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【ウマ娘】ナリタタイシンってどんなウマ?実績と特徴をまとめてみた

どうもマツウラです。

みなさん、ウマ娘やってます?

僕は完全にスランプに陥って詰んでます。


ぱかライブTVにて新情報が追加されたものの、「僕は ついてゆけるだろうか イベがある世界のスピードに」状態になってます。

強い人に代わりに育成してもらいてえよ…微課金でもA+作りてえよ…


小言は置いておいて、待望の新実装祭りですね。

以前弊noteでも紹介したヤエノムテキがSSRサポカになり、ロブロイがSR。ファンも多いロブロイと、予想外のヤエノムテキ。ヤエノムテキの隣でびっくり顔のサクラチヨノオーが可愛すぎて顎外れそうになりました。


で、本命はもちろんこれですよね。

待望の追込馬

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正直ずっと待ってた。

ゴルシしかいなかった追込業界のニューホープということで、引いておきたい人もかなり多いでしょう。僕も引きたいですけどもう一人のナリタに財布を握られてるのでどうなるかは不明です。


所持スキルのネメシスがよく分からんですけど、鬼宿りライスシャワーみたいな眼してたので憤怒の神降ろしちゃうスキルなんですかね。強っ。


とりあえずタイシンのおおまかなプロフィールから見ていきましょうか。


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カミソリのような鋭さの、反抗的なウマ娘。体の小ささから小バカにされ続け、速さで見返すためにレースの世界へ飛び込んだ。態度が尖っているのは、ただナメられたくない一心からである。(公式サイトより引用)

ボーイッシュツンデレは…いいぞ…

こんな服装だし言動も男っぽいのかなと思いきや、一人称「あたし」だったり、語尾は「○○なの」になったり、ちょこちょこ女の子っぽい感じも出してくるのが卑怯だと思います。そんなん落ちるやん。(史実は男だけども)


じゃあ本家タイシンもツンデレだったのかと問われると…どうなんだろうか。




ナリタタイシン

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性別 ♂

15戦4勝

主な勝ち鞍 皐月賞、目黒記念、ラジオたんぱ杯3歳S

適正 芝中長距離、追込(差し可)

1990年生まれ

ライバル ビワハヤヒデ、ウイニングチケット

主戦騎手 武豊


やっぱり皆思うと思うんだ。星3にしては戦績弱くないか?と。ラジオたんぱ杯は後にホープフルステークスに吸収されてGIになるし、実質GI2勝馬とも考えられるけど、にしても星2が妥当なんじゃないかと。


しかし、天下のサイゲが星3で実装したキャラだ。カレンチャンの時みたくなにか理由があるに違いない。そんな訳で、ここからはナリタタイシンの生涯を振り返りつつ、星3実装の理由をこじつけていきたい。


↓カレンチャンの時



タイシンは6月生まれ。これは馬にすると相当遅生まれだ。馬の成長スピードはだいたい人間の4倍と言われているから、幼少期〜成長期はなおさら。2月生まれの馬たちとは人間換算で1歳以上の差はあったんじゃないだろうか。


事実、タイシンが生まれた6/10以降に国内で生まれ中央GIを制した馬は両手に収まるくらいしかいない。それ程までに格差は大きい。


加えて言えば、GI2勝馬なんてまずいない。(1頭だけ9月生まれで高松宮記念を連覇したやばいやつがいるが、あれは奇跡。馬名にもキセキって入ってるし。)
(追記:キンシャサノキセキはオーストラリア産まれでした。よって6月以降に産まれた国内産馬でGI2勝馬はいません)

そんな遅生まれタイシンはもちろん期待されておらず、身体も小さかったので、牧場関係者は「もしかしたら売れないかもな…」と不安を寄せた。


しかし、セリに出したらあっさり売れた。

買った馬主はオースミロッチやナリタハヤブサで既に数億を稼ぎ、後にナリタブライアンやナリタトップロードで競馬界にその名を轟かせる山路秀則氏だった。


そして馬主さんの冠名「ナリタ」と、この馬の母親の名前「タイシンリリイ」から「ナリタタイシン」と命名。

安直すぎんか?とお思いかもしれないが、ナリタブライアンも全く同じ命名方法である。(父親がブライアンズタイム)


どうにか中央の競走馬になれたタイシンだが、めちゃくちゃ気性が荒く、調教中に乗った人を落とそうとしたり、目を離したら厩舎に帰ろうとしたり、急にふて寝しだしたりとなかなかフリーダムな馬だった。


気性が荒く、牝馬並の華奢な身体。これで果たして勝てるのかと疑問視されていたが、栗東トレセンの大久保調教師はタイシンの身体の柔らかさに注目した。


「このバネがあれば、とんでもない末脚が炸裂するのではないか」と。


しかし、この華奢な身体ではトップスピードは長くはもたない。一瞬のキレを武器にしようと、ベテランジョッキーの清水氏とともに追込馬として才能を開花させようとした。


2歳のうちは上手く差し切れずに負けることもあったが、キレが安定してくると連対続きで、年末のラジオたんぱ杯も勝利した。


身体こそ小さいものの、ポテンシャルは並以上のものを秘めていたのがタイシンだった。

タイシンは勝負根性が強く負けず嫌いなため、差し追込馬にピッタリな性格ではあったのだが、いかんせん身体が華奢で、スノーフェアリーやゴルシのように馬群を割って突き抜ける競馬ができないのが難点だった。


そんな面もあり、年明けのシンザン記念、弥生賞は2着に敗れた。

しかし、弥生賞から乗り替わった武豊は彼の才能を見出す。


迎えた本番、皐月賞。テイオー、ミホノブルボンが二年連続無敗二冠、菊花賞で夢を逃した。今年こそ三冠馬をとかかる期待。例年より熱気のこもった競馬場。注目の二強対決を皆が見守った。


1番人気はウイニングチケット。
デビュー戦以外は負け無しの連勝街道。このまま波に乗って押し切るか。

2番人気はビワハヤヒデ。
こちらはデビューから2着以下は取った事がない連対率100%の馬券的にありがたい馬。きっと当日はウイチケとビワの馬連を買った人も多かっただろう。


そしてナリタタイシンは大きく離れた3番人気。(単勝9倍)
優秀な成績を収めてはいたものの、上位二頭が強すぎた。武豊が乗ったからかろうじて3番人気だったところもあるだろう。


BWの二強対決。勝つのはどっちか。

戦いの火蓋が切られた。


直線の短い中山。先行策のビワハヤヒデが有利か、はたまたウイニングチケットの執念の差し切り勝ちか。

追込馬に中山は厳しいだろう。そう思われた。


最終直線。

馬群が崩れた瞬間をスッと抜けた小さな影。

その力強い末脚は、猛者達を出し抜くには十分すぎるものだった。


勝者、ナリタタイシン。


まさかのまさか。波乱のクラシック初戦を制した小さな勇士。

ここに生まれた世紀の大金星。

BWの二強から、BNWの三強へ。


それも、オグリやクリーク、イナリワンの時のように、三強内に格差は無い。

一度刃を交えれば、誰が勝ってもおかしくない。

三者三様の猛者が、クラシック戦線を駆け抜ける。



そして、栄光のダービーへ。



やっぱりBWは強かった。

元から強かったBW。意識されたら術も無い。直線一気で執念に負けた。

極限まで削ぎ落としたウイニングチケットの強さは何者にも勝るものだっただろう。



分かれた明暗

皐月賞は最も速い馬が勝つ。

日本ダービーは最も運のある馬が勝つ。

菊花賞は最も強い馬が勝つ。


これは競馬の常套句で、実際にそういうデータがある訳ではない。

けれど、皐月賞馬は年を重ねるにつれて長距離で勝てなくなってくるし(イスラボニータとか)、ダービーだけを勝てた馬は運を使い果たしたのか全く勝てなくなったりするし(ワンアンドオンリーとか)、菊花賞馬は勝ち切れずとも強い競馬でレースを盛り上げてくれる馬が多い(キセキとか)。


そして、この典型的な例がBNWだった。


菊花賞に向けて高松宮杯で勝っておきたかったタイシンだが、古馬に逃げ切られ2着。

ウイニングチケットは京都新聞杯、ビワハヤヒデは神戸新聞杯をそれぞれ勝利し菊花賞へ。


タイシンはここで運動誘発性肺出血を起こす。この影響で京都新聞杯には出られなかった。

(これは後にオルフェーヴルも発症し、同馬は宝塚記念を回避した)


皐月賞馬の威厳を保つべくぶっつけ本番で挑むものの、体調は最悪で全く伸びずに15着。肺出血は結構後を引いた。


ビワハヤヒデは覚醒し、レースレコードで大勝。ここで明暗が分かれた。



しっかり休養を挟んで、当時は2月だった目黒記念で復帰し、勝利。春天でビワハヤヒデに挑む。


しかし、タイシンの休養中にビワハヤヒデは急速に力を増してきていた。

伝説のトウカイテイオー復活有馬記念で古馬たちを蹴散らし2着。京都記念で7馬身差を付け1着。


デビュー以来連対を外さず、無敵と化していたビワハヤヒデ。春天当日。単勝1.3倍、圧倒的1番人気もその強さを裏付けていた。

必死に食らいつくも、永遠に埋まらない1馬身差。


全力を尽くしての惜敗。名実共に世代最強となったビワハヤヒデに太刀打ちできなかった。



そして、ここからがタイシンの運の尽き。

宝塚記念前に骨折

京都大賞典を下痢で回避。

秋天前に屈腱炎


地獄のような不運の連続でレースどころではなくなる。



ここなのである

ナリタタイシンの真価のブラックボックスは。


ウマ娘次元においてこうした悲劇は無に帰す。

サイレンススズカが秋天を走り切ったように。

ライスシャワーが怪我なく生きているように。


もしも、タイシンがこれらの不幸に見舞われていなかったら、あるいは。


幾度となく対戦したであろうビワハヤヒデを、一度だけなら破れたかもしれない。


ウマ娘から入った人にはただの顔デカ炭酸抜きコーラ野郎にしか見えないかもしれないが、ビワハヤヒデは歴代の名馬と比較してもかなり上位に入る強い馬だった。
90年代でまとめてもベスト5に入るのではないだろうか。


そんな馬を、皐月賞で一度、そして古馬になってもう一度倒せていたのなら。

これはもうビワハヤヒデにとって二番目に強いライバルになれていたに違いない。(あくまでも1番はナリブ)


そういったifも込めて、運営はナリタタイシンを星3にしたのではないだろうか。
ちょっと無理があるかもしれないが。



屈腱炎から立ち直り、一年越しの宝塚記念。

休養明けで力が出ず、惨敗。

そして屈腱炎の再発。

引退。


ライスシャワーやスズカなど、亡くなった馬だけが不幸の象徴みたく取り扱われているが、タイシンも相当だと思うのだ。


残した実績だけで言えば星1〜2のレベル。
しかし、小さな身体に大きな意志を宿し、振り絞るように走り抜くその末脚は、稀代の名馬達とさほど差がなかったように思う。

たらればがまかり通るなら、ナリタタイシンはきっと強い馬だった。


以上が筆者が思うナリタタイシン星3実装の真意と、彼の生涯についての解説である。



あとがき

競走馬の生涯調べててこんな悲しくなったのサクラスターオー以来でしたよ…

 輝かしい伝説の裏にこんな惨劇が隠れてるとは思いもしませんでした。


ガチャでタイシンを引き当てたトレーナーの皆様。是非とも彼女をURAファイナルに導いてやってください。

そして、誰よりも大きなその背中に、夢を見ましょう。


それでは。




\誰の頭がデカいって!?/



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