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満月:人はパンのみにて生くるものにあらず

4月17日・天秤座満月

明日の早朝、てか夜中?に満月。

ここでちょっと抽象的?なお話をばひとつ。
人間が世界を認識する方法として
その認識のなかにわたしという存在がまずあり、それの対極に環境であり社会があります。
(人間の認識のなかでは)世界というのは基本はこれです。わたしと環境の二極構造。
ここに割って入る第三の要素は運命というもの。神という呼び方もできるかもしれません。

もうひとつ「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉を聞いたことがあると思います。
人(わたし)は、生きるという命題を満たすために、パンが必要です。そのため環境にはたらきかけてパンを得る。
これが人(わたし)⇔環境(パン)の二極構造です。これは、人の部分を動物に代えても同じことが言えると思います。
ところがどうしたことか、人(わたし)は、それだけでは満たされないのです。
日々パンを得に環境にはたらきかけて生命を維持する。毎日毎日これだけをやっているとなんだか心がスカスカします。
人(わたし)はパン(環境)だけでは生きられない、何らかの精神的満足が必要です。

なぜこんな話をするかというと、今回の満月では「第三の要素」が非常にクローズアップされるめぐりだからです。
「人はパンのみにて~」の言葉はもとは聖書からの引用であり、あとには「神の口より出づるすべてのことばによる」と続くようです。(ご興味おありの方は調べてみてくださいませ)
だいぶはしょって訳すと、第三の要素はわたし⇔環境の二極と独立してあるものではなく、それどころか二極の相関関係におおいに影響を及ぼすものであると言った意味合いであるようです。

「第三の要素」に代入されるべきものが何であるか?それは、人によりけりです。
ある人はもしかしたら、「三方よし」の精神より、「売り手よし、買い手よし」のあとにくる「世間よし」を代入しようと思うかもしれません。
またある人は精神的満足としての趣味やなんかであるかも。

「第三の要素」は表面的または短期的には、わたし(人)のパン獲得とは対立構造にあるように思えるでしょう。じっさいそういう面もあるにはあります。
しかし長い目で見ると、第三の要素に真面目に取り組むことで、その二極構造つまりパン獲得の活動は厚みを増し豊かなものとなるでしょう。

満月の週末、まずはご自分のいままでの頑張りを労い、少し立ち止まってご自分の代入すべき「第三の要素」を想ってみてくださいませ。

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