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ウマ娘で学ぶ競馬史 #26 最後の飛翔 (2006)

みなさん、ウマ娘やってます?
現在、漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』がネットにてほぼ最新話まで無料公開中です。
(2022年4月30日現在)

競馬史シリーズを読んでる方はこれより先にシングレを読むべきです。たとえあなたがウマ娘にミリも興味なくても読むべきです。面白さは僕が保証します。

ただ、読んでハマった後に「これがウマ娘か」と思わないでくださいね。
アプリ版ウマ娘はディストピアです。直ちにアニメ1期と2期を見て、そのままでいてください。アプリはエンジョイ勢が1番楽しいです。(個人の感想です)


さて、今回はディープインパクトとその他大名馬たちの大大大躍進のお話なのですが…

あまりにもウマ娘関連の馬がいなさすぎたため、ウマ娘アニメにでてきた競馬場の引きの画像をサムネに使わせていただきました。狭間の世代すぎる。

とはいえオグリ時代、テイオー時代、スペ〜オペ時代が日本競馬の繁盛期の頂点なら、今回の#26もそれに匹敵する場面だと思うし、#28、#31〜34、#35〜37、#40もいいぞ。(予告ステマ)


※注意
ディープインパクトに関して、かなりセンシティブな所に踏み込んで解説してます。
知りたくない方は見ない方がいいかもしれません。

では参ります。

迫る波

2006年の日本競馬は、これまでにない超過渡期だった。

前回紹介した馬場の高速化に加え、
海外遠征で結果を出す馬の増加(=レベルの向上)、
次回も触れるが医学技術の発展による牝馬のフケ(発情期)抑制と、それに伴う牝馬の競走能力の大幅な向上…

これらが複雑に絡まりあい、今後の日本競馬は発展していく。


2006年の一大トピックは、新GIの創設だった。
その名もヴィクトリアマイル


90年代後半から、JRAは古馬牝馬路線の開拓とテコ入れを行ってきた。
メジロラモーヌが3歳で三冠とって即引退したように、90年代前半までは牝馬のためのレースが無さすぎた。

96年にようやくエリ女が古馬GIになり、その後も○○牝馬ステークスとか、ローカル競馬場の牝馬重賞とかができ、その状況も緩和された。

しかし、それでも足りなくなってきた。
ダンスインザムードやヘヴンリーロマンス、ファインモーションのように、強い牝馬が牡馬に混じってえげつないレースを繰り広げるようになってきた。


そこで作られたのがヴィクトリアマイル。
安田記念の3週間前に同じコース設定で行われるGI。
春のマイル女王決定戦だ。

ここからさらに牝馬の躍進が加速する。



ヴィクトリアマイルと絡めスプリント、マイル路線を見ていこう。

高松宮記念

急に本格化した外国産馬シンボリグランが1番人気。
外国人騎手ミルコ・デムーロを乗せ、クリスエス×ペリエの再来を狙っていた。
そこに立ちはだかるは昨年すごい成績を残した牝馬ラインクラフト。外枠になったが勝機は十分。

ほんの一瞬の判断が勝敗を分けた、熱いレースになった。

迫るラインクラフトを相手に、最後の最後で溜めてた一瞬の末脚を解放させ、そのまましぶとく粘って勝利。柴田善臣の好騎乗。
未紹介だがエイシンフラッシュを彷彿とさせるレースっぷりだった。

珍馬名の申し子

オレハマッテルゼ

父 サンデーサイレンス 母 カーリーエンジェル

38戦9勝[9-8-5-16]

主な勝ち鞍 高松宮記念 京王杯SC

主な産駒 ハナズゴール

03世代

勝ったのは4番人気、オレハマッテルゼだった。
馬名の由来は石原裕次郎らしい。

パッと見キャロットファーム(シーザリオとかエフフォーリア)の勝負服と見分けつかなくて迷うこの服。
これは競馬界では有名な馬主、小田切有一氏のトレードマークだ。

小田切さんはディープキンカメの金子さんみたいに、強い馬を多く持っていたわけではない。メイショウの松本さんみたいに、成績不振の騎手にいい馬を乗せ続ける聖人だったわけでもない。

ただ、馬の命名センスがぶっ飛んでいたのだ。

こちらが小田切さんの所有馬だ。珍馬名のオンパレードである。

これだけふざけていながら強い馬も多いため、度々珍実況が生まれる。
2007年若駒ステークスの「モチ粘っている!!」や「オマワリサン逃げる!!」などなど。

マズイマズイウマイやモグモグパクパクの実況もなかなか破壊力があるし、ナゾは付けてるメンコが謎仕様になっていて可愛らしい


当初は変な目で見られていた小田切さんだが、エガオヲミセテやオレハマッテルゼが活躍しだしたあたりから「オダギラー」と呼ばれる熱心な小田切フォロワーが増えていくことになる。
そして彼らが馬主になり「スモモモモモモモモ」や「アイアムハヤスギル」「オヌシナニモノ」など珍馬名の系譜が引き継がれていくことになる。(諸説あり)

小田切さんが「メンコでふざける文化」を作ったおかげで、ネヅコが鬼滅っぽいメンコを付けたりとやりたい放題できている。
今年の新馬もすごいことになるだろう。

(ちなみに筆者のイチオシはセトノダイヤモンド!昨年園田でデビューし、今年に入ってから本格化して2勝をあげているぞ!血統は父ネオユニヴァース、母父バゴなので元ネタとは全く関係ないぞ!)




ヴィクトリアマイル

前回紹介したメイショウサムソンが二冠馬になった次の週。ついにこの瞬間がやってきた。
第1回、ヴィクトリアマイル。

牡馬と互角に戦ってきたラインクラフトか、武豊とエアメサイアか、北村宏司に乗り替わりになったダンスインザムードか、あるいは善戦女王ディアデラノビアが強さを見せるのか。

牝馬劣勢の時代は遠き過去。
GI馬5頭による夢のレースが始まった。

エアメサイア、ディアデラノビアが猛追する中、最後に抜け出たのはダンスインザムード。
東京の直線でインを突いて抜けて粘るという無駄のない完璧な競馬で勝利を飾った。

ここから女王の時代が幕を開けることになる。
年度代表馬、三冠牝馬、最強の短距離馬が伝説的な走りを見せるGIへ、VMは変貌していく。




安田記念

女王ダンスインザムードは中2週ローテでここへ向かった。

もちろん高松宮記念を制したオレハマッテルゼが本命視されたのだが、国際GIとして外国馬も招き入れるこのレース。
勝ち馬は1頭だけ格が違った。

直線で突き抜け、後は放すのみ。
未だに破られていない安田記念史上最高のレートを叩き出したその馬の名は…

香港のマイル王

Bullish Luck

🇭🇰香港年度代表馬(05/06シーズン)

父 ロイヤルアカデミー 母父 アリシーバ

62戦12勝[12-7-8-35]

主な勝ち鞍
チャンピオンズマイル連覇 🇯🇵安田記念
香港ゴールドC 香港スチュワーズC

02世代

05年からアジアのマイル路線の地位を上げるために開催された「アジアマイルチャレンジ」。
日本のJRAと香港のHKJCが手を組んで、チャンピオンズマイル(香港GI)と安田記念を両方制覇したら賞金がもらえるところから始まり、後にオーストラリアとドバイも加わったが、どの国も地元馬が強すぎて上手くいかずに廃止になったシリーズだ。

ブリッシュが唯一チャンピオンズマイルと安田記念を連続制覇しボーナス賞金を獲得した馬になった。

その後もダートのドバイワールドカップで3着になったり、意味わからんところで大激走する&秋冬シーズンは極端に弱い馬だった。



スプリンターズステークス

そんな国際化の波に乗っかったのはマイル路線だけではなかった。

スプリンターズSも昨年のサイレントウィットネスが国外で大暴れしてくれたからか、国際GIとして開催された。

今年も今年でグローバルスプリントチャレンジの影響からか外国馬が押し寄せてきていた。
1番人気は既に豪州最強馬の地位を確立していたテイクオーバーターゲット
2番人気はそんな馬相手にセントウルSで勝利をもぎ取ったシーイズトウショウ
3番人気に去年の覇者サイレントウィットネスと続いた。

見ての通り、まるで勝負にならなかった。
ようやく海外やジャパンカップでも外国馬に太刀打ちできるようになってきた日本馬。
しかし、短距離の本場の最強馬相手にはどうしようもなく無力だった。

豪州の至宝

Takeover Target

🇦🇺オーストラリア競馬殿堂入り

父 セルティックスウィング(ミスプロ系)
母父 アーチリージェント(ノーザンダンサー系)

41戦21勝[21-6-4-10]

主な勝ち鞍
T.J.スミスS ライトニングS 🇯🇵スプリンターズS
ニューマーケットH グッドウッドH サリンジャーS
ドゥームベン10000 🇸🇬クリスフライヤー国際SP

02世代

日本競馬は基本的に、どんなレースでも息を入れようとする。3コーナーから4コーナー手前でペースを軽く落とし、最後の末脚のための準備をする。
それがテイクにとってはラッキーだったのだろう。


オーストラリアの競馬場の形は大概が狂っていて、中山や札幌の比じゃないくらい直線が短い競馬場もある。なので、始めから終わりまでワンペースで流れる事が多い。
絶対的な能力値の高さから先頭に立ったテイクは、そのままの流れでいつものレースをしていつも通り勝った。それだけだった。
これが国際GIになるということの重みだった。



普段は日本馬のストーリーしか語らないが、テイクくんも中々のドラマチックホースなのでちょっと解説したい。

まずはじめに、テイクの馬主はテイクの調教師だ。
日本じゃ有り得ないが、海外の一部の国ではOKらしい。(日本も昔は騎手兼調教師がいた)

調教師のジャニアックさんは、朝はパン屋、夜はタクシーの運転手をやりながら調教師をしていた。
当然生活は苦しく、ギリギリで生きていた。
そんな中ジャニアックさんはある馬を11万円という破格の値段で購入した。
その馬は膝に爆弾を抱えており、気性も荒く、ジャニアックさんが買わなければ廃用(○処分)寸前だった。

ジャニアックさんはそんな彼のためになけなしの金をはたき、3度にわたる手術をさせた。
その後育成を開始したが去勢しても気性は治らず、ジャニアックさんは思いっきり蹴られて頭を30針縫う大怪我を負い、馬のデビューも大幅に遅れ、まさに踏んだり蹴ったりだった。

デビューは遅れに遅れて4歳。当然そんな馬に一流騎手が乗るわけもなく、手綱を任されたのは当時20歳だった見習いのジェイ・フォード騎手だった。 
しかし馬の能力は一級品で、超ローカル競馬場ながらすごい着差を付けて3連勝。
そこからの勢いは止まらず、G1を開催する競馬場のレースやリステッド競走でも連勝を重ねた。

そしてこの頃、「馬を100万豪ドルで売ってほしい」という申し出があった。だいたい日本円で9000万くらいだ。馬名の通り、まさにtakeover(買収)のtarget(標的)になった。
普通は絶対に売るだろうが、ジャニアックさんは考えに考えた末、馬を信じることにした。この決断がジャニアックさんの人生を変えた。

次のレースで、ついに彼はG1初勝利をあげた。
騎手、調教師、馬にとって念願の初勝利だった。
日本の感覚でいえば「この時点で100万豪ドル稼げてるやん!」とお思いかもしれないが、他国の競馬はG1の賞金がえげつなく低い。
レース名はサリンジャーステークス。今はG2に降格しており、名の知れたレースではなかったため、たぶん20万豪ドルくらいしかもらえなかっただろう。

そしてここで膝の爆弾が再発。さらに蹄も感染症に犯された。それでもジャニアックさんは献身的に馬の治療にあたった。

その結果、6歳の12月から急に覚醒し、7歳でオーストラリアの中でも上位のG1、ライトニングステークスを制覇。以降はもうすんごい活躍して、で秋が↑のレース。結果としてG1レースは8勝、だいたい630万豪ドルを稼いで引退となった。
信じた結果の勝利だった。


嬉しかったのはそれだけではなかった。

テイクオーバーターゲットのおかげで、ジャニアックさんは副業を卒業。調教師一筋で食べていけるようになった。

そしてジャニアックさんのすごいところは、ほぼ全戦でフォード騎手を乗せ続けたこと。
日本で強い馬に新人騎手を乗せて連勝しても、だいたい川田将雅に乗り替わりになる。
豪州ならマクドナルド騎手や、キタサンブラック回で紹介するヒュー・ボウマン騎手が今でいう川田と横山武史ポジだったが、最後までフォード騎手を信じて乗せ続けたのだ。(期待に応え続けたフォード騎手もすごい)

もちろんフォード騎手もいい馬に乗れるようになり、テイク以外でもG1を勝っている。今でも現役だ。

なんともハートフルなお話でした。


栄光の一年

そろそろ日本に話を戻す。
テイクオーバーターゲットやブリッシュラックの圧勝で割を食った日本勢だったが、その一方で2006年は日本馬にとって大躍進の年だった。


海外には大きなレースの祭典がいくつもある。
中でも勝てば名誉とされるレースがいくつかある。
欧州は🇫🇷凱旋門賞と🇬🇧キングジョージVI&QES
北米は🇺🇸ブリーダーズカップクラシック
オセアニアは🇦🇺メルボルンカップ
アジアは🇦🇪ドバイワールドカップ

この中の1つのレースに出るだけでもこの上ない名誉なのだが、2006年、日本馬はBCクラシック以外の全てで好成績を収めることになる。


🇦🇪ドバイワールドカップデー

国内がアドマイヤムーンの快進撃に湧く中、ついに日本が勝鬨を上げる。
GII時代のドバイシーマをステイゴールドが制したところで日本の進撃は止まっていたが、この年は金子さんの持ち馬ユートピアがダートGIIゴドルフィンマイルを制覇。メインレースのドバイワールドカップでも同金子さんのカネヒキリが4着と超好成績。金子さんはリアルウイニングポストプレイヤーなので本気を出すとこうなるのだ。

この快挙は詳しく論じるとキリがないが、芝について解説するシリーズなので割愛。
ここで取り上げたいのはハーツクライの走りだ。


🇦🇪ドバイシーマクラシック
芝2400mの王道距離GI。年々出走馬が豪華メンバーになり日本馬の付け入る隙がなくなってい た。
この年も既にGIを4勝している名牝ウィジャボード&アレクサンダーゴールドランが参戦。例年通りなら厳しい。

しかし、ハーツクライは海外でも高い評価を受けていた。ディープインパクトを破ったからだ。
ナリタブライアンすら競馬関係者には衝撃を与えた。パート2国とはいえ無敗の三冠馬ディープ。それを打破したハーツクライはどれほど強いのかという期待。鞍上がフランスの名手ルメールだったのも大きい。

その期待を軽々と超えていったのが、覚醒したハーツクライだった。

持ったまま。このメンバー相手に持ったまま。
鞭1つ入らない。それで4馬身半。

エルコンドルパサーが凱旋門賞で見せた激走。
海外競馬ファンには彼とその姿が重なったに違いない。
真の強者は能力の絶対値が違う。
「ディープに勝つ」ということがどれほど異常だったか。
ハーツとディープは一瞬でこの世代の世界最強候補になった。



🇸🇬シンガポール航空インターナショナルC

一方道営の星コスモバルクはシンガポールに飛んだ。
当時の日本と同じくパート2国のGIだ。

ちょっと格は落ちるがGIはGI。
ここでバルクは大仕事をやってのけた。

稍重で2:06.5。同年の雨&重馬場大阪杯が2:04.5だったのでどうなん?って感じではあるが、GIはGI。
(むしろ大阪杯がGIIだったのがおかしい)
こうしてバルクは地方所属馬初のGI馬になった。

ダートは不向きながら地方を盛り上げようと北海道からデビューし、盛岡の芝重賞に出たり、道営記念に出たりしながら中央で活躍していた名バイプレイヤー。そんな彼がついに主役の座をゲットしたのだった。


香港から始まり、アメリカ、ドバイ、シンガポール。
ここ数年で数多くの海外GIを制覇した日本馬。
その裏には国内の地元馬が強すぎたという背景もあったのかもしれない。




阪神大賞典

2006年のクラシックホース達は強かった。
強かったが、結果的にディープしか残らなかった。
無敗三冠馬という圧倒的な存在と、それに次ぐ同期の実績馬シーザリオシックスセンス故障引退
さらっと書くが、ラインクラフトはヴィクトリアマイルで初の大敗の後急逝。同レースに出たエアメサイアは爪の調子が良くなくそのまま引退
日本ダービーで2着の後裂蹄していたインティライミは復帰後は不調が続いていた。

ディープインパクトだけが、ただ1頭、輝きを放っていた。


春の仁川。
初の敗戦が嘘のように、ディープインパクトは公開調教をはじめた。

菊花賞馬デルタブルース、春天3着アイポッパー、インティライミほか強豪集う中で向かうところ敵なしの横綱相撲。

ナリタブライアンの衝撃のパフォーマンスを超えるタイムではなかったが、鞭を入れずにこれなので相当なものだ。
ここで力を使わずに勝てたことで、次の1戦が伝説になった。




天皇賞(春)

ほぼ阪神大賞典みたいなメンツのためディープの単勝は1.1倍。
とはいえ、不安要素はある。

ディープインパクトは体質があまり強くなかった。


人間、特に陸上選手はだいたい体重が50〜70kg、身長高い外国人でも80kgくらいまでに収まると思う。
競走馬にも適正体重があり、2000年代後半はだいたい450〜520kgの範囲内で収まっていた。
(今は調教による筋肉の付き方とかが変わって、10〜20kg上にスライドしてる印象)


ディープはデビュー時は440kg。これ自体は普通だった。
でもこの天皇賞の時点での馬体重がなんと438kg
むしろ減るというね。
飼葉は食うけど体重が増えなかったらしい。

それでも、いや、そうだからこそ、この走りがあったのだろう。

出遅れ掛かり大外ぶん回して下り坂でまくり
何一つとして勝てる要素が無いレース。
なのに掛かりながら圧勝。

小柄な体格に抜群の柔軟性が加わり、スピードに乗せたら絶対に後ろから差されない圧倒的な速さを手にした。

走破タイム、3:13.4
マヤノトップガンが競走生命ごと投げ打って叩き出した不滅のレコードを、掛かりながら1秒更新した。


2着リンカーンは後続に5馬身差を付け、ギリギリマヤノのレコードを超えるタイムで走破した。例年なら圧勝レベルの競馬だ。
それを3馬身半突き放したディープ。
鞍上、横山典弘はこう呟いた。

生まれた時代が悪かった」と。

そう思わせるほど、ディープは絶対的だった。




宝塚記念

この年は京都開催だった。
以前解説した「魔の桜花賞ペース」改善のための外回りコースを作る工事が進められていたからだ。
なのでエリザベス女王杯と同じコースでレースが行われた。


この時期ならではの雨、稍重での発走となった宝塚記念。それでもディープはいつもの走りを見せた。

雨でも4馬身差。
春の激走の疲れからか全く伸びないリンカーンをあっさりとかわし、GI5勝目。 
馬体重が小さい&飼葉食いが良いため、自重の負荷が少なく脚部の疲労回復が早い、みたいなこともあったのかもしれない。


これで秋の期待が高まった。
目指す先は芝の最高峰、凱旋門賞だった。




🇬🇧キングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス

天皇賞(春)のゴール前、馬場アナは「ハーツクライよ、ハリケーンランよ待っていろー!!」と実況した。
当時の世界は、この3頭が最強格だったのだ。


夏のアスコット競馬場、エアシャカールを紹介した際に取り上げた名前激長レースにて、ついに両雄が対峙した。


この年のキングジョージは三強対決と云われた。
ドバイで輝きを見せた🇯🇵ハーツクライ
鞍上は後の日本の誇り、クリストフ・ルメール。
イタリアからトレードされドバイWCを制覇した芝ダート二刀流🇦🇪エレクトロキューショニスト
鞍上は名手ランフランコ・デットーリ。
凱旋門賞馬🇫🇷ハリケーンラン
鞍上は仏リーディング騎手クリストフ・スミヨン。

(誤解されがちだが、ルメールとスミヨンに血縁関係はない)


日本競馬界にとって、ハリケーンランは因縁の敵だった。なぜなら彼はモンジューの初年度産駒
エルコンドルパサーを破り、エアシャカールを容赦なくちぎり捨てたあのモンジューの子。
彼を破るにはここしかなかった。


三強の前に誰も参戦を表明せず、わずか6頭でレースは進む。キングジョージ史に残る、屈指の名レースがそこにあった。

正直、ハーツクライは状態があまり良くなかった。
帯同馬無しで1頭で遠征させたところ予想以上に寂しがり、飼葉を食べずに体重が落ちていたという。

それでこのラストスパート。万全の体調なら勝ちパターンだっただろう。

最後抜け出たが、そこからが伸びない。
エレクトロキューショニストが差し返す。
更にその内から勝機を伺っていたデットーリがハリケーンランを導く。

三強が三強として真っ向勝負を繰り広げた夢の直線。
勝ったのはハリケーンランだった。
僅かに及ばなかったハーツクライ。
しかしこれは展開のアヤだと思わせる実力だった。

橋口調教師は「来年は帯同馬を連れてリベンジしたい」と語った。
…だが、ハーツクライに次は無かった


三強はここで燃え尽きた

ハリケーンランはこれを最後に衰えが来た。
もう二度とGIを勝つことはなかった。

エレクトロキューショニストは亡くなった
心臓麻痺だった。
電気死刑執行人。
まるで最期が分かっていたかのような馬名だ。
生きていたら優秀な子供が生まれていただろうし、ハーツの子供と戦えていたに違いない。

そしてハーツクライは、喉鳴りに冒された。
喉からヒューヒュー音が聞こえるから喉鳴りだ。
これは馬体重の大きい馬がなりやすい病気で、ハーツの場合は咽頭片が麻痺していた。
正常な馬より気道が塞がるため、呼吸が苦しく、パフォーマンスが大幅に落ちる。
彼の場合重度だったようで、引退を余儀なくされた。




天皇賞(秋)

喉鳴りは競走馬にとっては不治の病。走りたくても走れない。ジストニアに近いものがある。
しかし、それを乗り越えて己の道を進む人がいるように、競走馬の中にも喉鳴りを乗り越えて伝説になった馬がいる。



ディープインパクトのいない秋の盾。
人気薄で初めてGIを制してから2年。
皐月1着、ダービー6着、天皇賞(秋)は17着。
「もう終わった」と笑われた。
状態は深刻だった。
「手術しても成功する確率は1割〜2割」と言われた。
それでも「やれるだけのことはやりたい」と手を尽くした。

成功し、GIIIを制覇した。
それでもGIには届きそうもない。

最後のパズルのピースを埋めたのは、名手との出会いだった。

ディープインパクトのように、強烈な切れ味があるわけではない。
サイレンススズカのように、圧倒的なトップスピードを出せたわけでもない。

並ばれたら絶対に抜かせない。抜かされても絶対に差し返す。誰にも負けない勝負根性が、ダイワメジャーの強みだった。
喉鳴りを乗り越え、幾多の敗北を乗り越えてきたからこそ、泥臭く粘りに粘って勝ち切るその強さに磨きがかかった。

それを120%引き出す事ができた人物が、我らがアンカツ、安藤勝己だった。
アンカツ自身「相性が良かった」と語るダイワメジャー。彼とメジャーの快進撃が、これからの日本競馬の最前線を彩ることになる。




マイルチャンピオンシップ

復活の狼煙を上げたメジャーの勢いは留まるところを知らなかった。
マイルCSでも、彼の末脚の持続力は活きた。

道中2番手から抜け出し、ダンスインザムードに馬体を併せられた瞬間にまたじわっと伸びる。
これがダイワメジャーの強さ。


エアダブリン、ダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムードと続いてきた名牝ダンシングキイ一家の躍進。しかしこれがラストダンス。

これからはダイワメジャー率いる「緋色の一族」の時代。世代交代の一戦となった。




🇦🇺メルボルンカップ

さて、ディープインパクトが凱旋門賞に挑む裏で黙っちゃいなかったのが他の日本馬。
社台グループは本格的に日本馬の地位向上を目指しており、05年もサッカーボーイ産駒アイポッパーでオーストラリア最高峰GI、コーフィールドカップ2着と健闘していた。


社台グループは1年海外遠征させると2年目はすごいことをする。
アイポッパーの遠征で得たことは、「強い馬をもっと連れていけば勝てる」ということ。

そこに目を付けたのが角居厩舎。
所属馬デルタブルース、ポップロックを連れて、コーフィールドカップを叩きに使い、大一番に馬の体調のピークを持ってくるよう調整した。


メルボルンカップは世界の長距離GIで、ゴールドカップ、天皇賞(春)と並んでレベルの高いレースであり、中でも最も格が高く、勝てば至上の名誉となる。

そこでポップロックは1番人気に近い状況になった。
対して、前走と外国人騎手から岩田康誠に乗り替わりになったデルタブルースは7番人気。
この乗り替わりがいい方向に働いた。

早め先頭からそのまま粘ったデルタ。
ポップロックが追い詰めるも届かない。

世界の頂上で日本馬がワンツーフィニッシュを決めた
オーストラリアの競馬場は初騎乗で、GIの大舞台で勝ててしまった強さ。ヤスナリ・イワタは現地のヒーローになった。
(なおインタビューは英語なんも分からず返答できなかった模様)
何にも変え難い栄光に、日本競馬界は酔いしれた。


皐月賞馬ダイワメジャー、ダービー馬キングカメハメハ、菊花賞馬デルタブルース。
そしてダンスインザムード、スイープトウショウ、ハーツクライ、コスモバルク…

04年のクラシックを駆け抜けた馬たちは、ディープインパクトにかき消されるには勿体なさすぎるくらいの偉業を成し遂げたのだった。




この年の日本馬の躍進は凄まじく、秋華賞でカワカミプリンセスの2着だったアサヒライジングも🇺🇸アメリカンオークス2着と好走した。おそらくカワカミが出てたら勝ってただろう。

アサヒライジングの父ロイヤルタッチは本シリーズでも紹介したが、フジキセキやジェニュインと並んでサンデー産駒四天王とされていた。その中で唯一GIを勝てなかった。子も嫌なところが遺伝してしまったが、同期のクラシック上位組(カワカミ、パンドラ、キッス、キス、コイウタ)はGI勝てなかった馬もいるためそこまで悲愴感はない。むしろ海外GI2着は輝かしい功績だ。

前述の天皇賞(秋)で3着になったアドマイヤムーン香港カップでルメール騎乗のプライドに僅かに及ばず2着と、日本馬大躍進の一年だった。




最後の飛翔

では、ディープインパクトはどうだったのか。
天皇賞の裏で、彼はフランスに飛んでいた。

🇫🇷凱旋門賞

競馬史上、英国ダービーと並んで最大級の名誉。
勝てば歴史が変わる。

日本の競馬ファンがロンシャンに赴きディープの単勝を買いまくったせいでオッズが破壊されたが、上位人気は強豪揃いではあった。だが、例年に比べるとメンツが薄かった。

1番人気は🇯🇵ディープインパクト
2番人気は🇫🇷シロッコ。4連勝中のBCターフ勝ち馬。
3番人気は🇫🇷ハリケーンラン。現在絶不調。

普通に走ればディープの敵ではなく、日本馬の悲願がついに叶う。そう思われていた。
しかし。

ディープインパクトは、伸びない。
勝ったのはレイルリンク。伏兵の3歳馬だった。


これもディープの弱さが全部出たレースだった。
まずは先述した体質の弱さ
実はこの時ディープは体調がかなり悪かった。
風邪で、咳が出ていた。

そしてこれは競走馬として致命的なのだが、馬体を併せられると本気を出さないところ。
併せられた方の馬にスピードを合わせようとするらしい。
日本でのレースを思い出してほしい。
ディープはいつも律儀に外をぶん回して、1頭だけ芝の荒れてないところを走らせている。
そして弥生賞では馬体を併せてるから伸びてないともとれる走りを見せている。

武豊曰く「一番乗り難しい馬だった」らしい。


凱旋門賞では外から被せられて負けた。
万全の状態なら外を回せたのだろうが、体調の関係もありああなったのかもしれない。

史上唯一、後ろから差し返されての敗戦。
しかし見せ場は作ったし、勝負はできた。




帰国してすぐ、巨額のシンジケートが組まれた。
総額51億円。それが彼の種牡馬としての価値。
つまり、この年限りでの引退ということだ。

凱旋門賞の夢は子供に託される…かと思いきや、衝撃のニュースが報道された。


凱旋門賞のレース後、ディープインパクトの体内から禁止薬物イプラトロピウムが検出されたというのだ。

突然の不祥事に業界騒然。
今でもディープを語る際、触れてはいけない禁忌のようになってしまっている。


ここを早とちりする人が2chとかでディープをdisっているのだが、この薬は心臓を大きくするとか、競争能力を上げるようなドーピング剤ではない。
レース直前でなければ普通に使用が許可されている、人間だと喘息や気管支炎に使う薬だ。
咳をしていたのだから使うのは当然だろう。

効能は呼吸がしやすくなること。とはいえ健全な馬に使ってもパフォーマンスは変わらないという検証結果が数年前に出ている。
ディープは人間でいう風邪で、本来ならレース前は投与してはいけない薬を誤って吸引してしまった、ということだ。

もちろんこれは不祥事で、やってはいけないことではある。が、先程紹介したテイクオーバーターゲットも似たような事件を起こしている。
テイクの場合は黄体ホルモンというステロイドの一種で、なんか女性の妊娠の手助けをするやつらしい。完全に薬打ち間違えてる。
禁止薬物を使用した事実はあるが、テイクはオーストラリアの英雄として称えられている。


これだけ聞けばある程度は許される事項であるようにみえる。問題だったのは事後の対応だった。

ディープ調教師池江泰郎は会見でしどろもどろの回答。JRAは池江師を突き放し、イプラトロピウムを「競争能力に影響する薬」と断言、ディープが引退してから禁止薬物に指定した。
そりゃ引退してから禁止してたらJRAぐるみでやってたとしか思われまい。


加えて、週刊文春にこんなネタが投下された。
「池江厩舎が違法薬物ベンチプルミンシロップを使っている」という黒い噂だ。
これは筋肉増強剤であり、誰がどう見てもドーピングだ。だが、正直これを使っていたとは思えない。

ディープ引退前、ディープ引退後の池江厩舎の成績を調べてみたが、ミリも変わってない。
むしろ08年の方が勝率だけで言えば高い。
黒い噂に過ぎないのではないだろう。ゴシップの範疇だ。


ディープがあまりにもぶっ飛んだ成績を叩き出したが故に2chの板とかで未だにドーピングだと騒がれているが、彼は名馬だと世界が認めている。それ以上でもそれ以下でもない。

よって、ここではやってない体で話を進める。




ジャパンカップ

ディープ陣営は引退までの残り2戦において、「一切の投薬、治療行為を行わないこと」を表明した。
現代の競走馬は筋肉注射で疲労を取ったりするのだが、厩務員による手でのマッサージで次戦に備えた。


さすがに凱旋門賞と体調不良明けが祟ったのか馬体重は436kgと過去最低体重だった。
それでも圧倒的1番人気。ハーツクライとウィジャボードがいても単勝1.3倍。
凱旋門賞の無念を晴らすため、ディープは飛んだ。

スローペースを追い込んで、いつも通り外に出し、馬体を併せず豪快に差し切る。
いつもと違ったのは、最後の直線。
あの武豊が、フォームが乱れるほどに鞭を打っていた。凱旋門賞失格の悔しさを糧にして。

やはり日本の馬場だと途轍もない加速力を見せたディープ。凱旋門賞制覇に足りなかったのは、欧州の馬場を乗り切るパワーだけだった。


そして2着に入ったのはドリームパスポート。
3歳世代はやはり強かった。




有馬記念

あっという間にその日が来た。
ディープインパクト、ラストラン。
もうハーツクライはいない。あとは自分との戦い。
苦手意識のある中山。そこでどれだけ結果を出せるか。

ゲート入りからご覧いただこう。

まずスイープはめっちゃ駄々こねた。
相当走りたくなかったのだろう。
我々は笑い事に出来ているが馬にとっては相当なストレスで、場合によってはゲート内で暴れて傷付きながらでも外に出ようとする馬すらいる(ソダシの母ブチコなど)
馬は繊細な生き物なので、鞭を打たれるのが恐怖なのかもしれない。


レースの主導権は3歳世代アドマイヤメインが握った。相変わらずのハイペース逃げ。見ていて気持ちがいい。
それをダイワメジャーが追いかける。マイルCSから有馬。オグリキャップみたいなローテだ。
メイショウサムソン、デルタブルース、ポップロックと有力馬が前に固まりながらレースは進み…


第4コーナーを回るころ。
それらを一瞬で置き去りにしたのが日本の英雄だった。

ディープが今、翼を広げた!間違いなく翔んだ!
最後の衝撃だ!これが最後のディープインパクト!
ラストランを見事に飾りましたディープインパクト!
これが私達にくれる最後の衝撃!

三宅正治

何度聞いても熱すぎる実況。


飄々とインタビューを受け答えた武豊だが、後に彼は語った。
ようやくディープの乗り方が分かった」と。

今までは掛かったり、余分に外を回したりしていたが、確かにこのレースを見ると(ディープにしては)最小限の距離ロスで外に出し、そこから突き抜けている。
最後は追わずに流すほどの余裕を見せてのゴール。

恐らくこれには彼の気性面での成長もあったのだろう。レース前の地下馬道で暴れる事も無くなったし、必要以上の前進気勢を見せることも無くなった。それだけに、5歳になったディープが見てみたかった。



産駒で5歳のディープの夢の続きを見せてくれる馬がいるかな…と思いきや、コントレイルも4歳で引退してしまった。(頼むぞシャフリヤール)


こうしてディープインパクトは引退。種牡馬としては成功すべくして成功したが、にしても予想を遥かに上回る大成功だった。

これからしばらくはサンデーサイレンス死後の狭間の時代が4年間続き、以降はずっとディープ時代になる。
奇しくも種牡馬としてライバル争いを繰り広げるのがハーツクライとキングカメハメハだ。


種牡馬の子供は当然親の能力を受け継ぐので、父に似た馬も当然生まれる。
父そっくりな走りを見せてくれる馬もいる。
これからの競馬史はそんなロマンを追いながら読んで頂きたい。




さて、ディープインパクト引退の裏、工事を終えた阪神競馬場では2歳馬が走り出していた。
2歳女王決定戦に仁川は沸き立った。

武豊が御すその牝馬は抜群の先行力を持っており、例年なら圧勝レベル、レコード決着の走りを見せていた。

そんな馬を後ろから豪快に捉え、レースレコードを1秒以上更新した女王がいた。
そして、そんな馬すら負かす女王が別にいた。

英雄なき後、競馬ファンは彼らの強さに心酔した。

かくして牝馬最強時代がはじまる。


夢を叶え、扉を開けた名牝たちの物語。

勝てない。できない。
ジンクスは破るためにある。


まとめ

ということで、ディープの後はみなさん大好きあのコンビ(トリオ?)の時代です。

日本競馬的には暗黒期に違いないんですが、ウマ娘のおかげでこちらとしては黄金期です。ありがとうございますほんま。サムネに困らない。


ついにディープ回が終わっちゃってロスです。
もうちょい文章盛り上げたかった。
次回からは煽りに力を入れたいと思います。

それでは。


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