を増やしていったらいいよね。

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