見出し画像

クズ人間がエンジニアになるまでの話

20歳くらいまでの僕は文字通り「クズ人間」だった。
勉強も運動もとにかく"どれだけ楽できるか"ばかり考えてるような学生時代を過ごした。

要領だけは良かったので、その場しのぎで何とかなってはいた。
しかし歳を重ねるにつれ、ダメ人間具合が加速していった。

学生時代

親も「最低限宿題くらいはやっとけ」とは言うけども、それ以外の勉強は特に強要しない家庭だった。

小学校では授業を聞いてるだけで、そこそこの点数が取れたのでろくに勉強した記憶がない。

中学校では、テスト期間は勉強時間の計画を自分で立てるシステムになっていたので、それに沿ってぼちぼち勉強していた。
ちなみに成績は真ん中くらいの順位だったと記憶している。
中学生の頃が僕の学生期間では一番勉強していた時期だと思う。

高校受験を控え個別指導の予備校に通った。
そして平均的な偏差値の高校に入学。

高校に入ってバイトを始めてから僕の堕落人生が加速した。
人生で初めてのバイトは自宅近くのスーパーのレジ。
与えられた業務はこなすけど、暇でどうしても眠いときはレジに立ちながら寝るというポンコツ具合。
このバイトは一年くらいやっていたかな。

16歳になると原付の免許が取れるので友達と取りに行った。
取りに行ったメンバーの中にぱみやすもいた。仲良しか!w

高2になり取得した原付免許を使って寿司のデリバリーのバイトを始めた。
最初は地図が全然覚えられなくてめっちゃ迷ってた。
方向音痴なんだよね、今でもだけどw

少ししたら慣れてきて業務もそつなくこなせるようになった。
暇な時間があるなら働いていたい性分だったので、週4,5くらいでシフトを入れていたと思う。
このバイトは二年間くらい続けて最後は店長と揉めてバックレ。
ほんとクソガキ。

高校ではアルバイトと遊びに明け暮れ、ろくに勉強した記憶がない。

そんなちゃらんぽらんで将来の夢も特に無かったので、とりあえず大学に行くことに。
もちろん何も考えてない当時の僕は仲の良い友人が行くという理由でFラン大学を選択。
そして論文と面接だけのAO入試で合格。

高校受験も大学受験もそこまで努力しなくても合格できるところを受けてきた。
だから受験勉強というものを必死にやったことがない。
将来のことも全く考えていなかったし、何のために勉強するのか理解できていなかったんだよね。

これは僕の人生にとって大きなネックというか、もったいないところだと思う。
高学歴は権威性も上がるので、もっと死ぬ気で勉強していい大学に通っておけばよかったと後悔してる。

そんな僕は大学でも安定のクズ具合で、90分の授業のうち60分くらいは寝てた。
大学では授業に出なくても誰にも何も言われないので、サボりがちな友人につられて自分もサボるようになった。
それでも僕より授業に出てる友人より単位は取れてたりした。

ほんとに昔から要領だけは良かった。

ちなみに大学時代はカラオケやマンガ、ビリヤード、ダーツなどがある複合施設でバイトをしていた。
従業員は施設を無料で使えたので、よくバイト仲間と朝まで遊んでいた。

運命を変えたドラマ

そんなくすぶっていた20歳の僕はあるドラマの再放送を目にする。

そのドラマは「リッチマン、プアウーマン」。

小栗旬がIT企業の社長を演じるドラマだ。
日向徹(小栗旬)がごりごりコードを書く姿や、社長として働く様がとてつもなく格好良かった。

僕は単純なのでこれを見て「ITで起業するしかねぇ!!」と思った。

月9で放送していたときも見ていたけど、その時は「普通におもしろいドラマだな」という印象だった。
20歳になると急に将来のことを考え出す、あの時期に改めて見たのが効果的だったんだと思う。

リッチマン、プアウーマンは僕の人生を180度変えたと言っても過言ではない。
モチベーションが爆上がりすること間違いなしなので、見たことない人は是非見てみてほしい。

ここでずっとOFFだったスイッチがONに切り替わり、
僕の人生が少しずつ好転してきた。

IT企業のアルバイト

完全にスイッチが入った僕は、バイト中もどんなアプリやサービスを作るかをひたすら考えていた。
そういったアイディアを考えていると、心底ワクワクしてとても楽しかった。

そして何の目標もなく通っていた大学を辞めることを決意。
大学三年生の春だった。

大学を辞めて早々に、友人がIT企業でバイトをしていたのでそこを紹介してもらい働くことになった。
昔から僕はこうと決めたら行動が早い。

ちなみに仕事内容はとあるWebサービスの管理スタッフ(夜勤)。
晴れてIT企業デビューした僕はPCの使い方から学び始めた。

職場の先輩に「コピペってわかる?」と聞かれて、
「コピーページですよね?」とドヤ顔で知ったかぶりをかました記憶がある。
「アホな奴きた…」と思われたに違いない。

当面は業務を覚えつつ、隙間時間でPCの基本的な使い方を学んだり、タイピングを練習したりした。
確かイータイピングを使っていたかな。
格好から入るタイプなので、まずはブラインドタッチができるようになりたかった。

そのバイトは夜勤だったので、業務以外の時間はぶっちゃけほぼ自由時間だった。
その時間でプログラミングを勉強した。

プログラミング学習開始

業務やパソコンの使い方に慣れてきた僕は、ついにエンジニアとしての勉強をスタートした。

ブラウザで右クリック「ソースを表示」で初めてWebサイトのコードを見たとき僕は絶望した。
こんなわけのわからないグチャグチャしたものをこれから勉強するのかと。
これが一番最初の絶望。

そして数あるプログラミング言語の中から、僕が最初に選択した言語はPHP。
「Facebookが当初はPHPで作られていたから」という単純な理由だ。
ちなみにFacebookの創業ストーリーの映画、
ソーシャル・ネットワーク」もめちゃくちゃおもしろいのでぜひ見てほしい。

そして「PHPを学ぶにはHTMLとCSSの知識も必要だよ」と先輩に言われ、まずはそっちの勉強から始めた。

使ったサービスは主にドットインストール。
当時はまだ会員限定のレッスンは無かった気がする。

最初はひたすら動画を見た。しかし何回見てもよくわからない。
なので次は真似してコードを入力して同じ動作になるか試してみた。
同じ動作にならない場合、バグを探して修正した。

そんな感じであまり理解はできてないけど、「とりあえず手を動かす」ということをひたすら繰り返した。
それが功を奏してか「こうすればこうなる」というのが何となく肌感覚で理解できてきた。

同じ要領でCSSも勉強した。
文字色を変えたり、配置を調整したりとデザインをいじれてワクワクした。

そしてPHPの学習ではまずXamppの環境構築ではまった。
現に環境構築で挫折していく人はかなり多いと聞く。

環境構築を乗り越え勉強していくと「演算子」やら「配列」やら、わけのわからない単語がたくさん出てきた。
HTMLやCSSはマークアップ言語なので、まだ直感的に理解できる。
しかしPHPはプログラミング言語。
明らかに難易度が上がったことを実感した。

「これほんとに習得できるかな?」と不安がよぎった。
ひとまずドットインストールを見て同じようにコードを打ってみた。

echo 'Hello World';

へ?これなんでわざわざ「Hello World」って表示させるの?
変数に格納したり、配列を作ったり「これ何のためにやるの?訳がわからない」という状態だった。

●●演算子とか関数とか引数とかオブジェクト指向とか、プログラミングの用語ってやたら難しい。
初学者殺しにも程があると思った。

ほんとすべてにおいて訳がわからなかったけど、決して諦めることはなかった。
だって馬鹿なりに起業して「本気で人生変えてやる」って思ってたから。

そのあともよくわからないままPHPのレッスンをひたすら見て真似して書いた。
PHPのレッスンは結構あるんだけど、文字通り全部やったと思う。
理解できなくてもひたすら数をこなした。

そしたらあるとき、点と点が急に繋がって線になる瞬間が訪れた。
次第に「あれ?こうすればこうなるんじゃね?」となってきて、実装してみると想定した通りの動作をした。

そのとき僕は脳汁が溢れ出て、エクスタシーに近い感覚を覚えた。
そこからプログラミングを勉強する楽しさが急速に感じられるようになった。

それまでは動画を見て真似して作るだけだったけど、今度はそれに機能を肉付けしてみることにした。
例えば簡易掲示板のレッスンではコメント機能を付けてみるなどだ。
そうすることで「勉強してる」というより「自分でモノを作ってる」という感覚を味わうことができた。

その作業を様々なレッスンでも行った。
僕のプログラミング学習のコツは、ひたすら反復して脳に覚えさせるという地道な方法だった。
しかしその学習方法でなければ、学のない僕は習得できなかったと思う。

勉強の次のステップは自分で考案したアプリケーションを1から作ってみるという方法。
学んできた知識を総動員して作り上げる。
今まで作ったものと似たようなものになってしまうけどそれでも

アイディアを考案→自分の手で作る

という流れはプログラミングの楽しさを味わう上でとても大切な要素。

ドットインストールの真似して作ったものも含めて、とにかく作品をたくさん作った。
そうして僕はプログラミングの基礎をマスターしていった。
時間はかかったものの完全独学でプログラミングを習得することができた。

学習の途中からは立ち上げたいサービスを作りながら勉強していた。
学習方法としてはこれが最強であると思ってる。

起業準備

プログラミング学習と同時平行で、無知識ながらにも起業の準備を進めていた。
その過程でぱみやすを誘い、事業を一緒にやっていくことになった。
そこからぱみやすにもプログラミングを学んでもらった。
サービスのWeb版は僕が作り、アプリ版はぱみやすが作るという分担に決まった。

資金繰り表や事業計画表などを書いて、友人のお父さんに出資を求めに行ったり、
エンジニア仲間を見つけるために色々と行動した。
そしてサービスについても細かく構想を練っていった。

難しくてわからないことだらけだったけど、とてもいい経験になったと思ってる。
頭は空っぽで勢いと根拠のない自信だけはあった僕だけど、
実力不足でサービスが立ち上げられる状態ではないのは薄々理解していた。
また資金繰りもできなかったため、起業は一旦断念することになった。

そしてエンジニアに

エンジニアとして実務経験を積み、スキルを磨いてから再度起業することを決意。
そこからぱみやすと共に就職活動をして、新卒と同じ23の代で会社員エンジニアになった。

これが僕がエンジニアになった理由だ。

エンジニアになるためではなく、自分の手でサービスを作るためにプログラミングを勉強した。
だからクズ人間だった僕でもエンジニアになることができたのかもしれない。

YouTube開始

エンジニアとして働きつつも何かしたいねって話になりYouTubeを始めた。
そして皆さんご存知の通り、今はアップスターツのSベンとして情報発信をしている。

当時の僕は起業することが目的になりすぎていた。
今後はセルフブランディングを強化していき、必要なタイミングで起業してサービスなどを作っていこうと思ってる。

方針は変わったけど、あの時の熱はまだ冷めていない。

プログラミング学習で得られたもの

僕はプログラミングを「人生で一番勉強した」と胸を張って言えるくらい勉強した。
そうしたことで大きく変わったことがある。

それはあれだけ嫌いだった勉強が好きになったということ。

諦めず目標に向かってしっかり勉強(努力)していけば、必ず成果は出る。
プログラミング学習を成功させて、それを知ることができた。

生まれ変わった僕は何をするにしてもまず勉強するようになった。
現在でも隙間時間を見つけては積極的にインプットするようにしてる。

プログラミングには人の人生を変えてしまうくらいのパワーが秘められている。

読んでくれた方へ

僕がエンジニアになるまでのストーリーはいかがだったでしょうか?

もしこの内容がよかったら、Twitterなどでシェアしてくれたら嬉しいです。
メンションしてくれたらいいねとリツイートをしにいきます。

これからエンジニア転職を目指す人のためになれば幸いです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?