準決勝と決勝

お笑いの賞レースでよくある「準決勝と決勝の客層が違いすぎる」という現象は他のジャンルでも起きているのでしょうか。

準決勝の客がお笑い好きばかりなのに対して、決勝の客は普段お笑いを見ない人が多いから、ウケ具合が大きく変わってしまうという現象。芸人が賞レースの難しさを語るときによく話題に上がる。

それに付随して、たまに「準決勝の客」が「決勝の客」に文句を言っている光景を目にするけど、それって怖いことだ。そういう人たちは、お笑い以外のジャンルで自分が「決勝の客」になっている可能性を排除できているのだろうか。

例えば、映画に関していうと僕は「決勝の客」だ。話題になっている映画以外はあまり興味がないし、芸術性が高い映画の良さもわからない。もしかしたら、発明的な設定とか演出の映画がヒットしていない裏側で「あれが評価されないのか〜」って嘆いている「映画界の準決勝の客」がいるのかもしれない。

もしそういう「映画界の準決勝の客」から、「たまにしか映画を観ない奴が一丁前に感想を語るなよ」なんて言われたらブチ切れる自信があるし、そんなジャンルは衰退すればいいと思う。同様に、お笑いでも「決勝の客」を冷ややかに見る人がいたらちょっと引いてしまう。
(ちなみに、「ネタ中に悲鳴をあげる客」は馬鹿すぎるので軽蔑していい)

キングオブコントのかが屋のネタ、カレンダーの演出を理解できていない視聴者が一定程度いたそうだ。お笑いを見慣れている人からすれば、あのコントが同日の出来事を描写していると理解するのは容易だし、逆に理解できていない視聴者が腹立たしくもなる。
でも、それはただ自分がお笑いを見慣れているだけであって、他のジャンルでも同じスタンスが取れるかというと微妙だ。僕は「君の名は」を観たとき、片割れ時のシーンが理解できずパニックになっている。あのシーンはエンタの神様ぐらい丁寧なテロップがないと理解できない。(瀧:現在にいる、三葉:時空を超えている 等)

そういう経験を鑑みると、「決勝の客」の感度の低さには文句を言えない。「そういう人もいる、なんならそっちが大多数だ」と割り切るしかない。ただ少しわがままを言うと、「決勝の客」は「自分の感度の低さ」を自覚してほしいとも思う。映画や小説だったら、面白さがわからなかったときに「もう一回見返そう」と思うのが自然なのに、お笑いはそうはならない。「面白くない」と口に出して言うまでのハードルが低すぎる。

まあ、つらつらと書いているけど結局「理解力を要する時点でお笑いじゃないだろ」と言われたらぐうの音も出ない。そういう意味では、EXITが「芸人芸人芸人」のインタビューで答えていた「このまま調子乗ってるとお笑いは伝統芸能になる」というコメントはかなり印象的だった。「準決勝の客」もあんまり自分たちが「決勝の客」より偉いと思わない方がいい。誰でも議論に参加できる状態じゃないと本当にコンテンツとして衰退してしまう。ちょっと悔しいけれど。

最後に、準決勝と決勝でウケが明らかに違ったポイントだけ列挙。(準決勝は2日目しか観に行ってません)
・どぶろっくの2本目「見積もりを出してください」
・ネルソンズ「本当はバスケしたかったんです」
どちらも準決勝では拍手笑いが起きたけど決勝ではあんまり。動きとか展開だけじゃなくて、「面白い言葉」が決勝でウケるようになってほしいな。これが一番言いたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?