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アップロックOGインタビュー 〜Papo(Frank Rojas) Vol.2〜 「EP.18」

【WORLD IS YOURZ 挨拶】

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 ぜひこのマガジンを通じて、アップロックの面白さが浸透していくことを願っております。

1. 始めに

 本日は、アップロックOGのインタビュー翻訳記事を公開いたします。前回に引き続き第2弾は、Worldwideアップロック集団のボスPapo(Frank Rojas) のインタビューの続編になります。インタビュー元は記事最後のリンクURLにてご覧いただけます。

2. インタビュー内容

※インタビュー感を出すため文章をQ&Aの形式で記載させていただきます。

Q.:インタビュアー(Tiny Love)
A.:インタビュイーPapo(Frank Rojas)

2.1.当時(71〜76年)のロッキンスタイルは?
  ロッカーが集うクラブの状況

Q. 
当時のダンスはもっとスタイリッシュだったと思いますか。

A. 
はい、圧倒的にスタイリッシュですね。伝統的なアプローチで踊るロッキンと一番共通点があるのはハウスだと思いますね。相手を侮辱することが目的ではなく、体全体で音を表現してステップの技術で競い合う踊りだったのでね。なので当時は、新しいステップを習うことが中心で、練習していました。なので、毎週新しいステップを作り出してましたね。当時は多種のステップと、高度な踊りを披露出来るかでロッカーのレベルが見極められていました。どれだけ新しいものを持ってこれるかが重要だったんですよね。私のパートナーのTorresは私が見てきた中で一番うまかったロッカーでした。Mike Dannyから習ったロッカー達よりも全然うまかったんです。彼は新しいステップを生み出すだけではなく、全く新しいスタイルを確立してましたね。それだけ彼はズバ抜けていました。

ある時、クラブで友達と踊っていた時にTorresが3日ぶりに現れて全く違う、新しいスタイルで踊り始めたのをよく覚えてます。クラブにいたみんなが度肝を抜かれて、ただ彼が踊るのをずっと見ていましたね。それほどTorresには創造力があって、いつも革新的な踊りを見せてくれました。クラブで一気に三曲続けて踊ったりしていましたね。当時のクラブでは、ロッキンソングが10~15曲くらい続けて流れたんですよ。終わった後はみんな汗だくで、ハッスルや違ったジャンルの曲が流れる感じだったんですよ。ロッキンソングが流れる時もハードな曲から徐々にソフトなのに変化するのが主流でした。例えば最初に「Just Begun」や「give it up or turn it loose」、「It’s a new day」などのハードな曲がかかります。そして終盤につれて「La La Peace Song」やThe Spinners の「It’s a shame」、The Four Topsの「Don’t Bring Back the Memories」などのソフトな曲がかかりました。そういうソフトな曲がかかった時もロッカー達は踊り続けるんですけど、ソフトロック(ソフトな曲で踊る時)は特にハウスダンスと近い動きをしていたんだと思います。もっと若いハウスダンス(ハウスの大人びた印象と対照に)って感じでしたね。ハウスそのものはとても難易度の高いジャンルですし私はできませんが、少なくともロッキンはハウスからすごい影響を受けているはずです。

2.2.アップロックのファッションとは?(71〜76年)

Q. 
当時どんな服を着ていたんですか?特に今の世代のロッカーはどういったファッションがロッカーとして正しいのか知りたいはずなんで。

A. 
音楽、ダンス、ステップ、全てが時間と共に変化していくのと同じで、ロッキンのファッションも時代と共に変わり続けました。初めてのクラブ、FreshとKontikiに行った時は、みんなMarshmallowsと呼ばれてた靴を履いてましたね。あとKontikiは比較的年齢層が上の方のクラブだったので、中古のスーツを着たダンサーが多かったですね。スリーピースのスーツに腕時計をベストのポケットに入れたりしてましたね。昔のマフィアっぽい服を着ていた人が多かったです。後Applejacksっていうでっかい帽子が流行ってましたね。

Q. 
その服装でみんなロッキンしてたんですか?

A. そうですよ。 Kontikiではそういう服を着てる人が多かったんです。 私もそれの影響を受けて古着屋に行ったり母親にドレスストア(スーツ屋)へ連れて行ってもらいましたね。 私は当時まだ13歳だったんで Fake ID を使ってクラブに入ってたんですが、他のみんなは大体15歳16歳ぐらいでした。 でもFreshはそれより年齢層が少し若くて服装ももっとルーズな感じでカーキパンツにさっき言っていたMarshmallowの靴をよく履いてましたね。 あとタートルネックにベストを羽織ったりもしていましたね。

Q. 
パンツはベルボトムですか。

A. 
いや当時はベルボトムじゃなくてストレートパンツでしたね。 それからクラブで見るファッションを自分のファッションのバロメーターにするようになりましたね 。それからダウンタウンで得たファッションの知識をブロンクスに持って帰ってはそのスタイルをブロンクスで流行らしたりしました。 それが私の日常でしたね。マンハッタンから310、ダウンタウンとブロンクスを行き来してダンスやファッションの新しいものを吸収しては地元に持って帰りました。それからダウンタウンのFootstepsって言うクラブにもいってたんですけど、そこはダウンタウンの中でも一番いいクラブだったと思います。 さっき話してたようにそこでは金曜日と土曜日に毎週コンテストが開かれてたんですけど、その賞金が50ドルで。まあお金以上にそこで勝てればそれなりのリスペクトが得られたんですよ。

Q. 
入場料タダにしてもらえたりしたんですか。

A. 
たまにただで入れてもらえたりしましたけど、よくやっていたのは、一人だけ入場料を払ってスタンプを押してもらって、そいつのスタンプに唾をつけてみんなの手に押し付けてタダで入り込んだりしていましたね。基本的には入場が厳しいクラブでした。当時クラブ内ではお酒も売っていなくて ソーダだけだったんですよ。 なのでクラブは入場料だけで稼いでたみたいなものだったんです。 
 少し話を戻しますが、FootstepsのMike Dominquez はクラブの中で一番上手いダンサーでした。彼が着ていた服とか踊りのステップでその時のトレンドが決まっていたようなものでした。 例えば彼がラバー製のハイヒールみたいな靴を履いていました。あとは、チークスというタイトなポリエステル製のベルボトムパンツにタイトなNick Nickシャツを着ていた時もありましたね。 

Q. 
襟のでかいやつですか。

A. 
いや、襟のでかいやつはもっと前の時代でしたね。それは私が12歳の時に流行っていました。とにかく、Nick NickとかHuckapooのシャツにチークスのパンツを彼は着ていて、すごいフレッシュなファッションだったのを覚えています。あとヒールに関しては、ロッキンをしてるときお尻とかかとの距離が短くなってドロップしやすかったりしたんですよ。あと靴の裏側がソフトで回りやすかったりもしましたね。彼が流行らしたそのファッションはしばらく続きましたね、私がダンスをやめるまでだったかもしれません。でも、ある時ロッカーがまたスーツを着るようになったのも覚えています。でも、その時ダンサーで流行ったスーツは現代のスーツに寄せたスタイルのものでした。スーツがまた流行った時はGood Will やMacy’s に行って、300ドル位のスーツをパチったりもしましたね笑

Q. 
当時アフロとかも流行ってましたよね。

A. 
はい、自分のもめちゃくちゃデカかったです。当時のアフロはシャギーアフロって言って肩までだけじゃなくて、もっとでかかったんですよ。アフロが廃れてからはDAヘアースタイル(Ducktail)が流行って、みんな髪を切って後ろに固めたりしてましたね。

Q. 
いいですね。未だに好きですそういうヘアースタイル。

A. 
やっぱり流行りにもサイクルがあって昔流行ったのがまた復活したりするんですよね。

2.3.当時のアップロックバトルとは?(71〜76年)

Q. 
当時どんな感じでバトルしてたんですか。サイファーとかアパッチライン組んでたんですか。

A. 
あんまりバトルっぽくなかったです。

Q. 
相手と交代しながら踊ったりもしなかったんですか。

A. 
確かにそういうのはあったんですが、まずコンテストが主流だった。そのコンテストでラインを作って踊るのが普通だったんですけどそれをアパッチラインとはよんでいなかったと思います。 ジャッジ方式は、高いところからラインで踊ってるダンサーたちを見て、ジャッジが審査するのが基本でした。 ジャッジの何人かが途中で一人ずついいダンサーを見つけてはラインからそのダンサーを引き抜いて行く感じでした。そのコンテストの中でもパートナーとルーティンをするのが基本的なやり方でした。 コンテストを優勝するダンサーはだいたいルーティンが1番ヤバかった人たちでしたね。 優勝していた人達は何度も同じルーティンを練習して毎週新しいネタをコンテストで披露していました。 最後の二人までジャッジが人数を減らしていき、その後はオーディエンスがジャッジします。 最後までジャッジが勝者を決める形も珍しくはなかったですけどね。 クラブでは、普通のダンスミュージックもかかったりしたんですけど 一晩につき2回ほどロッキンソングがかかる時間があったんです。 11時に一回と2時に一回みたいな感じでした。 この2時の時間帯が一番アツくてみんなそれを楽しみに待っている感じでしたね。上手い奴はその時間帯まであんまり踊ってなかった 印象があります。最後に出てきた方がインパクトがあるのでね。 


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