人間は一生、皮膚の内側で一人
瞳は光を景色に変換する機械、鼓膜は振動を音に変換する機械、鼻は物質を香りに変換する機械、脳はそれらを感情に変換する機械。手は感情を行動に変換する機械、喉は感情を言葉に変換する機械。人間は外界の現象を感情に変換して、変換した感情をまた外界にアウトプットし続ける機械。放たれた感情は外界でまた現象になって、その現象は人の中でまた感情に変換される。現象、感情、現象、感情、行き来する愛憎。感情は人の中にしか存在できない。
まじ、皮膚の内側にしか世界はないんだよね。伸ばした手と景色の境界線の内側、そこで全てが生まれる。俺の感情は俺のものであるし、あなたの感情はあなただけのもの。現象を介した間接的な方法でしか感情を伝えられない以上、人間は一生、皮膚の内側で一人。
分かり合えたような、共感できたような気にはなるけれど、感情はずっとこの頭蓋骨に覆われたままどこにも行ってない。どこにも届かない。俺とあなたの間にはただ、現象が起こるだけ。この皮膚の内側と、その皮膚の内側が触れ合うことはない。
時々、体の外側は真っ暗闇な気がする。何も存在してない気さえする。人と話してると、俺達って宇宙に浮かぶ星に似てるなって思う。人と人との間には信じられないほど膨大で虚無の空間があって、俺らはずっと向こうで光る、決して触れられない互いのその感情に思いを馳せるだけ。コミュニケーションって、相手の目の前でわざわざ手紙を書いて机に置いて、それを相手がわざわざ開いて読むみたいな歯がゆさがある。直接この気持ちをその脳内にぶち込みたいのに、感情は外界で存在できない。本質的な意味で、人は人に気持ちを伝えることはできない。性欲、つまり自分の体の一部を相手の体の中に入れたいという衝動(逆もしかり)って、相手の皮膚の内側に近づきたいっていうもっと根源的な欲の現れなのかもしれませんな。食べたいとか、抱きしめたいとかもそう。俺たちはいつもその皮膚の内側を目指している。物理的な距離じゃないってわかってるのに、近づこうとしてしまう。皮膚も頭蓋骨もとっぱらった抜き身の脳みそを二つぶつけ合っても、分かり合えることはないのに...。
それでも人間は感情を現象に変換し続ける。その皮膚の内側に思いが届くことはないのに、願いのように言葉を放ち続ける。何度も何度も声や抱擁などの現象を積み重ねて、あなたに積もった感情が、どうか自分のこの感情と同じものでありますようにと祈る。絶対に触れられないその皮膚の向こう側を、信じる。生まれてから死ぬまでずっとこの体の中で一人きりでどこにも行けない癖に、人と話したがる。勝手にその皮膚の向こうを信じて安心する。愛なんて概念は、独りよがりで自己中心的。マジ、終わってる。でも、これが尊い。待って...、マジ無理...マジ尊い...。
あなたがくれた現象から生まれた感情を信じる。それしかないっす、マジ。LOVEですよ、すべては。