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「実家を物置に使うなーー😤」という父の叫び!!

「実家を物置に使うなーー😤
という父の叫び!!


物はあっても困らない、けど、物が多いと困る

物が多いと困る理由の1つに、
物の置き場所問題があります。


なぜなら、物の置き場所には限界があるからです。
自宅の押入れは、1軍の物で溢れ、倉庫は、2軍の物と、使うことはない思い出の物が占拠している状態。
行き場を失った物たち、、、、
処分すればいいのに、
いつか使うだろうと捨てられない。


あっ、
物を捨てられない理由の1つに、
「いつか使うだろう」問題がありますが、
それは今は触れずに。。。。


物の置き場所に困った挙句、実家へ!!
という選択肢は誰もが持つアイディアだと思います。
けれど、
あれやコレやと物を押し付けられた父の家は、
私の家よりも物で溢れ返るしまつ。


「娘の物だから勝手に捨てられない」
そんな父の苦悩をよそに、
さらに物は集まります。 

私の物だけでなく親戚たちも物を置いていくのです。

「類は友を呼ぶ」かのように、
物が物を呼ぶ現象が続き、
物で溢れ返った父の家は、
住み屋というより物置倉庫状態になってしまっています。 


1軍から外れた物は、結局2度と1軍に戻ることなく、
処分されることがほとんどです。 

けれど、
処分されるまでには、 

押入れ→倉庫→父の家→ゴミ捨て場

という一連の流れを経なければいけません。
まるで、上司の承認の印鑑を集める作業のように、
物が処分されるまでにはいくつものハードルが待っています。


ならば、さっさとリサイクルするなり処分するなりすればいいのに、と思うのです。
そう考えるのですが、
できないから、
未だに必要のない物を抱えているのです。
必要のない物、という認識がありながら。

そういうふうに物のことを考えていると、
なんだか必要とされていないのに置かれ放っしになっている物が可哀想に思えてきました。

自己肯定感も自己有用感も育まれないんだろうな、、、、。
なんて、物に感情があるかのように考えてしまうのです。


そんな心配をしてモヤモヤするのならばと、

改めて、
使うか使わないか、
必要か必要でないかを分別して、

このモヤモヤを晴らそうと思いました。


要するに、
「実家を物置に使うな」

この父の言葉に、
物について深く考えさせられたということです。

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