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くるくる

アレクサが、ミラーボールを「照明」と記憶した。

なので、その日を境に「電気全部つけて」と言うと、ミラーボールもつくようになった。
朝起きると、ピンクのライトに青のライトにミラーボールがまわる。それが日常になってしまったわけだ。悪いとかでは無い。でも私らしく騒がしいなと思う。

誰かの特別になれることは、そりゃ嬉しい。
それが、自分が好きだと思っている人であればそりゃ余計に。

存在を見つめるために生きている。
あなたを見せてくれと思っている。
あなたの事を見たいと思っている。
それは暴きたいにも近いし、
暴力的でもあるし、境界を冒したいのかもしれないし、ただ、見ることで、見つめることで、しか、「存在を守れないのではないか」と思っているような、のような。
話かもしれないし。

見てもいいよ、と言ってくれる人は貴重だ。
みな、隠し、恐れる。それは当然で、裸は誰にでも見せられはしないことは分かる。
わたしはずっと、あなたはどう?あなたはどう?と聞いて回って、そうして生きているような気がする。

一方で、「あなたのことも見せて」と言ってくれる人も欲している。関係性のどうのは関係がない、ただ、いち、人間として、ここにあることを「見て」くれるかどうか。そもそもそれができるかどうか。私と同じに「ただ見ようとする」ということが。見ながらかつ、触れながらかつ、ありのままを見られる目を持っているかどうか、触れられる手を持っているかどうか、
あるいは、相手の姿にゆらがされそうな時に、それに耐えうるか、それでもただ見ようとする勇気があるか。私はそれを「やさしさ」と呼んでいるような気がするな。

まっすぐ好きだと伝えてよいことも、ま正面からそれを受け取ってもらえることも幸せだ。
私がここに在るように思える。

ミラーボールがクルクル回るピンクの部屋で、大好きな毛布を抱えながら壁にもたれる。ヘッドホンから聴こえる笑い声にくすぐったい気持ちになる。きれいなマニキュアでキラキラにした爪がかわいくてうっとりする。

夏のしめった空気を肺に入れて、街灯を眺める。車通りの多い大きな道路、トラックが通り過ぎて服が熱気にはためく。青信号を見ながら他愛のない話をする。

大事な時間を大事に大事に生きてるなあ。


貰い受けた子宝草を育てるための鉢植えを購入した。百均で買ったものだけど、後で色を塗り直してかれら好みの色にする。おうちの色はちゃんと考えてあげなきゃね。だってそこに住むのですから。

ああ、貰ったことばは心に秘めとこ。

あったかい、やわらかい、ここちのいいちからがくるくる、そのしあわせがくるくる、わたしとあの子の間を行ったり来たり、全部あげてるのに全部かえってきてた、ふしぎだ、あの子の身体を通ってるのは見えるのに、なんかこっちに同じものがかえってくるから、意味がわからなかった。ギブアンドテイク?どういうこと?私は何もあげてないってこと?いや、たしかにあげてるんだけどさあ。こんなに、かえってくるんだ、しらんかった。こんなん…。


私の命があなたの中で踊っているのが見える。
あなたの命が私と手を繋いでいることがわかる。

そんなことは目には見えないけど、そんな気がしただけだよ。

くるくる🌀



わたしの言葉が「ほんとうのこと」として受け取ってもらえることがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。

幸せで寝らんないよ。
もらった言葉反芻してしまう。
あまりにも嬉しみが過ぎた。

紡いでいこ、

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった

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