いまだに(2020/10/26現在)

前回までは過去に起こった事、感じた事を思うまま綴ってきました。

今回は、つい先ほどの事。


いつも夕方5時頃に愛犬とお散歩に出かけます。これは私のルーティンとなっています。

もちろん愛犬にとっても。

主人と結婚して2年。私が嫁いできてから今まで、愛犬の散歩中に知り合った子どもたちが今でも出会うと、気さくに声をかけてくれます。どんなに疲れていても、気分が良くない時でも、そんな時に限って子どもたちが声をかけてくれます。

今まで何度も救われました。子どものパワーは不思議です。人を引き上げる強い力があります。

今日もせっかくの休日だというのに、何だか気分が優れず。でも愛犬の散歩は欠かす事は出来ません。そのままの気分でお散歩。

やっぱり。

こんな気分の時に限って出会う子どもたち。

何でもない話。

「猫が家の近所に増えてさー。」

「猫きらいなの?」

「うん嫌い。おばあちゃん家の猫に噛まれた事あるから。」

「猫ちゃんの機嫌が悪かったんじゃないかな?」

「そうかなー…おばあちゃん家の犬にも噛まれた。」

「お散歩一緒に行ってみたら仲良くなれるかもよ?」

「そうかなー」


本当に何でもない事を、子どもと並んで歩きながら話していた。そのうちその子の家まで着いて、サヨナラして。

また愛犬と一人で散歩していたら、

急に涙が溢れてきて。

自分でもよく分からない感情。子どもが可愛い。話していて癒されて、元気ももらって。でもこの子は人の子で、私の子じゃない。自分の親の元へ帰る子。当たり前。いいなぁ…可愛い子どもがいて。私も……………

有難い事に、日が暮れるのが早いから泣いていても見えず。暗闇の中、鼻をすすりながら散歩を続けた。

そうしたらまた前の方から、小さな自転車のライトが。

いつも愛犬を可愛がってくれる優しい男の子。こんばんわって、急いで涙拭いて挨拶して目を合わせた時に、ちょっと困惑した表情を彼は向けたけど、すぐにまた何でもない話が始まって。

しばらく喋っていて本格的に辺りが暗くなったので、

お母さん心配するからもう帰ろう、と言うと

「お母さんは心配しないよ、僕の事嫌いだから。この前も出て行けって言われた!」

と、しょんぼりとして言ってきたので私は咄嗟に、

「そんな事ないよ、思っちゃだめだよ。お母さんは心配が故に言ってるんだと思うよ」

と、

まるで自分が親のように彼に言ってしまっていて…。

でも彼はしばらく黙って考えて、

「うん、もう帰ろうかな!またね!」

と、少しおちゃらけて自転車を押して帰っていった。


また。泣けてきた。涙があふれた。可愛いけど、やっぱり人の子。自分の親の元へ帰っていく。

本当だったら、今頃お腹も大きくなり、出産に向けて準備している頃なのに。

なんで私は…ここで一人愛犬と散歩してるの?

愛犬にも申し訳ない、平和に暮らせるように色々してくれる主人にも申し訳ない。平凡に何事もなく、今のままで充分幸せなはずなのに、いまだ急に無性に物凄い喪失感に襲われるのです。

これは…まだまだ心にぽっかりとあいた穴が深すぎて、何にも埋める事も出来ずに、ただただ気づかぬふりをしてやってきているからだろう。なんの解決も、改善策も練らず。自分を労る事もなく。心の深い深い奥の奥で、私はまだ泣いている。溺れてしまうほどの涙をためて。苦しくもがきながら。

どの年代の子どもを見ても、だめ。全て結びつける。

苦しい。

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