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20240907:山に行くのをさぼった

飲み過ぎたわけじゃないけど起きられなかった。
別に誰かに強制されたわけじゃないという言い訳がずっと続いている。
山に着けば絶対楽しいんだけど、途中の行程は通算50往復くらいしてるからとにかく遠くてめんどくさいという気持ちばかり。
電車乗ってるときが一番イヤかも。
当然鉄オタの方々の気持ちはまったく分からない。

一時期「時刻表を他人のために音読する」ボランティアをしていたことがあった。
鈍行を使って東京から各地に行くルートを考えたりするのは心底興味がもてなくてつらかった……。飛行機使えば早くて楽で現地の時間が増えるじゃんって思ってしまう。電車からの風景や音がいいと思える感性がわたしにはない。
関心の相違といえばそれまでだけど、誰かが好きなものを自分が理解できないとちょっと悲しい。共感したがっているのかもしれない。
根本は「怒られたくない」という恐怖心にあって、共感できないがゆえに言うべきでないことを言って怒られるかもしれないという不安がありそう。

時刻表を読むというのは、相手が8時に東京を出る場合、8:00の新幹線で大阪に何時に着くかを調べて、そこから乗り換えを見つけてページを移動する。
関西は京都くらいしか行ったことないので、たとえば鳥取にどの駅のどの路線を使えば行けるのかまったく知らない。その辺は相手の方が詳しいので、姫路から乗り換えられるスーパーはくとがこのあたりのページに載っているはず、と教えてもらう。
とにかく記憶力がすごい人なのだ。
こういう人に会うと自分はまともな記憶力の使い方ができていないと劣等感を抱く。何を覚えておくべきかなんて自分で制御できたことがない。メモしておいて必要なときにどうやってメモを思い出せるか、の方に記憶力を使っている。
相手は視覚障害者で、見えない分記憶していないと生活に困難が発生するのだと思う。
そういう意味では自分は(視力は悪いにしても)見えることに頼って記憶できていない。見えるからこそできないことがあるなって思うのです。

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