見出し画像

アップロックOGインタビュー〜Frank Rojas Vol.1〜 「EP.16」

【WORLD IS YOURZ 挨拶】

 皆様、週刊UPROCKマガジンをご愛読いただきありがとうございます。
 本マガジンは、近年世界中で、盛り上がりを見せているアップロック(UPROCK)というダンスに関する知識、歴史、海外のインタビュー翻訳、シーンの最新の状況を発信致します。
 当マガジンの運営機関であるWORLD IS YOURZ GROUPは非営利団体である為、収益は全てアップロックシーンの発展の為に使用されます。
 ぜひこのマガジンを通じて、アップロックの面白さが浸透していくことを願っております。

1. 始めに

 本日の記事は、アップロックOGのインタビュー翻訳記事を公開いたします。第一弾は、Worldwideアップロック集団のボスpapo(Frank Rojas)のインタビューになります。インタビュー元はリンクURLにてご覧いただけます。


2. インタビュー内容

※インタビュー感を出すため文章をQ&Aの形式で記載させていただきます。

Q.:インタビュアー(Tiny Love)
A.:インタビュイーpapo(Frank Rojas)


【インタビュー翻訳】

Q.Tiny Love です、今日はPapo (Frank Rojas) をインタビューしていきたいと思います。今回のインタビューではロッキンの歴史などをカバーしていきたいと思います。

2.1. アップロックをいつ始めたか?きっかけは?

Q.
ダンス(ロッキン)はいつ頃から始めましたか?また、誰に影響を受け、どういったきっかけで始めたのですか。

A. 
私はブロンクスで生まれて育ちました。プロスペクトアベニューの181, 182ストリートです。ブロンクス動物園の近くですね。現在もブロンクスで暮らしています。現在54歳で、ダンスは1960年代後半に始めました。私が11歳の時、父が死んで近所の人達が私のことを気の毒に思って面倒を見てくれるようになりました。近所には若いダンサー達がいて、彼らからダンスを初めて学びました。当時のダンススタイルは最新のレコードの音楽によって日々進化してたんですよ。ジェームスブラウンの「Mother Popcorn」が出た時はその曲にあった踊りが流行って、Jackson 5 の「I want you back」や「ABC」が出た時はそれにあった踊りができました。当時そういう曲がハウスパーティで流れてて、みんなが踊っていたダンスを見様見真似で習いました。私は幼少期からステップを習得するのが早かったので、近所のダンサー達によく可愛がられ、色んなパーティーに連れて行ってもらいました。この経験のおかげで私はファンクやグルーヴの仕方を幼い頃から習得しました。子供達の中でステップだけじゃなく、グルーヴとファンクがある踊りができたのは当時私だけでした。

2.2 あなたにとってアップロックとは?

Q. 
あなたにとってロックダンスとはなんですか。

A. 
私は、初めて見た時からロッキンに夢中になりましたね。私がロッキンに出会ったのは丁度父が死んだ頃だったので精神的にも何かを必要としていた時でした。父はブロンクスの道端で殺されたんですよ。ある日突然父が自分の生活から消えたんです。私は当時とても苦しい思いと怒りをため込んでいて、そんな状態の時にロックダンスと出会えたんです。ダンスと出会う前に、実は野球をやっていたんですよ。でも父がコーチをやっていたので、野球をするたびに彼のことを思い出すようになってやめることにしました。彼が死ぬ前は野球をすごく頑張ってたので、そのエネルギーをそのままロッキンに移した感じでしたね。あと、ロックダンスそのものがダンススタイルとして丁度確立してきた時代に出会えたのもいいタイミングだったと思います。そのロッキンのピークが69年から73年…多分76年頃でしたね。私が始めたのは71年でした。


2.3. あなたが影響を受けたダンサーは?

Q. 
影響を受けたダンサーはいますか。

A.
 当時ロックダンスをしていた人は沢山いましたが、うまかった人は中々いなかったんですよ。正しくやるのが難しいダンスなんでね。少なくとも当時の限られた情報を元にやるのはかなり難しかったんですよ。現在のロックダンスシーンについては詳しくないのでよくわかりませんがね、、、。私が最も活動していた時期は71年から76年代でその時の話ですね。

 初めて私が影響を受けたのはPuppetというダンサーで、彼の家のディスコ(地下室)で初めて会いました。彼と彼の友達が踊るのを見て私はすごくインスパイアされて、彼らから色んなステップを学ぶようになりました。Puppetに私はブロンクスのJoint というクラブに連れて行ってもらったんです。幼かった自分にとってはこのクラブの雰囲気がすごく新鮮で、ライトや音楽の激しさに驚いたのを覚えています。その日のクラブは結構少人数で、そのおかげでPuppetと一日中踊れて、練習のセッションみたいな感じだったのも覚えています。その日から毎日彼が教えてくれたステップを練習しました。彼が私の家の周辺に会いに来てくれる事も何回かありましたね。

 ある程度上手くなってから彼にダウンタウンに行くように言われました。ダウンタウンは当時ロッキンが上手いダンサー達が集結するエリアでした。ダウンタウンマンハッタンですね。初めて行ったクラブがFreshという所で、48か47アベニュー辺りでした。ブロンクス、ブルックリン、クイーンズ、ニューヨーク中の上手いロックダンサーがダウンタウンに集まってクラブでやりあってましたね。なので、ダウンタウンがロッキンの首都みたいな感じでした。クラブはFresh以外にもKontikiという所もあって、その二つに私は行っていました。私がダウンタウンに行き始める前はThe Zoo、The Sanctuary、The Ruby Fool、Club Pegasus、The Cheetah、などがありました。私がFreshに行った時出会ったロッカー達は次元が違いました。初めて行った時は愕然として、ただ動かずにみんなの踊りを見ているだけでした。その日一度ダンサー達が円になってサイファーを始めて、その時に見かけた二人がJohnnyとhectorでした。二人はブロンクスから来ていたロッカー達で、サイファーでルーティーンをしたんですよね。あの時の二人は本当にヤバかったです。彼らはとにかくスピーディーでした。あとRubberbandとLittleも凄かったですね。私が初めて見たジャークは多分Littleがやってるところでしたね。彼はジャークをするだけじゃなくて、色んなステップのバリエーションを混ぜたジャークをしていたのが唯一無二でした。

 今私が上手いなと思っているダンサーはWarriorやCrazy Smoothで、彼らもジャークをしつつ様々なステップをこなすところが魅力的だと思っています。

 当時私もステップのバリエーションにすごくこだわっていて、色々していました。12~15種類程のステップを使って一曲のルーティーンなどを作っていました。

 なのでJohnnyとHectorが初めて見たヤバイロッカーで、Rubberband と Little、あとMexicoって言うロッカーもそのクラブで見ました。でもMexicoとかRubberbandはフロアムーブとかをよくやっていたんで、私好みのステップ重視の踊りとはちょっと違いましたね。Rubberbandがジャークを出来ると言う話も聞いたことはあるんですが私は見たことないですね。彼はフロアムーブがやばくて、開脚とかやっていたのを覚えています。でも彼のダンスは私が憧れていた人達のスタイルとはちょっと違いましたね。

 FreshとKontikiを行き来するようになってから、PuppetからPauly Danceというロッカー に会うように言われました。当時Paulyは現在のWigglesやFable、Ken Swiftのような存在でした。それから毎週末クラブでPaulyを探したんですが、彼が踊るのを見ることは一度もできませんでした。何が原因かはわかりませんが、その頃踊るのを辞めたらしいです。でもPaulyから教わったDDというロッカーを生で見ることはできました。それから影響を受けたのはマンハッタンの90th Streetのロッカー達でした。彼らを初めて見たのはダウンタウンマンハッタンの18th Street and BroadwayのFootstepsというクラブで、そこで毎週金曜日と土曜日にダンスコンテストが開かれていました。そのクラブでMike Dominquez、Danny Rodriguez (tall Danny)と彼のパートナーHeptaと会いました。後、そこでは女性のダンサーで上手い人が沢山いたんです。特にAnaは凄かったですね。

2.4. まとめ

 でもAnaを含めてその時代のダンサーの多くは急にいなくなったりダンスをやめたりしたんですよ。歴史の詰まった時代だったのに、、、。とにかく自分にとってその頃のダンスシーン(71年から76年代)は本当に楽しかったです。そしてダンスを通じてクリエイティブな思想を持った人間になることができました。今はカウンセラーとして日々子供達と接しているんですが、未だにダンスで得た創造力がためになっていると思っています。本当にその時期はパワフルで、ダンスシーンもやばかったんです。なのでその時期に出会ったダンサー達から自分は一番影響を受けたんだと思います。あと、当時はみんなパートナーを持っていたんですよ。それでみんなパートナーと一緒にルーティーンをコンテストで披露していたんです。1 on 1はなかったんです。後、バーンとかよりも踊りそのもののクオリティーで競ってましたね。踊りが相手よりうまかったらそれが相手へのバーンだったんで。


Frank Rojasインタビューリンク


ここから先は

0字
※注意 記事の「配信のみ」のサービスとなり、WORLD IS YOURZのZOOMでのレッスン、レッスン動画、質問受付、グループチャット、メンバー限定WS等のコミュニティサービスとは別となっております。

週刊 UPROCK MAG

¥980 / 月

アップロックに関する記事が見放題!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?