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うんこの後始末

かなり前に、「浣腸して、排泄した後の後始末は、従者にやらせず主がやれ」といった話題があった。まぁ、思い遣りや優しさの観点から言えば、その通りだ。
しかし、従者が惨めなところを見たり、見られたりするのが喜びだったらどうなるか。
この辺り、サドマゾだけの観点では物事を推し量れない

ちなみに、自分は従者のうんこを片付けるのは、なんら造作ない。一点の嫌さもなく片付ける。
そういうのが苦手な人は、奴隷女どころ、犬猫だって飼えない

さらに言うなら、自分の場合、従者が自分で後始末できるってのは、諸々余裕を残した状態だと見做すので、もっと徹底的に責めてたてれば良かった、なんて考えてしまう。むしろ、足腰立たなくなるまで、膨腹させて、へたり込みながら、お尻からお湯垂れ流してるくらいがちょうど良いのではないか。

恥辱という観点では、そもそも人前で脱糞するのは、やれと言われてなかなか出来ないものである。
出来ないから、薬剤使って嫌でも出さざるを得ないとこに追い込むのだが、それでも慣れてない人は、出せなかったりする。
後始末の問題の前に、出せない問題の方が、よっぽど困るのが実際のところである。

苦しんでる分にはサド心をくすぐられるのだが、出てくれなくては困る。主というのは、堂々としてなければならないのだが、内心は結構焦ったりする。指を入れて掻き出したりするくらいだ。だもんで、うんこの後始末くらい、どういう事はない。なので、従者に後始末させるのは、単に趣味の問題である。


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