僕のあまり綺麗じゃないMM史①

僕がmeet-meで生活した8年?まぁすごく記憶が曖昧だし途中何度もサボったりしてたので時系列はちょっと無茶苦茶かもしれない。でもその間にやってきたことを包み隠さず悪行も込みでここで告白しようと思う。当時の友人は僕を見損なったとか思うだろうけど、ほとんど皆と関係が切れちゃったし、、良い事も悪い事も歴史に残ればいい。別のゲームの話も挟むし、ちょっと長い下手な文章だけどつきあってくれると嬉しい。

僕は中学生のころからガディウス、RO、UO、N-age、ROSE、GANZ…と色々なゲームを転々として、結局UOが安定かな…なんて思い始めた頃に風の噂にメタバースというのを聞いた。なんでもネットゲームの新しい形態だそうだけど、話を聞いていると…「あ~…まあでもUOでもそれってできるよね。」なんて言いつつ、その時点では正直そこまで感動はしてなかった。

でも後日TVで実際の映像を見た時に、これってとんでもない自由度だな~と驚愕したのを覚えている。ネトゲなんてニッチな業界に企業が運営以外の形で参入するなんて僕らからすると結構な衝撃だ。

だからセカンドライフが海外からやって来た時は、前々からTVで特集されていたりもしたから、「ついに来たかぁ!」なんて感動して、きづいたらすぐにインストールしていた。でも結局セカンドライフは特徴的なUIのわけわからなさに1日でデスクトップの隅に追いやってしまった。多分そこを乗り越えればきっと今でもセカンドライフをやっていたのかもしれない。英語力がどうというよりPCに詳しくないと出来ないよねあれは。

まぁそんなで、それまでやっていたUO(ウルティマオンライン)に僕はトンボ帰りしてしばらくダラダラとスローライフを送っていた。

でもUOって最古のオンラインゲームだし、僕自身長くやってると金も物も殆ど欲しい物は手に入れてしまっていて刺激は殆どなかった。だから今でもあるのか知らないけど『MMO総合研究所』ってサイトで面白いゲーム無いかなーなんて探していた。

そんなある日、僕は旬のMMOってとこにmeet-meという見知らぬMMOの存在を見つけた。なんだこりゃ?って思いながらクリック。結構見やすいデザインのウェブサイト…なになに?東京23区を再現?国産メタバース?

うお!すげえ!!セカンドライフに挫折した僕でもこれならやれるんじゃねーかな?なんて思って思いながら会員登録インストール。

キャラクリして大してチュートリアルらしきものが無いままゲームスタート。僕自身はチュートリアル大嫌い人間だったのでこの点は割と嬉しかった。

僕に与えられた部屋は青海マンション9996号室。

僕が始めたのはサービス開始から半年か一年経った頃のようで初期勢は赤羽マンションだったかに住んでいるらしい。

最初は確か何していいのか分からないまま青海海岸で釣りを始めた気がする。当時付き合っていた恋人もネトゲーマーだったので一緒にダラダラ目的を探しつつゲームを理解していった。

青海には古参の赤羽勢が新規の青海メンバーを勧誘して出来た、『青海ファイターズ』という釣りコミュニティが存在して、彼らの仲間に入れてもらったことで少しずつ遊びの幅が広がり始める。

釣りの次にやったのは家の場所探しだった。マンションの部屋は当時栽培とかもできないし収納アイテムも多く無くてすぐにパンクしてしまったからだ。meet-meは不思議なゲームで広さや立地によって地価が決まっており、僕はゲームにあまりお金をかけたくない人だったので300mmp(円)くらいで買える場所を選んだ。確か東京中を散策して、志茂の隅っこに家をたてた。まぁお世辞にも便利なところではなかったなー。それでもmeet-me(以下MM)のハウジングは当時個人的にMMOでは一番自由度が高いと思っていたUOよりもはるかに自由度が高くて家をいじっていたら一日潰れるような事もしばしばあった。僕は釣りでお金を稼いでは、赤羽北(だった気がする名前忘れた)らへんの当時一番栄えていた街に繰り出した。(たしかMM7さんの店とかあった…。)そこで何をするかというと『トレボ漁り』だ。トレボとはトレードボックスの事で、自販機の見た目をしており持ち主が自由に不用品に値段をつけて出品できるアイテムで、宝箱やガチャガチャから入手できる色んなアイテムがあふれていた。僕はそこで次第に相場勘みたいなものを身に着けていった。そして基本的にコツコツ貯めるのが苦手だった僕は手に入れたお買い得なアイテムを転がして利益を得るという方向にシフトしていった。このせいで釣りをあまりしなくなりファイターズの皆とも疎遠気味になる。

この頃の僕が手を染めた悪事の代表として『複アカ』というものがある。これは1人1アカウントというルールに違反する為公式的には本来禁じられている複数アカウント作成という手法を用いている。どうするのかというと、捨てアカ用のメールアドレスを複数用意し、ひたすらそのメールアドレスで新アカウントを作るのだ。MMでは新規会員には宝箱の鍵1つと3000ココアのコイン、そして招待者と被招待者には200MMPがプレゼントされた。プレゼントされたそれを持ち、キャラ作成早々郵便局にかけこみ、自分のメインアカウントに手紙ですべて送り付けるというものだ。招待用サブアカには5回周回するごとに招待報酬として1000MMPが貯蓄されていく。大体30分くらいで出来るこの裏技は当時14~15万ココア程度するトレードボックスを短時間で手に入れる事が可能で、僕はその後も幾度となくそれに手を染める事となった。そのころ実装されたアイスケースと僕らが呼んでいた駄菓子屋にありがちな店内冷蔵庫の見た目をしたトレードボックスは、その中に10個品物を入れることが出来た。マンションの狭い部屋にそれを6台ぎっちり詰め込んで、複数アカウントで手に入れた夥しい数のトレボと鍵を販売する事で僕は巨万の富を得る事になる。

マンションの部屋番号をもじって9996サンキューロックという名前をつけた僕の不正の塊のような城は肥え太り続けたが、僕が大体2000万くらい荒稼ぎした頃、知人から冒険者の砦がおもしろいという噂を聞きつける。そういえば釣り以外でまともにアトラクションに参加していなかった僕は早速足を運ぶことにした。

若干記憶があいまいだけど、当時まだ地下倉庫と一日一回だけ参加できる遺跡の洞窟しか無かった(?)もしかしたらドラゴンのいる宮殿もあったかもしれないがライセンスが低すぎて近寄らなかったので覚えていない。

まぁなんにせよ予想以上にアトラクションは面白い物だった。勿論当時のユーザーの皆が知るように、操作性も良く無ければアクションもしょぼい。モンハンみたいな回避も出来ない。にもかかわらず戦略性や磨くべき技術は確立され始めていた。技術の代表格は『回す』と『ガード攻撃』だ。

前者は敵を中心に時計回りに一定回数回転すると、敵がノンアクティブになり制止するというバグっぽい技で、ガード攻撃は敵の攻撃始まりに併せるようにこちらも攻撃をすると、相手の攻撃をガードした状態で敵にダメージが入るという物だった。これについてはMM終盤に始めたユーザーは攻撃速度の速い武器を持っていただろうから知らない可能性もある。倉庫で基本的な装備を手に入れて”真ん中”こと遺跡の洞窟をクリアできるようになった僕は、いよいよドラゴン狩りを始める。当時のドラゴンは強敵だった。なんせこちらの装備はよくてロングソードかレイピアで、装備もナイト装備すらまともに揃っていない状態だ。それでも僕らは少しずつ攻略を重ね、いつの間にかソロでドラゴンを討伐できるようになっていた。当時、ドラゴンからドロップする”カタナ”は500万越えの高額アイテムで、ナイト装備も10万以上していたように思う。僕はカタナを用いたドラゴンソロ狩りを覚えると他の事はそっちのけでドラゴン狩りだけに精を出すようになった。

そんなこんなで僕が『複アカ』『転売』にひと段落し、砦にどっぷりハマっていた頃一人の初心者ユーザーと知り合う事になる。

いずれMM界をざわつかせる吐露ノ小路末光というユーザーだった。

彼との最初の出会いは確か青海マンション前だったと思う。当時僕は不正で手に入れたココアに物を言わせて、誰も装備していなかった当時の最強装備であるシルバー鎧を全身にまとっていた事もあってか、目立っていたのだろうと思う。彼は冒険者の砦に興味があった様子で、場所を教えてやり基本的な立ち回りを教えるとあっという間に習得していった。理系なのか何かとデータをとる人物で、直感と経験だけでプレイしていた僕は多分あっという間に追い越されるだろうな~と思っていた。案の定数日後冒険者の砦で彼を見かけると、すでに独自のコミュニティを形成して楽しそうにしていた。

このころだったか、僕の『複アカ』の仕組みにどこかで気づいたのか同じ事をしていると思われる人物が多数現れた。郵便局までダッシュする道でやたらと似たような初心者風のユーザーに遭遇するのだ。したらばというmeet-meの裏側の吹き溜まりのような掲示板でもそのような話題がささやかれ始め、ついに運営が僕らの荒稼ぎ事情に気づいたのか初心者に対するMMPプレゼントが行われなくなったのだ。僕はこのあたりで複アカのうまみが完全になくなったなと足を洗い、いよいよ砦一筋になる。もう金は溜まっていく一方かと思いきや、さすがMMはアイテム数が抜群に多い。4000万近く溜まった所持金は散財の末、1500万まで落ち込んでいた。そんな最悪のタイミングであのオークションが開催された。公式オークションは運営によって行われる公式イベントの一つで銀座のオークションハウスへ出向き商品を匿名で競り落とすというものだ。この時の商品は大アルカナの盾『皇帝』である。

僕は手持ちのすべてをつぎ込む事にした。結果僕は砦民の憧れるアルカナ所持者となりドヤ顔で砦を闊歩する事になる。

というかこの時の僕はMM界ではかなり成功した部類に入っていたと自分では思っており、色々と調子に乗っていた。

販売開始されたばかりの浅草雷門前のトレボ用土地を購入し、雷門あたりのセレブコミュニティに顔を出したり、アイテムデザインを2点ばかり採用されたりで自分的にはイケてる状態だと思っていた。

しかしそうしてある程度満たされてしまった自尊心はMMに対する飽きを招いてしまう。決定的だったのは僕のメインPCがある日死亡した事だ。

そのせいで僕はPCを買い替え、ハイスペPC最高と叫びながらFF14を始めてしまうのだ。FF14は新鮮で本当に楽しくて僕はそれからの1年殆どMMにログインする事無くギルド運営をしたりして過ごす。しかし、その翌年の年始にそれは起こった。1月1日、「あけましておめでとう!!」とカウントダウン開けに放った僕のひと事を無視し、アクティブメンバーのほとんどが「お疲れさまでしたぁぁああ!さようなら!」と叫んで突如脱退したのだった。

なんでも、一部のメンバーが挨拶しても反応しない状況と、それを放置している僕に腹を立てた発言力のあるメンバーが裏で手を回し、クーデターを図ったのだった。僕に言わせればつまらない理由だった。あいさつ強制とかつまんなくない?お前らメンバー募集なんにも手伝わなかったじゃん…このメンバー集めたの俺だよ?その間狩りとか何にもしてないよ?

…なんて思いながら歯ギリギリ言わせて泣いた。僕のカリスマ性の無さが分かりやすく出てしまった事件である。

翌日僕はmeet-meに帰ってきた。

続く。

‥‥ハッシュタグつけ方これであってんの?

 #meetmeの記憶