懺悔
友人の子がもうすぐ3歳になる。その姿を見ていて、2歳の子ってこんなに幼かったろうかと当時の息子に思いを馳せる。2歳4ヶ月でいきなり父親と暮らしていた家からわたしと出て、狭い部屋での二人暮らしが始まった。家族3人で暮らしていた家は当時通っていた保育園のすぐ近くだったから、息子が保育園の帰りに玄関先まで走って行って「かえりたい!!なんで入れないの!!ととー!!ととー!!」と叫んでいたのを覚えている。いいお父さんだったのだ、息子にとっては。そのままの姿で覚えていて欲しいと思った。
そのタイミングでフルタイムの契約社員になったものだから、生活はままならず、毎日焼き鳥屋さん、唐揚げ屋さん、近所のスーパー、アンパンマンカレー、スパゲッティ…ありとあらゆる外食とレトルトを行き来する毎日。息子はコロナになるし、わたしもコロナになるし、極め付けは保育園がその後何度もコロナで休園になった。8時間自宅保育で息子を見ながら、行ける時間に法律相談や裁判所へ行き、息子が寝た後も仕事をした4ヶ月。心が壊れ始めたのはいつだったのか。おそらくは一緒に暮らしていた頃からじわじわと蝕まれていたものについに心の全てが侵食されて、わたしは朝鏡の前に立つだけで涙が出るようになっていた。
散らかった部屋、片付かないキッチン、進まないトイトレ、眠れない夜、泣くわたしを見て泣かないでと号泣する2歳の息子。
もう無理だ、限界だと実家に逃げた。
仕事だけは途切れさせることが出来ないと、東京から地元に戻るまでにリモートで何社も面接を受けて、フルリモートで働ける会社に入った。思えばものすごい気力と体力で自分も動いていたけれど、約半年で父と離れ、母と暮らした家からも離れ、保育園も転園した息子のことを思って、今になって泣けてくる。
一番頑張ったのは間違いなく息子だ。
0歳から3歳までをぐちゃぐちゃにしてしまった。明日はどうしよう、離婚したらどのくらいお金が必要だろう、わたしはこの子を守れるだろうか、まさか親権が取れないなんてことはあるんだろうか、なんてことを全く考えずに、ただただ愛おしい息子のことだけを見ていたかった。だからいまだにその年頃の男の子達を見ると胸がギュッとなって、悪いことをしたなぁと思ってしまう。
もう今は色んな苦しみから離れて2年が経ち、平和に幸せに暮らしているのにふとあの頃の記憶が蘇る。絶対に親権を取ってやると蛇のような鬼のような顔をしていた男からの連絡は一度もない。ただ罵詈雑言を浴びせ、自分は生活を何も変えることなくのうのうと遊んでいただけのあの男。俺は悪くないと呪文のように唱え、今もわたしを恨み続けているんだろうか。毎月決まったお金だけが振り込まれ、別に拒否していないのに面会にも来ない。弱い人だから、何をされるか分からないから、今どんな状況かもわからないからこちらからも連絡をしない。正直なところホッとしている。
このまま一生どうか顔を出さないでくれと願うことがある。あちらの生活さえうまくいっていれば連絡してくることもないだろうから、とにかくうまくいっていてほしい。寂しいだとか、辛いだとか思う時にだけ息子を利用することだけはないようにしてほしい。
離れて半年ほどは覚えていた父のことも、もう今息子は口にすることすらなくなった。息子の半分であることだけは確かだから、絶対に悪口だけは言わないようにしている。
申し訳ないけど、一生許せないのだ。
今のわたしが許したとて、あの日の絶望の中にいたわたしが、苦しんで苦しんで毎日泣いていたわたしが、どうしても許してくれない。
怖かったのだ。
あのまま一緒にいて、どんどん自分が恐ろしい人間になってゆくのが。
あまつさえ相手の死すら願っていた。
いなくなってくれさえすればわたしは可哀想な未亡人になれるのに、と。
ハッと我に返って、これはもうお終いだ。と思った。
人間は生まれてくる前に天国で強い絆の魂と約束してくると言う。あなたが悪役をしてね、と。きっと、元夫がその役だったのだ。
おかげさまで、生きていて感じたことのない感情…殺されるかもしれない恐怖、殺したくなるほどの憎悪、そう思ってしまう自分への嫌悪、心の底からの同情、ありとあらゆる感情を味わいつくした。
もう、いらない。
自分にはその感情は、もう、いらない。
手放した先に見えた今の幸せを本当に気に入っている。
夕陽に照らされた長く伸びる影で息子と2人遊びながら帰る。
息子を産んでもうすぐ5年。
こんなに満たされる日々があっただろうかと思う。
それは、働くわたしを支えてくれる母のおかげであり、今一緒に働いている仲間達のおかげであり、あの日離れると決断してくれたわたしのおかげであり、いつも笑顔でそばにいてくれる息子のおかげなのだ。
一瞬過去の憎悪に引き込まれそうになる時、グッとこらえる。
さようならかわいそうなわたし。
あなたのおかげで今があるよ。
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