歳を取ったって、やれることは無限…だが、その意味を見失ってはいけない

いやはや、最近は本当に便利な時代になったものです。個人で何でもできる、何歳だろうとチャレンジが可能だなんて、まるで夢のような話じゃないですか。まあ、確かに「やれること」は増えた訳だが、そこで一つ考えたい。「できる」と「やるべき」は決してイコールじゃないということを。

歳を取ると誰しも身体も脳もガタがくるのは当然。それはもう、自然の摂理ってもんですよ。でも、そこで妙に意識高く「まだいける!」「今が俺の時代!」なんて足掻いているのを見ると、少々滑稽にも思えてくるわけだ。そんな姿を見せられて、周りも正直困惑するというか、「まだ頑張るの?」と内心苦笑いですよ。年相応にできることを見極めるのも大人の嗜みってもんでしょうに。

もちろん、歳を重ねても新しいことに挑戦する意欲は尊敬に値する部分もあるが、明らかに回らない脳で無理やり動かしているのを見ると、それはもう「無駄な足掻き」以外の何物でもない。ちょっと残酷な言い方をすれば、「お疲れ様、もう休んでいいんだよ」と優しく肩を叩いてあげたくなるようなね。

「今さら何を目指しているんだ?」って話ですよ。無理に若作りして「俺もまだまだ現役だぜ」なんてポーズを決めたところで、その哀愁漂う背中が全てを物語っているのに。新しいことをやるのはいいけれど、せめてその鏡に映る自分とちゃんと向き合ってからにしてほしいもんです。ボロボロな姿を隠しながら「俺もまだいける」と無駄に足掻く様子は、まるでフルマラソンを走り切った後に、もう一度スタートラインに戻って「まだ走れる」と言い出すようなもんじゃないか。

結局のところ、人間ってのは誰しも自分の限界を知るべき時が来るもので、そのタイミングを見誤ると、途端にみっともなくなるもんです。歳を取っても新しいことに挑戦するのは立派だけど、それが「やれるからやる」ではなく、「やるべきかどうか」を見極める知恵があってこそ本当の大人の挑戦なんじゃないかと思いますよ。それを理解しないと、ただの「無駄な足掻き」で終わるんですよ、残念ながら。

まあ、最後に一言言わせてもらえば、無理に若返ろうとするのではなく、その歳相応の美しさと知恵を見せる方がずっと素敵だってことです。無駄な足掻きを続けるくらいなら、今ある姿を受け入れて、その上でやれることを見つける。それこそが本当に「何歳でもやれることがある」ってことじゃないですかね。

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