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安全な大人が必要だった。

「安全な大人」が、身の回りにいて欲しかったのだと思った。
どうでもいいようなこと、とことん聞いてくれる、むやみに傷つけてこない、受け入れてくれる。安全な人。隠したくもないのに、「ひみつ」になってしまってることを話してもいいと思えるような「おとな」。

居なかった。ずっと居なくて、それが苦しかった。安全な人に、安全な場所で、「ひみつ」を話してしまいたかった、でも居なくて、無くて、話せなかった。

ずっと、それがしたいだけだったのかなと思ったりする。思ったりした。今のセラピストさんに出会って、主治医の先生に出会って、わたしはやっと、ひみつを安全な場所で話せて、「性的な関係」にも発展しない、関係が「それ以上」にならない。それが担保されている。おとな、ただただ安心して話せる場所を手にした。それで、そうかあ、ずっとコレが欲しかったのね、それが1番大事だったのね、と気づいた。

セックスも好きだよ。人と触れ合うことは気持ちがいい。でも私にとって圧倒的に足りてない存在は「あんぜんなおとな」で、たぶん「親」だった。

性的な関係になってしまえば、その瞬間から相手は私にとって「違う」存在になってしまうのだった。
それは知らずに。

なににも発展しないことが心地いい。
セラピストとクライアントという形式をとったものだとしても、ただただそこに受容がある。また、これは「今お世話になっているセラピストだから」為せることだ。彼女固有のものだ。だって、いままで渡り歩いて来たカウンセラーさん達には無理だったのだから。
さらにいえば彼女たちが劣っているとかではなくて、「わたしが」無理だったのだ。

もっと幼い頃の自分に、彼女のような存在がいたら、彼女のような「おとな」が居てくれたら良かったのにと思う。

……まあ、自分は小さい頃から信頼できそうな大人に対して生意気で食ってかかるようなタイプだったから、今の私みたいに「自分の病気をなおそう」とか、強い意志を持って人と(自分と)向き合ってなければこのようなラポールは形成されてなかったのかもしれないけど。

にしても、教師に関してはろくな人間に出会ってないので、その点では運が悪いと思う。

だけど、彼女に出会えたのは、今こうして治療が進んでいることは、間違いなく自分の努力の結果だ。現状をより良くしようと望む、自分の死にものぐるいの歩み。そうだよ。
その結果として、自分の好きなものがなにかとか、嫌なものがなにかとか、そういうものが前よりずっとずっとよく分かるようになってきたし、なにより、自分も身の回りのものも大切にできるようになって、たとえば掃除ができるようになった。掃除は義務ではなくて、自分も家も大事にするための大切な手段になった。廊下を雑巾でごしごしと磨いている時、とても幸せなのである。汚部屋で普通に暮らしていた自分がこんなふうになるとは思ってもみなかったが。

……複雑性PTSDだとか、解離性同一性障害だとかがあるとわかったりして、フラッシュバックとか辛いこともあるけど、薬とセラピストさんの生活指導でなんとかやっていけてるし、助けてくれる友達もいるし、親も「できること」をしてくれるようになった。

苦しくてどうにもならないと思うこともあるけど、今がつねに「頂点」で、幸せだと思う。

催眠療法を受け始めて3ヶ月。その間に自分の精神も身体もめちゃくちゃになってしまったこともあったけど、まあ、身体の中身が全て組み変わるようなものなので苦しさは仕方ないよね。それよりも、とにかく、もっと「しあわせに」生きたいよ、私はね。

解離に対して理解あるセラピストを引き当てたのはおそらく私の強運でしょう。
運がいい〜。

そんな運も引き連れてやっていく。ぞー。

最近いいなと思った写真載せとく。

みんなで、おだやかにいきられるといいね。

駅と空
ラベル剥いで、蓋に色塗った。
いやされ
いやされ
アナログ絵作業台
ポッサム
かきあげうどん
勉強机
草を見つけたら上歩きたい
開ける度にいい音なる
双竜描きたかった
思い立って部屋の全てを片付けた(2週間かかった)
もともとはこんなだった
かわいい
塩むすび大好き
カモミールティーにパイナップルのドライフルーツ
夏メシ
シソ梅湯
廊下も思い立ってカーペット外してきれいにするなどした。床板で寝ることが気持ちいい。
芝生は裸足で立つもの。
セージ湯


じぶんのしあわへ、いっぱいみつけるぞー。
うおー!

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