あると思ってたもの(いつもあるもの)が無いと不安

ここ数年で、「ホームドア」が設置されている駅が増えた。ホームからの転落を防止する為のあれだ。


数ヶ月前、よく使う駅のホームに行くと、ホームドアに「故障中」だか「調整中」だかの貼り紙があった。閉まっているはずのホームドアが開いていることが、とても怖かった。


元々ホームドアが無い駅よりも、あると思ってたものが無いというのが怖かった。いつもあるものが無いと不安になるんだ、と思った。


「あると思ってたものが無い」という状況が、いま日本の至るところで起こっている。


マスクのこともそうだし、中止、休校、休園…
不安だ。何が正しいのかわからない。


マスクがほしい人、マスクを作る人、売りたくても売れないお店の人。


準備してきたものが中止になる人たちや、楽しみにしていたイベントがなくなった人の気持ちは痛いほどよくわかる。去年の劇団の公演が直前で中止になったことを想像すると心がぎゅうってなるし、去年のオードリーの武道館が中止になったことを想像すると、そんなのはもう絶対に絶対に嫌だ。


昨日、駅のホームで高校生が「ここでお別れじゃん」「もう一生会わない人たちもいるのかな」と会話していて切なくなった。


何が正しいのかわからないけれど、冷静でいたいし、他人の気持ちを想像したいし、元気に過ごしたい。まずは、しっかり寝ようと思う。


でも、今日は土曜日だからね。よふかししてオードリーのオールナイトニッポンを聴くよ。

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