鉄拳は人生だ・5.1後編

・5.1も中盤を過ぎたある夜のこと。PCでコンボ動画をチェックしていたら(昔からどのキャラのものでもコンボ動画を見るのは好きだった)偶然5無印時代の浅野さんの対戦動画を見つけた。「シャオ神」と名高い浅野さんの対戦動画…しかも相手はあの有名なゼクスさんのデビル。おれはもう(@゚▽゚@)!!!みたいな顔になって超興奮しながら見始めた。


(@゚。゚@)


(@゚_゚@)…うーん…


(*゚ω゚*)…コレはヤバいな…


Σ((゚□゚;)!!!!!


…( ̄□ ̄;)…なんだ今の…!?


あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!

「浅野さんはデビルが中距離から羅刹門を出してきた時、2発目を横歩きでスカした瞬間に括面脚を入れた」

その時の感覚は衝撃と言っても良かった。
…確かに今のタイミングで出せば…例え3発目に派生していたとしてもCHを取れていただろう。2発止めだとしても…確定していた…確反や上段連係の割り込み以外の場面で括面脚をこういう風に使うのか…すごい…

これが「スカし確定」を目の当たりにした瞬間だった。それまで自分でももちろん相手の技をスカした時の硬直にこちらの技を入れたことはあったし、またその逆もあった。鳳凰でスカして9LK、などは当然当時からの主力でもあった訳だし。
しかしこれ程までに美しく明瞭にスカす技術、またそこに括面脚を入れるという行為そのものに惚れた。「技がスカったからそこに当てただけ」と言わんばかりの機械の様な精緻さに魅了された。
その後は興奮しながらも冷静に対戦内容を分析し、動画を何度か巻き戻して検証した。それ以外に発見した幾つかの他の動画も見た。見れば見る程自分のシャオとの違いが浮き彫りになった。
つーかコレホントにおれと同じキャラか?
前後運動の早さ、間合いの調節の上手さ、コンボ精度の高さ・アドリブ、立ち会いの安定感、投げ抜け、勝負強さetc…
実に柔軟なスタイルで、対応力と冷静さが並外れていると思った。
これからの課題が多過ぎると感じた。やるべきこと・やれることが山程ある。まだまだ強くなれる。
心の奥の方から静かに聞こえてくる確かな予感を帯びた鼓動に、抑え切れない微笑すら浮かべ、その夜は眠りについた。

・それからしばらくの間、見よう見真似で相手の技や連係を横移動、横歩きでスカし、そこに6入れ括面脚を当てるという戦術を取り入れてみた。
この戦術は功を奏し、対戦にちょっとした緊張感を生んだと自覚出来た。「技をスカしたら3分の1持っていかれる」という危機感と、「どんなスカりにも絶対に括面脚を入れる」という決意とが生んだ心地いい状態だ。
問題はしゃがみ状態になる技を横移動・横歩きでスカした時。今と違い挑打は悲しい程に絶望的な仕様だったので、軸ズレからは
1、挑打→挑打→挑打(最後は1発目のみヒット)
2、挑打→生ロー
という今だからこそ笑えるコンボしか入らないことが多かった(笑)
しゃがみをスカした時は瞬時に判断して9WKや1LPやWPを入れないとならないんだな…と頭では理解していても、実際かなり難易度は高かった。何より、そんな器用なことを意識したせいで肝心の6入れ括面のスカ確の精度に支障が出るのを危惧した。
スカ確のイメージとして、今にも先端から液体が零れ落ちそうな注射器を想像した。ギリギリの所でどれだけ待てるか、そしていざという時どれだけ速く躊躇なく正確に注射器を押せるか。今となってはあまりこういったことをイメージすることもなくなったけれど、意識の改革も意外と効果はあったのかも知れない。

・このレベルに達して初めて、俗に言う『強い人達』は大なり小なり似通った狙いや駆け引きを誘っているのだと気付いた。技や動きはそれぞれ違っても、1つ1つの動作で巧妙に手を出させ、スカし、その硬直に技を入れるという点はほとんど同じなのだ。
何より重要なのは、スカ確を誘っている時のリスクの低さ。相手の動きを注視している為に防御に集中出来る上、そうやって待っているのは自分から攻めていくより遥かに安全だという恐るべき真実を知った。
何となく牛と闘牛士の関係を彷彿とさせた。手品の種に気付いた様な昂揚を感じた。

・ある日、ふと東福生のプレイランドビッグに行ってみたら珍しいプレイヤーがいた。

「おーイトシュン久し振りー!」

5無印時代に福生のベルハウスでリーにボコられて以来の再会。相変わらず『鉄拳あんまやってないけど平八が強そうだから作った』などと軽口を叩いていた。しかし事実、400戦程度しかしていないにも関わらず、平八はもう雷神だった。
久々にやるかーということでシャオ修羅で乱入。

何戦かした結果、おれが微妙に勝ち越した。
その理由は明白で、イトシュンは本当に触り程度にしか鉄拳をやっておらず、対シャオに到ってはほとんど何も知らない有様だった。
しかし、それでも嬉しかった。自分の力が確実にあの頃より数段も増しているのだと実感出来た。自分がこれまで築き上げてきたモノや磨いてきたモノがちゃんとした形で認められた気がして、思わず笑みが零れた。


まぁ、その後出してきた拳達のブライアンには全く勝てなかったんだけど…その話はしなくていいよね…。


・様々な邂逅や躍進に満ちた5無印~5.1。後から思い返してみて、あれが全て1年足らずの内に起きたことなのだと考えると余りの濃さに驚愕を覚える。
結局5.1は雷神まで上り詰めた。
その頃の鉄拳王はBRで言うところの羅刹の位置の段位(苦笑)というインフレ振りなんだけれど、それでも当時のおれにとっては重大な価値や意味があった。師範や拳達で四苦八苦し続けていた時期から見れば考えられない進歩だ。段位表示は今と違ってただ赤い字で「雷神」と無愛想に書いてあるだけだったが、感無量だった。

師走の空気が行き交う人の息を白く染め、色とりどりの飾りや光が街全体を輝かせ彩り始める頃。
後に「最高傑作」と語り継がれる鉄拳5DRの足音は、もうすぐそこまで近付いていた。

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