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写真撮影における構図について、特に日の丸構図についての考察

構図についてネットで調べると、日の丸構図について語っている人が多くいるんだが、読んでいたら日の丸構図とは何かがわからなくなってしまった。
そもそも日の丸構図とはどのようなものなのか。

色々ある意見をまとめるのも面倒なので、最初に、自分の考えを書いてしまうことにする。

日の丸構図とは

撮りたいものを画面の真ん中に配置し、漫然とシャッターを切っただけの構図のこと。何を撮りたかったのかはわかるが、それ以上の何も伝わってこない構図。

以上。

「基本的な構図の一つとして日の丸構図という話は、無い」と思う。というか、この記事では、そんな感じのことを述べようとしている。

ポートレートなら、誰しもモデルを中心におくことはあるのだろうけど、モデルが小さ過ぎてよくわからないとか背景が雑然とし過ぎているとか、そんなような写真が日の丸構図として揶揄されるものと思う。もっと踏み込め、もっと寄れ!とはよく言われることかと思う。
「写真館で撮る人物写真が日の丸構図」みたいな言い方も見かけたが、変だと思う。あれはああいう風に撮るべくして撮っているものに違いない。人物が真ん中に写っているとはいえ、しっかりポーズを決めているわけで、それを日の丸構図と呼ぶのはおかしいと思う。
ということで、多くの人が日の丸構図の意味を取り違えているのではないかと思ったわけだ。

被写体を真ん中に置く=日の丸構図???

なぜ日の丸構図がそのように解釈されるようになったのだろうか。
想像するに、プライドだけはあるカメラマンだかフォトグラファーだかが、撮った写真を日の丸構図と馬鹿にされて、畜生!、だったら「俺は日の丸構図写真家になる!そして偉そうにしている写真家達を見返してやるぅ。」とかなんとか叫びながら、日の丸構図礼賛的主張をするようになったとか。そのときに新しい「日の丸構図」の定義が生まれた、とか。
あくまでも想像。

大体、日の丸構図ですとか言って、そういう人たちの写真を見ると、上手いんだよなあ。何が上手いかって、日の丸構図以外の要素がしっかり盛り込まれている。美しさを感じる。真ん中に被写体を置いただけなんて嘘っぱちも良いところで、それ以外の要素で写真を見せているのだ。ずるい。そんな写真は、別なタイプの構図で出来上がっていることが多い。

これみよがしに日の丸構図などというのはやめよう

日の丸構図なんて、構図の一種ではない。とか言い切っちゃおう。世間への挑戦状。
とか言いつつ、トリミングして日の丸構図写真を作ってみた。どうだ、これが真の日の丸構図だ。これだけ強く言っても世間の反応は薄いだろう。なぜなら読者数が少ないから。

日の丸構図=シンメトリー構図、上下左右共シンメトリー、というかメインの被写体は円形に近い。結局、花一輪の物撮り。何を伝えたいのかというと、丸いところか。深度合成までして作ったもの
自分は大体正面を外して撮影することが多いようで、こんな感じのが多い。正面からも撮っておけばよかったと。もっとも撮影ポジション的にこれが限界だった可能性もある。
満月。月食の直前直後の満月こそが最も丸い月だろうと考えて撮った月、物撮り
大きなヤドカリがいたから撮っただけの写真。「丸」感が弱い。このときは実際よく考えないでシャッターを切った気がする。コンデジを防水ハウジングに入れて、面白がって水中写真を撮っていたころのこと。余談だが、今なら、ちょっとした防水カメラがあれば、これくらいは容易に撮影できるだろう。
ひまわりの正面顔。影が落ちているのが難。いくらひまわりが好きだったとしても、このような撮り方ばかりはしていられない。
夕焼けの写真から切り取ってみた夕日。無意味。
地面に落ちたどんぐり。雑然とした背景がゴミ写真を彷彿とさせる。
ポピーの造形美を写しとめた作品、とか?真の真上ではないのでまたの季節に再挑戦か?この構図の限界は近い。
真っ赤な実が緑色の背景に映える様を写し止めた、つもり。しかし、背景の処理の詰めが甘かったな。
ハルジオンの蕾の造形美を表現したもの。異形。というか真上から撮ったら丸くなっただろうか。しかしそれでは、茎や葉、地面が写り混んでしまうので背景がゴチャゴチャしてしまっただろう。

以上、ネイチャーフォトの場合は、形状の美しさを写すという目的であれば日の丸構図は大いに結構ではないかと。

日の丸感が重要

さて、人は皆(皆ではないけど)どうして構図構図とうるさくいうのだろう?そんなに構図にこだわって楽しいのだろうか。

うーん、「写真道」みたいなものが存在しているからであろうか。つまりは、写真を撮るには何らかの流儀があってそれに従わないと写真を撮ってはいけない、とい思い込んでいるとか。誰かに脅されているのか。はたまた、勉強や挑戦が好きだとか。何かテーマや目標とするものを与えられて、それを達成することに喜びを覚える、また、生きがいを感じる。写真教室に通うとかは、そういうことなのだろう。

そんな中、次の記事を読んだ。

“必ず構図という考え方に従いましょう的な内容に違和感を覚えた。”

必ず、とか言われたら反感を覚えるサ。
世の中、感性のまま良い写真が撮れる人ばかりではない。それができたら良いのだけど、できない人は作法を学ぶことになる。まあ、自分が納得できたらなんでも良いのだけど。
構図などというものは、写真をカテゴライズするための用語でしかないような気もするな。
写真を批評する人にとっては、何か表現するための用語があったら、共通言語があったら話は早い、仕事がしやすいだろう。型に嵌めて仕分けしちゃう。
ま、よくわからないけど。

自分は、写真の本「カメラじゃなく、写真の話をしよう」は、読まないで言うのもアレだけど、嫌いだな。タイトルがわざとらしい。なぜ「写真の話をしよう」だけにしなかったのか、それを考えると、きっとそういう人なんだなって思う。あくまでも読まないで言っているので、気にしないでほしい。

構図の知識がないと写真を撮れないのか

さて、カメラのナニワの店員さんのブログを読んだのだが、店員さんの話では「構図」はとりあえず2つだけ知っておけばいいそうだ。


店員さんは、カメラを買ってほしいと思うのだが、写真は難しいとかで拒否されているらしい。ブログを読むと、この店員さんが写真を難しく思わせているのではないかと思う。

とりあえず2つ構図を覚えよう

そりゃあ、2つだけ覚えれば良いとかいう、覚えれば良い、覚えるって何?覚えなかればならないのか?覚えろということか。強制されるのは、嫌いだ。
カメラを買ったら、最低限のことだけ覚えたら、撮影してみたら良いではないか。とりあえず電源の入れ方、シャッターボタンの押し方、さらには、メモリーカードに記録した写真の見方も必要か。お客さんが知らないのなら、それくらいは教えてあげたらよいと思うが、構図を覚えようとか、写真を撮ることって、最近は、そういう話になっているのか。なんか違う気がする。
感性にしたがってフレーミング、構図を決めてシャッターを切る。いやいや、フレーミングとか構図とか意識する必要なんてないのだ。

ファインダーに写る絵がいい感じになった瞬間、シャッターボタンを押す

それで良くないか。

それ以上のことは、必要になったら覚えれば良い。
写真が上手いか下手かを話題にするような友人って、面倒臭いだろうな。撮った写真を見てケチをつけるに決まっている。友達を失いたくなかったら、その人の写真を批評しないこと。そんな風に思う。

とりあえず2つ構図を覚えよう

とりあえずシャッターを切ろう

そういえば、昔、作曲でもしてみるか、と作曲のし方みたいなものを調べたことがあった。すると、コード進行だとか決まった作法でもあるのか、面倒臭いことを言うやつばかり。作曲は、諦めた。もっとも感性が枯れかけていたので、うまく曲を作れなかっただろう。
あいみょんは、曲作りの理屈を知らなくてもあんな曲やこんな曲を作ってしまった。そんな話を聞いた気がする。何が良いかは、脳が覚えているのだろう。

かと思えば、形から入りたがる日本人、ルールとか作法に従わないと何もできないのか、日本人。

自分の場合、気づいたらカメラを持っていたので、というのは言い過ぎだが、幸いにして、小うるさい作法だとかを意識することなどなく、いつの間にか写真を撮っていた。ま、記憶が定かでない。嘘を言っているかもしれないが。大人になってから構図のことは少しは勉強もしたが、それも、カメラ関係の月刊誌で読んだくらいだったか。当時は、写真で飯を食っていけたらなあと思うくらい、写真とかカメラが好きだった、気がする。今ここにこうしているということは、本気ではなかったのだと思う。

余計なことを書いてしまったな。

そういえば「日の丸構図」なんていう言葉は、素人っぽい写真をバカにする使い道しかないと思っていたが、事典にはなんて書いてあっただろうか。

構図の基本形

構図の基本形としては、S字形、L字形構図のほか、三角形構図、逆三角形構図、七三構図、放射状構図、対称形構図、斜線構図、垂直線構図、水平線構図などがある。

出典:『写真用語事典 改訂版』
出版社:日本カメラ社
著者:上野千鶴子、佐伯恪五郎、佐藤正治、高石泰次、等々力国香、藤田直道
1998年12月10日 改訂版第2刷 P.392 構図の説明から一部を抜粋

なかった。日の丸構図、なかった。

手持ちの事典には、日の丸構図という見出語はなかった。上に引用したように、構図の基本形としても書かれていなかった。もっとも、基本形ではないものとしては存在していたのかもしれないが。

話は戻る、、、、

前の方で登場してもらった、カメラ屋の店員さんの記事、三分割構図と日の丸構図の2つをお勧めしていたわけだけど、三分割構図って構図じゃないよね、って思う。あれは手法だったりテクニックだったりするものかと。

構図を2つだけ覚えれば良いとか言いながら、店員さんの作例写真は、それ以上の要素がてんこ盛りだった。三分割構図の作例は、交点に被写体を配置しただけのものではなかった。これじゃあ、初心者が引いちゃうよな。こんな写真、自分には無理って思う。

ロバ?の写真、耳の先を切っている(フレームの外に出している)けど、まあ覚えがある人じゃなかったらやらない高度なテクニック。
サングラスをかけたひまわりの写真。不等辺だが三角形構図に見える。安定感がありつつも、サングラスの視線の方向にスペースをあけているのもポイント。わかってやっているに違いない。
薔薇の写真。三分割を逸脱。余白に問題があるのではないと思う。薔薇を上か下にずらしたら良いだけのこと。しかし、上に配置するのは、ないか。
続く話は、三分割構図とは違って難しい。言いたいことを言っている。「とりあえず2つ」と思って読み進めると、難解な話に困惑する。
日の丸構図については、オシドリの真正面顔。シンメトリー構図も悪くないと思う。
ワンカップの空き容器だろうか、ガラスの器に灯る火。計算された構図、構成。あれが日の丸構図と呼べるのだろうか。
日の丸構図を使いこなそうとすると意外と難しいとか言う。とりあえず覚えたい構図の一つのはずなのに、使いこなしが必要なのか。
日の丸構図ではない色々な要素を盛り込んだ作例が続く。話が難しすぎる。

写真を始めることをためらう人の気持ちがわかるような気がした。

写真を趣味にすることを勧める気はない。好きならやれば良いだけのこと。しかし、子供が生まれたとかいう理由で、写真を始めるのであれば、構図なんか気にしないで好きなように撮れば良いじゃないかと思う。子供が動き回るようになると、フレームに納めるだけで精一杯になるだろう、違うか。
ま、他人事だ、みなそれぞれ好きにしたら良い。

自分は好きか嫌いかで判断することにする人間になろうと思っている。構図が良いとか悪いとかではなく。しかし、おそらくは、上手い写真の構図がどうであるかといったことが研究され、後付けで色々な構図が生まれたのではないだろうか。調べもせずに言っているので、間違っているか。

好きな構図というものは、AI(人工知能)が機械学習、、、ではなくて、人間自身の知能が深層学習した結果として記憶の深いところにあるに違いないと思っている。何を言っているかわからない。
つまり、構図かどうかはわからないが、写真でも絵でも良いが、画像をみてそれがいい感じに思えるのは、そのような感性を持っているから。みな、何らかの感性は持っているに違いない。(持っていないやつ、いるのか?)

問題の本質は、思ったような写真が撮れないこと。シャッターを切る瞬間の思いは人それぞれにある。基礎的な知識は持っていても損はないかもしれないが、構図を勉強したところで人それぞれの思いは写真にならない。そんな気がする。

とりあえず感性のままにシャッターを切ってみたら良い。

良い写真が撮れたときは、ぜひ見せてほしい。

なんか偉そうなことを書いてしまったな。懺悔。

t.koba

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